アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
インド
インド 厄介な経済大国  
著者:エドワード・ルース 
 インドではここ一カ月ほど、下院の総選挙が行われていたが、ちょうど今週18日にほぼ結果が固まり、ガンジー王朝が率いる国民会議派が過半数近くを獲得する地滑り的な勝利を収め、政治の安定を期待した株式市場がストップ高の急騰、面白いことに、他のアジア市場でも、「インド・・」という名前がついている会社の株が、直接インドとの関係はないにも拘らず連想で買われるという現象まで起こっていた。1991年以降、国民会議派のマンモハン・シンが首相を務めていたものの、これまでは少数与党の連立政権であったことから、政策運営が膠着する傾向があったというが、これで政権が進めてきた経済自由化を基本とする路線がより明確に打ち出されるのではないかという期待が市場に溢れたのである。新聞には、暗殺された故ラジブ・ガンディーの妻であるソニア国民会議派議長(「教育のないイタリア人の主婦」)や、その長男で、今回多くの遊説を行い勝利に貢献したといわれるラウールの写真が連日掲載され、折からのスリランカでのタミル・タイガー(「タミル・イーラムの虎(LTTE)」)の全面敗北とその伝説的指導者パラブハカラン(Velupillai Prabhakaran)将軍殺害による30年続いた内戦の終結という話題と共に、「インド関係」記事が当地の新聞の多くのページを埋めることになったのであった。

 日常的な業務でも、この国は私の担当地域であるが、今まではまだあまり手をつけることが出来ていなかった。しかし日本からの新しい商品開発の要請もあり、まさにこの国へのコミットを強める方向での検討を行うことになった。中国と並ぶアジアでの人口大国であるインド。かつて1回だけムンバイを訪問した時の印象は決して良いものではなかったし、その後昨年秋にはテロリストによる、私もその時宿泊した高級ホテル襲撃・無差別テロ、という事件もあり、やや一歩退いて見ていたが、足元こうした要因からこの国をもっとしっかり見ていく必要が高まってきたのである。

 こうした中で、4月の日本滞在時に購入したこの本を読み始めたが、折からのインド情勢の急速な展開もあり、いっきに読み進めることになった。著者は、ファイナンシャル・タイムスのインド特派員。特派員になってからか、その前からかは分からないが、インド人と結婚し、4年特派員として勤務した後、1年の休暇をとりこの本を書いたという。ちょうどドイツに行った直後に、同じFTのドイツ特派員であるD.マーシュのドイツ論を読んで非常に役に立ったように、この本は、タイトルから想像されるよりももっと広範に、インドの政治、経済、宗教から文化一般までカバーしており、インドへの「入門書」的な読み方ができる。他方、確かにここシンガポールは、インド人人口も8%前後と多いことから、インドは身近に感じるが、しかし実際には経済・社会は大きく異なっていることから、かつてドイツを中から感じながらマーシュの本を読んだようには、この本の世界に入っていくことはできなかった。それはあくまで傍観者として見るインドの勉強にとどまっている。これから、ここでの知識を如何に内部からの知識にできるかどうかが、私自身の課題として問われることになるのである。

 「不思議の国」インド、というのが、まず全体を通しての私の率直な印象である。そこは中国と同様、古代文明発祥の地であり、膨大な文化的遺産と数多くの知的偉人を輩出した歴史を持つと共に、現代ではITソフトの開発分野で世界を席巻しつつあるものの、他方で国内には依然としてアフリカの国民と同じような生活水準の膨大な貧困層を抱えている。中国と同様、アジアの大国として今後の世界経済の成長の牽引役になるのは間違いないが、その過程とスピードは全く予測がつかない。こうしたインドの未来をどのような視点から観察するのが最も妥当なのだろうか?そうした問題意識をもって読み始めたのである。

 まさに著者も、その疑問から始める。物質文明を超えた精神を与えてくれるインド。ビートルズやJ.マクラグリンを始めとしてインドに取りつかれた芸術家やミュージシャンは枚挙にいとまがないが、ここでもまず著者はオーロヴィルという町でインド哲学の修行にはげむフランス人男性との出会いから話を始める。「深い哲学に支えられた特別な文明」という西欧からのインドに対するイメージは、確かにこの国の人間の自尊心を満足させるものであった。しかし、これとこの国の貧困は相いれるのだろうか?他の国でも多かれ少なかれ同様であるが、この国は、そうした外部からの思いを誇りに感じているだけに、伝統と折り合いながら、新しい流れを作っていくことが一層必要になる。更に国土と人口の大きさは、それ以上に、この戦いを困難にしている。著者がまず取り上げる20世紀インドの3人の重要人物、モハンダス・K・ガンジー、ジャワハルラル・ネルー、そしてビームラーオ・アンベードガルは、この戦いで最も影響力を残した人々であるという。

 言うまでもなく、それまで少数のエリートによる「紳士クラブ」的な独立運動を大衆にまで拡大させたガンジーの手腕や、彼の暗殺後、独立インドの建設を担ったネルーはよく知られている。最後のアンベードカルは、私が初めて聞く名前であったが、彼は「ダリット」と呼ばれる最下層出身で初めて外国で教育を受け、名を成した政治家として、下層民の地位向上に大きく貢献したという。しかし、彼が現在のインドを見たら嘆くであろうと著者は書いているが、「カーストは、儀式的、職業的なルーツからは切り離されてきたとはいえ、今もインド社会に厳然として残っている。」そして北部農村部では、むしろ下位カーストが結束し、犯罪行為も含めマフィア的な政治勢力を形成しているという。

 しかし、独立インドに最大の影響をもたらしたのはネルーであったという。ハーロー・ケンブリッジ卒業生である彼は、英国に抵抗しながらも、その「エドワード朝の刻印」を隠すことなく、フェビアン協会の影響下、最終的には英国の支配機構を利用する形で、国家主体の社会主義路線を進めた。しかし消費と効果的な土地改革は犠牲にされ、私企業や金もうけ主義(市場型経済)への不信感は、結局1991年、悪名高い「ライセンス・ラージ」(外資規制)が撤廃されるまで続くことになった。他方で、ネルーの「世俗主義とコミュナリズムへの強い軽蔑」は、独立インドで民主主義を形成する基盤になった。国内で多様な民族と宗教を抱え、それが主因で国家の分裂も経験したが、欧州のような悲惨な全面戦争を避けながら暴力を必要としない社会闘争を基礎とする多元主義的な民主主義を作るのに成功してきたとも言えるのである。こうした矛盾に満ちたインドを著者はどの視角で切り取るのだろうか。

 まずは近代と中世が共存する現代インドの矛盾は、上記のネルーの経済政策の失敗が原因であったと考える。それはまずスワデシ(国産品愛用)を目指す経済で、国家が主要な役割を果たすという構想であったが、その国家は貴重な外貨を国営の製鉄工場やアルミ精錬所、中産階級のための大学や病院に投資し、土地改革による穀物生産の拡大や下層階級も含めた教育や医療制度の充実は後回しにされた。結局「政策エリートが夢見るインドの将来像と、一般のインド国民が必要としているものの間のギャップはあまりに大きかった」のである。その政策の結果は、娘のインディラが首相であった1967年のルピー切り下げと食糧援助のための国際援助の要請として顕在化したという。そして1991年、第二の危機が、石油価格急騰による外貨準備の枯渇と実質国家破産という形で襲う。IMFの緊急支援と通貨切り下げ、そして保有する金の大半の、担保としての英国への引き渡しと、「自前の経済を建設するというネルーの社会主義の夢」が挫折して、結局かつての宗主国英国に頼らざるを得なくなったのである。

 こうした国家危機の反面で、ネルーが残した英語教育とエリート工科学校5校が、90年代のインドのIT革命を生むことになり、ここで成功した若者はドル長者となる。マクロ的にもソフトウェア産業は外貨獲得で貢献し、1991年に破産した国家経済を、2003年には石油輸入のコストを上回るドルを稼ぎ、2006年には1400億ドルの外貨準備を持つまでに回復させることになる。

 しかし、それでもインド経済はサービス部門が2006年に国内経済の5割を占め、農業と工業が残りを二分しているという構造であるが、農村部の極端な貧困が大きな社会問題となっている。90年代以降比較的順調に経済を回復させたシン首相も、農業の近代化と農村失業者の都市での吸収を目指しているが、支配階級に残る「ガンジー主義的」な「農村の神聖視」が改革を阻んでいるという(都市特権階級出身の農村運動家の活動のルポ)。

 興味深いのはインドの労働者人口構成である。総人口4億7000万人中、「組織化」部門と呼ばれる正規経済システムで雇用されているのは僅か7%の3500万人(これが所得税を払っている人々)で、他は「非組織化」経済の中にいる。「組織化」部門中、2100万人は政府の直接雇用者で、民間は1400万人。結局、経済は発展してきているが、他方で「国民の大多数に職を提供できずにいる。」2005年で、製造業部門で働く中国人が1億人であるのに対し、インドではたったの700万人である。中国の労働集約型の経済発展は、多くの国民の生活水準を引き上げたが、インドの資本集約型の経済政策は、国民に雇用をもたらさず、一部の富裕層を生み出しただけだった、というのが最も重要なここでのポイントである。

 同様に、「農村住民への初等教育をなかば犠牲にして」中流階級向けの大学を育成してきたという教育政策では、IT企業の成功者を生み出す反面で、国民全体の識字率が依然65%程度に留まる(中国は90%)という。こうしてインド経済には「未来と過去が奇妙に同居」することになる。そして著者が更にとまどいを覚えるのは、「1991年の経済自由化への転換から最大の恩恵を受けてきたエリート層が(中略)、彼ら特権階級のための近代化を享受しながら、農村を古い封建制の中に閉じ込めようとしている」ことだと考えるのである。

 インドの公共部門の姿はそれ以上に問題を抱えている。著者に言わせると、インド公共部門の公式は、独占+自由裁量=腐敗だという。あるいは腐敗を避けるためには「何もしない」のが最良の選択である。一方で腐敗して金儲けをした役人が称賛されることすらあるという。そして「インドの行政システムは、どんな小さな変化にも抵抗しているようにみえる」として、文書の添削を緑や赤のインクで行うことを認めるかという大論争をおちょくっている。公務員の給与は、民間セクターの成功している企業の雇用者に比べればずっと低いが、住宅や電話・電気、ファーストクラスでの旅行等多くの特権があり、尚且つ、憲法で公務員を降格させることはほぼ不可能になっているという。しかも、こうした公務員の腐敗は、1991年の「ライセンス・ラージ」の廃止により、中産階級や大手民間企業が活動する「組織化」経済のもとでは目立たなくなっているために、「大多数の貧困層の生活に今でも影響力をふるっている」ことが見えなくなっている、という。インドが独立後、中国と異なり何とか飢饉を克服してきたのは、その民主主義の成果であったと言えるが、反面で識字率、結核、栄養不足といった面で「貧困層を守ることにおいて全体主義の中国に比べてずっと劣っている」。公務員(そして裁判官でさえ例外ではない)による、貧困層への食糧援助制度や公共工事での労働者からのピンハネや賄賂などを含め、結局インドの独立後の発展は、貧困層の犠牲の上に築かれたものであると言えるのである。この章の終りでは、リンチさえも日常化している警察活動の実態や、地方経済でのマフィアの台頭と労働現場の関係等に関するルポが報告されている。

 第三章は、インドのカースト制とそこにおける最下位カーストの台頭についてである。昔覚えたインドのカーストを整理すると、@ブラフミン(バラモン):僧侶階層、Aクシャトリア:兵士階層、Bヴァイシャ:商人階層、Cスードラ:農民、下僕、歩兵等、そしてDアウトカースト(不可触民)である。

 冒頭に現代インドの3人の偉人として触れたアンベードガルは、このうちのアウトカーストの出身であり、カーストの差別と戦った人間であるが、彼の後も、同じような戦いは至る所で行われており、著者は多くの取材報告を記載している。同時に、彼の努力の痕跡はほとんど残っていないとして、現代インドは「百万の反乱の国」になってしまったとも言う。多くは下位カーストの上位カーストに対する戦いだが、それ以外にも下位カースト間、上位カースト対ムスリム、上位カースト間等。しかもこれが時として「敵の敵は味方」ということで、思いがけない同盟関係が結ばれることもあるという。これがインドの政治構造を決めることがある。著者はまず最下位カースト出身のラウーが政権を握るビハール州を取材し、警察が関係している誘拐事件の黒幕と言われているこの政治家へのインタビューを試みる。2005年にこのラウー地方政権を倒したのは、別の下位カースト出身者が率いる政党と上位カーストの政党の連携であった。

 中央政界でも、構造は似たり寄ったりである。二つの全国政党は、国民会議が世俗主義を標榜し、すべての層に、またヒンドゥー至上主義のBJPは、ムスリム・キリスト教以外のすべての有権者にアピールする(ヒンドゥーは人口の85%)。これに下位カーストの政党が、自分のカーストという狭い範囲で強力な集票力を持っているという。これらの政党が合従連衡を繰り広げるのが、インドの政治だというのである。最下位のカーストは日本の部落民と同様に、「政治を上位カーストへの復讐の手段として使い、低い社会的地位を与えられたことへの補償を引き出そうとしている」。インドの「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」は世界最大だという。そして「このシステムを拡大することが、下位カースト政党の唯一の政策課題だ」という。丁度、今日(5月31日)、NHKの衛星放送で、インドの選挙のルポをやっていたが、とにかく政党数が330あるというのだから、驚きである。またここでも取り上げられていた大衆社会党のマヤワティは、州政府の首相になるや否やブラフミンの公務員いじめを始めたというが、最大の優先課題は「ダリットに、より多くの政府の職を与えること」であるという。しかし、こうしたカーストの対立も、北部に比べると、南部は少しづつではあるが解消に向かっているとして、タミル・ナードゥ州での市民社会の発展を紹介している。ただそれはまだ局地的な現象に留まっており、圧倒的に広い農村部ではそれは「衰える兆しをほとんど見せていない」という。

こうしたインドの政治でもう一つの大きな勢力はBJP(バラティア・ジャナタ党)である。1998年から2004年まで連立政権に参加したこの政党は、ヒンドゥー至上主義を標榜し、歴史のヒンドゥー的な書き換えを含めた政策を実行してきたとされる。

 著者に言わせると、ファシズム(ムソリーニの黒シャツ隊)を模範として組織されているこの政党は、「国家を大地に深く根ざした有機的組織」とみなす初期の指導者の著書をバイブルとして行動している。彼らは「ヒンドゥーの体が軟弱になったことが、外部勢力にこの国を簡単に支配することを許した」と考え、その過激分子は、ガンジーの暗殺や1992年や2002年のイスラム教徒虐殺の暴動等を扇動したという。実際著者は、この政党の宗教組織所属の青年団の訓練を取材しているが、刀や空気銃を使用した武闘訓練を行い、地域暴動発生時は、こうした青年団の突撃隊が送り込まれているという。但し、この勢力の下位カーストとの関係は微妙であるという。というのは、BJPの政治家の多くが上位カースト出身で、この政党が躍進したのは、国民会議派が下位カーストを優先する政策を進めたことに不満を抱いた上位カーストの支持を受けたからであった。その意味では、カーストの分裂によって、こうした宗教至上主義が、直ちに国民的な流れにならない理由であるというのは、インドらしい、面白い現象である。そして90年代に躍進し連立政権に参加したこの政党も、その際擁立した国民会議派以外の出身で、初めての首班であったヴァジパイが、2004年になりイスラム勢力との選挙協力に舵を切ると、政権から追い出されてしまったという。この敗北直後、正統派ヒンドゥーの「法王」と呼ばれた有力僧侶が殺人容疑で逮捕されたのは、その凋落の象徴であった。しかし、その後、こうしたヒンドゥー至上主義は、より穏健化し、且つ禁欲的・自己否定的なブラフミン中心の政党から、経済面での政策も表に出した形で脱皮を図っており、著者もまだ「死亡記事を書くには早すぎる」とコメントしている。

 他方、インド政治の正統を担う国民会議派、なかんずくネルー・ガンジー王朝の歴史と現在は、ある意味でもっとも分かりやすいインドの姿である。

 「教育のないイタリア人の主婦」ソニア・ガンジーが「おせじと甘言と嘆願に屈して」いやいや国民会議派の党首に就任したのが1998年。夫ラジブが、タミル人自爆テロで暗殺されてから7年後のことであった。そのソニアが、2004年の勝利でいっきに注目を浴びることになる。この時、ソニアは首相を辞退し、マンモハン・シンを代わりに首相に任命した。これにより、その時まで毀誉褒貶の嵐の中にいた彼女は、突然「友人・賢者・導き手」であり「国家の救世主」になったという。マハトマ・ガンジーから、ジャワハルラル・ネルー、そしてその一人娘インディラから、ラジブを経てソニアに至る王朝の歴史が語られる。そして現在はラジブとソニアの子供であるラウールとプリヤンカ、特に今回の選挙ではラウールが会議派大勝の功績者としてクローズアップされている。

 この王朝の中で、実際のインドの国家形成を担ったのはネルーで、その3つの遺産―民主主義、世俗主義、社会主義―は現在まで影響を及ぼしいているという。しかし、この遺産のために、国民政党である会議派は、国内の各カーストや宗教集団と常にある程度の妥協を行なわざるを得ず、それがこの王朝の強さでもあり、弱さにもなった。著者は、この会議派の中途半端な政権運営をいろいろ例示しているが、また会議派の地方政治を担う何人かの重要な政治家の改革への取り組みについても報告されているが、これらは省略する。しかし、この本で書かれているやや否定的なイメージとは異なり、今回行なわれた選挙で会議派は大勝することになるが、そこにはここ数年の経済政策のそれなりの成功と、ラウールの人気があったというのが一般的な評判である。

 続いて著者はインドのモスレムについて、一章を割いて説明している。ガンジーが独立運動のためモスレム勢力を抱き込んだことを含め、会議派はモスレムとの距離に常に細心の注意を払ってきた。そのため、南アジアのイスラム正統派の拠点デオバンドでも、それなりにインドのモスレムは柔軟な思考ができている様子が報告されている。面白いのは、この勢力が、1930年代に叫ばれるようになったパキスタン建国の考えを、「分裂した国家を作ればムスリムのコミュニティ(ウンマ)を人工的に分裂させることになる」として支持しなかったという点である。

 パキスタンの独立も絡み、インドのモスレムには複雑な歴史があるし、また独立後のパキスタンとの関係も屈折したものであった。カシミール紛争や核開発競争はよく知られた事件であるが、双方にとって、夫々正当性を主張しうるだけに、今後も解決は簡単ではない。しかし、そうした社会にも変化はある。面白いのは、女子テニス選手でムスリムのサニア・ミルザが、短いスコートを禁止するファトワを無視するどころか挑発したという話し。またアフガン戦争から始まるジハードにインドのモスレムから参加者がほとんど出なかったのは、その民主主義の成果である、といった議論。しかし、それでも「インドが経済成長を続けるにつれ、ムスリム・コミュニティが中東で実践されるタイプのイスラムに引き込まれていく」という懸念は残るという。昨年末のムンバイ・テロに象徴される、パキスタン、あるいはモスレムとの緊張感は、決してなくなることはないのであろう。

 インド及び中国と米国の3国関係が、今後の世界秩序にとって重要である、という議論は最近至る所で聞くものである。言うまでもなく人口大国の中印が、経済力と軍事力を備えた時に大きなパワーを持つのは当然である。かつて「道徳大国」を目指したインドが、名実共に大国化する可能性はあるのか?

 ネルーの非同盟外交とソ連への接近から、90年代までは、米国は中国よりもインドを敵視し、例えばパキスタンへの武器援助を行なっていたという。1998年の両国による核開発と2002年5月の一触即発を経て、逆に米国との関係が強まり、中国との関係も、まだ確定しない両国の国境問題にも拘らず改善することになる。中印の経済関係も2000年代に入り、急速に拡大。それを受けて、2005年、ブッシュ政権は、インドの核保有の実質承認を含め、インドに急接近する。結局、米国は議会を含め、「中国の力を抑制することのほうが、大量破壊兵器の拡散を防ぐ、ルールに基づいた国際システムを築くことよりも重要だ」という考え方に転換したと著者は見る。面白いのは、中国と同様、インドも資源消費国として、米国などと同じ側に立っていること。またエネルギー供給国としてのイランとの関係が強いが、その安定供給のためには、パイプラインが通るパキスタンとの関係が重要になってくること。これらの要因は、米国や中国との関係において、時には協同し、また時には軋轢を生みながら、しかし決して無視しえない力となっているインドの今後の姿を示していると言える。

 最後に、著者は、改めて、新しいインドと古いインドを平行して論じる。IT長者やボリウッド映画に対比される女の胎児殺しや児童労働の現実。上位カーストの古い習慣は、徐々に弱くなっているとはいえ、引続き根深く残っている。そうした多様性がひしめく中、この国の今後の発展の鍵となる要因として、著者は4つの課題を挙げる。まず極度の貧困にある3億人の人々の生活水準の上昇、2つ目は自然環境の改善、3つ目はエイズの感染防止対策、そして4つ目は自由と民主主義の強化である。夫々著者の思い込みが強い分野で、実際インド人自身がどう考えているかは、まだ分からないが、少なくとも、こうした課題に今後インドがどう取り組んでいくかにより、この国の将来のみならず南アジアや国際政治全般のダイナミックスが変化していくことは間違いないだろう。そして、そうした多様性のあるインドの生の姿を自らの目でより仔細に見ていく時、この古いインドと新しいインドのダイナミックスの中から、この国の展開を左右するモメンタムを見つけることができるのであろう。まだそこに住んでみたいとはとても思えないが、それでも偶には毒に近いフグの刺激を味わってみたいという気持ちを抱かせる国であることは間違いない。

読了:2009年5月23日