ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略
著者:遠藤 誉
この著者の作品は、既に、習近平を巡る権力闘争の生々しい姿を描いた「チャイナ・ナイン」と「チャイナ・ジャッジ」の2冊を読んでいる(別掲)が、その著者による2022年4月出版の新書で、この時既に始まっていたロシアによるウクライナ侵攻についての中国の対応を中心に、この戦争についての様々な見解を述べている。
前の2冊の評でも書いたが、著者は、1941年、私の父と同じ長春で生まれた後、そこで初等教育を受けると共に、日本の敗戦と中国共産党による「解放」を迎え、その後天津を経て1953年に日本に帰国。そして帰国後は物理学者として筑波大等で教鞭を取りながらも、自己の原点である中国に関する政治・社会評論等の著書を数多く出版してきた。そしてここでは改めて、1945年のソ連による満州侵攻の際の、現地での著者の凄惨な体験から始められており、その体験が、この新書の執筆にあたっても原点になっていることが述べられている。この新書の出版時点で、著者は81歳。議論への賛否は兎も角、衰えを知らない筆力については驚くばかりである。
ロシアのウクライナ侵攻により、中国は微妙な立場に立たされており、慎重に振る舞っていることは良く知られている。中国は、ロシアのみならずウクライナとも深い関係を有しており、特にウクライナからは軍需品(空母等)や軍事技術の提供を受けていることから、単純にどちらかの立場に立つことは出来ない。また、ウクライナを支援する欧米については、米国との摩擦が激しくなる一方で、欧州に対しては、中国は、経済関係を中心に秋風を送り続けている。こうした関係から、今回のウクライナ戦争について、中国は欧米が国連で提出しているロシア非難決議等は棄権し、他方で欧米の制裁で顧客を失ったロシア産の石油・天然ガスなどを大量に購入し、ロシアに対し経済的な支援を行っているが、現状では武器輸出には慎重である。足元、王毅外相らが、米ロ指導者と活発に会談を続けているが、それはこうした戦略の延長上にあり、一方で米国は、中国によるロシアへの武器援助には度重なる警告を発する等、警戒的な姿勢を強めている。そんな中での、北朝鮮金正恩のロシア訪問とプーチンとの会談では、プーチンが北朝鮮に武器援助を依頼したとされているが、それはロシアがそこまで追い詰められている、という状況をあからさまに占めることになった。
こうした状況についての、2022年4月時点の著者の分析は、まず、報道管制が厳しい中国の国営テレビが、「ゼレンスキー大統領の悲痛な呼びかけ」と「ロシア軍によって破壊された街と嘆き悲しんでいる庶民の姿をクローズアップするだけでなく、庶民にマイクを向けて、悲痛な叫びを音で拾い、字幕スーパーで伝えている」という。ただ、加えてゼレンスキーの「西側諸国はもう完全にウクライナを見捨てた」という報道も伝えており、それは単にロシア批判だけではない。そしてそうした報道と共に、習近平が、「中国は事態の緩和と政治的解決に向けた努力を支持する」という、事実上、ロシアの侵略を容認する内容のないメッセージを発信続けている姿勢は、現在に至るまで変わっていない。
こうした中国の姿勢について、著者はまず上記のとおり、中国とウクライナの強い関係、就中ウクライナからは、ソ連崩壊後継続的に軍需品(空母等)や軍事技術の提供を受けてきたこと、そして同時に米国との緊張を乗り切るために、西欧諸国を経済的に中国に引き付ける工作を進めてきたことが説明される。しかし、その重要な手段であり、「習近平が2013年から7年もかけて推進してきた『中欧投資協定』が、ようやく晴れて2020年12月30日に大筋合意に達していたにも拘らず、米国ポンペイオ国務大臣が退任時に、中国によるウイグル政策を「ジェノサイド」と呼んだこともあり、2021年5月に、欧州議会により凍結されてしまった、という。こうした問題もあり、中国は欧州諸国との決定的な決別は避けたいという思惑が一貫しているとされる。
その結果中国のロシア政策は、著者が「軍冷経熱」と呼ぶ姿勢が取られることになる。もちろん中ロ間の経済的な強い結びつきは、ウクライナ侵攻前からであるが、侵攻後は、上記の通り、欧米の制裁で顧客を失ったロシア産石油や天然ガスなどを大量に購入し、ロシアに対し経済的な支援を行っている。こうした事態は、エネルギーを外需に依存する中国にとっては「渡りに船」で、更に米国による対露SWIFT制裁は、資源を含めた貿易決済の脱ドルとデジタル人民元を促進する格好の機会と映る。中国は、そうした思惑で、米国との関係がギクシャクするサウジアラビア等の中東諸国に対する外交攻勢を強めることになっているのも良く知られている通りである。
続いて著者は、中国による台湾武力統合の可能性に論点を変え、少なくとも中国がウクライナ戦争の間隙を縫って台湾に侵攻する可能性はほとんどない、とする。ここで面白い議論は、ロシアによるクリミアや東部への侵攻は、ウクライナの主権に対する重大な侵害であるが、これは統一中国の一部である台湾に対する米国の干渉と同様である。従って、ロシアの侵攻を容認すると、「解放」時に米国が台湾に干渉することを批判できなくなる、ということになる。もちろんそれ以外にも、現在の米中の軍事力比較や、台湾での半導体産業を維持したいといった要因もあるが、いずれにしろ中国は経済的に米国を凌駕したところで、2035年を目標に、確実に台湾を「解放」する長期戦略を練っている(もちろん、その大前提は台湾が独立に動くことがなければ、ということではあるが)というのが著者の考えである。この辺りは、常識的な見方ではあろうが、もちろんそうした発想に安住することができないのも確かで、日本も警戒態勢は弱めてはならないだろう。
また著者は、章を改めて、2021年12月に、広東省省長の馬興端が、新疆ウイグル自治区の書記に任命された人事を基に、欧米の攻撃材料になっている新疆ウイグル地区の経済を梃入れする戦略を開始したことを報告している。この馬興端という男は、広東省時代に、深圳をハイテク都市にした辣腕家であり、彼の指導で、この地域を太陽光パネル等の生産基地とする計画が進んでいるという。更にこの地域では、E.マスクも巻き込み、EV化が進んだスマートシティ化する構想(もともと治安問題から監視社会となっているこの地域は「スマートシティ化」が進めやすいという皮肉!)もある。こうした戦略で「国内人民の不満と国際社会からの非難を回避する」という戦略である。マスクが、米中の緊張を緩和させられるだけの力があるかどうかがポイントになるが、確かに面白い戦略であることは確かである。また前述の台湾問題と同様に、ウクライナ東部のドネツク州等の「独立」宣言は、新疆ウイグル地区の「独立」を促すことになることから、中国が一方的にロシアに肩入れをしない理由になっているというのも納得できる議論である。
そしてこの新書の最後は、今回のロシアによるウクライナ侵攻が、オバマ政権で副大統領であったバイデンに責任があるとする議論で締め括られることになる。これは、副大統領のバイデンが、もともとNATO加盟には慎重であったウクライナの親米派を焚き付ける形で、ウクライナのNATO加盟を強く促しながら、いざ大統領となり、ロシアの侵攻が懸念される状態となると、「ウクライナはNATOメンバーではないので、(直接の)介入は行わない」とプーチンに告げたことで、プーチンは「安心して」ウクライナに侵攻する決断を下した、という見方である。戦争開始後、ゼレンスキーが、ロシアの空爆を阻止するため、ウクライナ上空に飛行禁止区域を設けるようNATOに依頼したが、NATOは、これは直接NATOとロシアの軍事衝突を招く、という理由で拒否した。これが冒頭のゼレンスキーによる「西側はウクライナを見捨てた」という発言となるのである。そして更に言えば、この戦争により、米国ないしはバイデンは、@息子のハンター・バイデンのウクライナ疑惑を揉み消せる、Aアフガニスタンでの米軍撤退によりNATO諸国から失った信頼を回復できる、B米国から欧州へのLNGを含めたエネルギー輸出を増やせる、といった利点がある、ということになる。
これは面白い議論であるが、ややうがった見方である。もちろんある時点でウクライナにNATO加盟を促すことはあったかもしれないが、それはその時点での外交辞令という側面もあったと思われ、ロシアとの関係を踏まえて、それを本気で進めるかどうかは、まさにウクライナの政治指導者の決断である。また戦争開始後、米国あるいはNATOが直接介入を控えたのは、まさに第三次大戦への発展を懸念したからで、現時点での軍事援助を含め、米国のみならず西欧諸国もギリギリの判断を行っていることは否定できない。冒頭で「欧米に裏切られた」といったゼレンスキーも、むしろ現在は欧米からの援助を引き出すことに懸命となっており、単純に欧米を非難することはない。そして何よりも、この戦争の責任は、侵攻という判断を下したプーチンにあることに変わりはない。もちろん国際政治の中では、情報工作を含めた多くの「陰謀」が渦巻いていることは確かであり、戦争で利益を得る勢力の様々な策動があることは確かである。しかし、現在の欧米の負担を考えると、この戦争で利益を得るよりも経済的な負担が圧倒的に大きいことは否定できないだろう。とは言っても、この著者が、中国のみならず、ロシアや欧米の全ての当事者を、単純に評価するのではなく、常に批判的に見ている姿勢は評価できる。この80歳を越えた中国専門家の議論は、引続き時折眺めていくことにしたい。
読了:2023年9月17日