「中国」という神話
著者:楊 海英
中国出身の静岡大学教授(当時)による、2018年1月出版の中国論である。読み始めて直ぐに、著者は、内モンゴル出身のモンゴル系の中国人であることが分かる。そうした著者の出身地を含む「内陸アジアー東のモンゴル高原から西の黒海沿岸まで続く草原地帯」からの視点で中国の過去を総括しようという試みであるが、その内実は、漢人によるそうした地域支配に対する激しい批判の書である。
中国の北部から西部にかけては、内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、そしてチベット自治区があるが、こうした地域の抵抗や反乱が、歴代の中国の王朝の崩壊を促してきた。そして現在もその地域には解決できない民族問題が存在しており、それ故に共産党政権もこの地域の平定に強権を発動してきた。そしてそれは、これらの地域の植民地化と強引な「中国化」を進めるという政策であった。その実態はどうであったのか、そしてそれにより問題は解決できたのか?著者は、それを、そもそもこれらの地域は、共産党政権を含め漢人支配の中国が主張するような「中国」ではなかったーそれは「神話」であるーとして、批判的に検証していくのである。
そうした辺境地位を含む「偉大なる中国」という神話はいかにして作られたのか?著者は、その手法として@「結婚」による民族政策、A絵本による洗脳、B「英雄」の自国化、C地名と文字のイメージ操作、D暴力による弾圧、そしてE「テロ」というレッテル貼りが用いられたとして、夫々を論難していくことになる。以下、ポイントだけ簡単にまとめておく。
「結婚」による民族政策で取り上げられるのは、紀元前33年に漢王朝から匈奴に嫁いだ王昭君、あるいは下って唐の時代にチベットに嫁いだ文成公主という女性を巡る「神話」である。現代の中国では、彼女たちは、漢と匈奴やチベットの平和と友好に貢献した女性として描かれているが、実際は中国から、軍事的に強かった匈奴やチベットに差し出された人質で、「中国の屈辱の物語」であったという。こうした通婚の歴史について、そもそもこうした地域が中国の支配下にあり、彼女たちは、これらの国を平定するために使わされ、それに貢献した「民族団結のシンボル」という評価が与えられ、中国の歴史教育の一環として教科書等で取り上げられているという。しかし、著者は、日本人学者の研究も引用しながら、こうした地域がもともと中国の地方政権であったとする見方に対して、これらは独自の国家であったと主張する。そして共産党政権は、文化大革命の中、こうした地域、就中内モンゴルでは大量の虐殺を行い強権的な中国支配を固めたということになり、この時期に共産党政権の理論的イデオローグとなった地域の歴史学者、林幹の御用学説が批判される。そうした御用学者の議論を批判してきた内モンゴルの反体制研究者ムーノハイが紹介されているが、当然ながら彼の著作は中国では禁書とされることになる。
次の章では、こうした御用学説の子供に対する愛国主義的な洗脳教育の一環として「絵本」が使われていることが紹介される。特に新疆ウイグル地区では、1989年5月のイスラム教徒による大規模な反政府抗議集会が開かれたり、2008年以降は、ウルムチ市等で「テロ」や「暴動」等が発生したこともあり、この地域の愛国主義的な歴史を子供たちに洗脳するための60冊からなる絵本が作成され、教育現場に投入されたという。著者は、古代から現在までをカバーするこの絵本の主要内容を、挿入されている挿絵等と共に紹介している。内容は、新疆が中国固有の領土であることを強調するという、自ずと知れたものであるので、詳細には立ち入らないが、元朝や清朝を「中国」として扱う等、「オリエンタリズム」的視点で描かれているという指摘が面白い。続けて、こうした素材を含めて、辺境地域の英雄が「中国の英雄」として描かれている姿が示されることになる。
その典型はチンギス・ハーンで、最近の欧米や日本の研究では、かつての残虐な侵略者という評価から「世界史の創造者」や「平和国家の先駆け」というイメージに変貌、定着してきた。その彼は中国では「ヨーロッパまで遠征した唯一の中国人」といった評価が、共産党政権以前の魯迅などの記載でも行われており、その結果全く「面白くない」人物像に貶められているとする。またチンギス・ハーンを祀る祭殿が、共産党のみならず、中華民国や日本軍などによる政治利用から流転を繰り返したり、文化大革命で破壊されたりし、またそこでの祭典にも、時の政治情勢が露骨に反映されてきたことが説明されている。現在は内モンゴルにあるこの「八白宮」は修復され、国宝にも指定されているというが、そこでの祭儀や訪問者は厳重に監視され、時には外人訪問客の逮捕者等も出ているという。また下世話な話しではあるが、ジンギス・ハーン関係の観光土産は人気商品であるが、モンゴル人が取り扱うと「分裂主義」、「民族主義」となることから、中国人が独占しているそうである。著者は、それは「自治区の書記が必ず中国人でなければならないという政治構造とも重なって、一種の独特な社会主義流植民地体制が形成されている」とするのである。
「地名と文字のイメージ操作」で取り上げられているのは、「中国とその北方に暮らす内陸アジアの遊牧民との間に(遊牧民ではなく、中國人によって)引かれた政治的・文化的ラインである」万里の長城である。この長城は、清代に至るまで中華と匈奴の境界であったが、現代に至るとそれと異なる位置付けーそれは例えば日中戦争時には「打倒日本」のための「漢蒙一致」の拠点といったようにーがなされていった。それは中華圏を広げるための意識操作であり、それに従い、それまでは侮蔑的、差別的であった長城外の地名をより融和的な漢字を当てはめるように変えていったという。それにも関わらず、長城外の人々の意識が変わることはなかった。そしてそれは文化大革命の中での、内モンゴル、新疆ウイグル、そしてチベットでの大虐殺となっていくのである。
それは「暴力による弾圧」であった。特に内モンゴル地域では、中ソ論争でソ連への懸念が高まる中、ソ連への留学生を中心に、モンゴル人の指導者たちが大量に粛清となる。また新疆ウイグル地区については文革時代の資料は残っていないというが、その後の民族主義的反政府運動が、文革の混乱期に「秘密裡に組織」されたテロ組織によるものとされ、現在に至る弾圧の根拠となっているという。そしてチベットでは、文革前の1959年の人民解放軍の侵攻(ダライラマの亡命)で、多くの犠牲者が出ると共に、仏教寺院の廃棄に繋がったことは良く知られているとおりである。その他、ベトナム国境に近い広西チワン族自治区では、文革時代に、人民解放軍兵士によるカンニバリズム等も行われていたという気味の悪い話も紹介されているが、この辺りの真偽は不明である。そしてこの書は、新疆ウイグルでの「テロ」が、自らの領土を守ろうとするウイグル人の運動であり、その「テロ」は漢人側が張ったレッテルに過ぎないと断じて終わることになる。
こうした中国辺境地域の民族的反対派は、共産党政権の硬軟織り交ぜた攻勢により、厳しい立場に置かれていることは言うまでもない。そしてそれを打ち破るべく、著者のような国外に逃れた反対派が必死に声を上げている例が、この著作である。それが現実政治にどれだけ効果を及ぼすかは、正直余り期待できないが、少なくともこうした著者が、日本等で中国当局の迫害を逃れながら声を上げ続けることができることは祈っていたい。
読了:2023年12月11日