上海 特派員が見た「デジタル都市」の最前線
著者:工藤 哲
1976年生まれの毎日新聞記者による、2022年2月出版の新書。著者は、これ以前に北京で5年過ごした後、2018年から2020年秋までの約2年半を上海に駐在したということで、その上海時代の報告となっている。副題の通り、中国、就中上海を中心とした中国のデジタル化や、最後は新型コロナの影響などが取材の中心となるが、全体的な印象としては、日本で支配的な中国の地政学的な脅威や、一党独裁による監視社会と政治的抑圧の強化といったこの国の負の側面には余り言及せず、むしろ副題のとおり、先端産業の成長によるこの国の成長の様子、あるいは日本との関係においても、相互に進む旅行や文化を通じた交流の深化等に焦点を当てることになる。その意味でやや楽観的な印象が強いものであるが、実際外国に駐在していると、その国を好きになる人間と、負の部分が心に残りその国を嫌いになる人間の二通りがいるのを私も度々見てきた。私自身は、過去3回滞在した国に対しては全て前者であったが、この著者も私と同様、駐在した国や地域に対し親しみを感じるタイプなのだろう。しかし、それが社会全体の雰囲気の中で受け入れられるかどうかは、また別問題である。文章は平易で簡単に読み進めることができるが、詳細に立ち入る必要はないと思われるので、ここでは簡単にポイントだけ整理しておくことにする。
上海での記者としての日常生活の様子から始まるが、予想された通り、ネット規制は日常茶飯事で、キーワードによる情報遮断が行われていることは良く知られている通りである。スマホ決済などのキャッシュレス、デジタル化が急速に進んでいるというポジティブな側面。他方鉄道での手荷物検査の徹底などは、監視社会中国の姿そのものである。そして取材については、当局お薦めの宣伝取材と、新疆ウイグルなどの係争地での規制が極端に異なることも現在の中国の特徴そのものである。
まずは、スマホ決済などのキャッシュレス、デジタル化に関わる様々な新しいサービスの事例が紹介されるが、これはもちろん日本でも課題となっている事例が多い。違うのは、日本の場合は導入までの規制が厳しいことから、新規サービス開始が簡単ではないのに対し、中国ではそれは容易である反面、企業の新陳代謝が激しいことで、これはスタートアップ参入者にとっては中国の方が有利であると言える。
続いて、日中の草の根交流の深化が紹介される。これも良く言われることであるが、政府による日本(外国)文化流入に対する各種制限にも関わらず、アニメや旅行を中心に、中国の一般庶民の間での日本物への嗜好は高まっているという。ただ少子高齢化等に係る日本の社会問題を扱う書籍の翻訳が出版され、それなりに売れている、というのは初めて聞く話しであった。もちろん、表面は繫栄しているように見える日本が多くの問題を抱えていることを知ることで「溜飲を下げている」という側面もあるのだろうが・・。馬雲の調査で発掘された、「燃えろアタック」の主演を務めたが既に引退している女優が、中国で歓迎されたというのは面白い話である。また旅行については、飛行機であれば2時間で行ける九州を始めとする西日本が、中国人にとっても気楽で、それらの日本の自治体が上海などで懸命のマーケッティングを行っているのも良く分かる。もちろん、これはその後のコロナ禍で小休止し、現在もまだ本格的には戻っていない状況だが、中国人の「オーバーツーリスム」問題を考慮すると、この復活は日本にとっても功罪相半ばするところであろう。
「中国社会はどこに向かうか」では、中国での野球熱の高まりや、(私もかつて一回限りの杭州訪問時に、外から本社をちらっと眺めた)「アリババ・キャンパス」等での各種実験、更には「インターネット裁判所」等が紹介され、それが他方でスマホ依存による若者の健康悪化や、過剰労働を招いているというコメントも添えられている。ただ馬雲が政府から圧力を受け、退任した経緯やそれがアリババなどの先端企業にもたらした影響などについては全くコメントされていない。そしてルポの最期は、2020年初頭以降のコロナ禍での武漢取材などの報告であるが、もちろん武漢での取材制限には触れられているが、どちらかと言うと政府による「ゼロ・コロナ政策」が奏功したというポジティブな評価が目立つ議論になっている。新書は、著者滞在時の二人の上海総領事へのインタビューで締め括られることにあるが、これは外交官職にある官僚の公式トークの域を出ない。
著者がここで意図しているような、「草の根」での相互理解を進めることは、近隣諸国との外交上一定の意味を持つことは言うまでもない。しかし、残念ながら、現在の中国共産党政権の下では、そうした「草の根」の庶民感覚が政策決定に影響を及ぼすことはほとんどあり得ない。そうした違和感は、この新書を読んでいても頭から離れることがなかった。そしてそれは少なくとも私が生きている間は変わることはないであろう。かつての短い滞在を除けば、私がこの国を訪れることは今後ほとんどないと思われるが、そうしたこの隣国の光と影は、常に意識していなければならないだろう。
読了:2024年4月29日