インド特急便
著者:ダニエル・ラク
昨年5月に、ファイナンシャル・タイムズのインド特派員であるE.ルースの書いた「インド 厄介な経済大国」を読んだが、こちらは同じ英国はBBCのインド特派員によるレポートである。出版のタイミングも、その順であるようで、この本にルースの本に言及するところもある。そして双方の作品共、政治・経済から社会・文化全般のトピックス全般を追いかけていることから、同じような「ジャーナリストによるインド全体像」に関する報告になっている。その意味で、全体の印象は似たようなものであるが、そうした中でも取り上げているトピックスが微妙に異なっていることもあり、インドに関する情報を更に集めることが出来た、という印象である。
取り上げているトピックスは、もちろん重複するものも多い。どうしても現代インドを語る時に取り上げざるを得ないITから始まり、ガンジー王朝やヒンズー至上主義やカースト、貧困問題等々。しかし、ルースの作品が、よりマクロ的観点からの分析が多いのに対し、こちらの作品は、社会問題によりアクセントを置いた、ルポ中心の記載になっているように感じる。ひとつにはそれは、著者が、BBCという映像ジャーナリズムの専門家で、取材対象が、政治や経済といった映像生えしないものよりも、社会問題のような目に見える素材を追いかけてきた経緯があるのであろう。更に、この本では、昨今の急速な経済成長や人口構成上の有利さから、インドが「次の時代の超大国」となる可能性を秘めているという大胆な予測をより明確に主張している。しかし、そのための条件をこの国の近未来に模索しようとすると、その時、最大のボトルネックになるのが、この国内の社会問題であるのは明らかである。政治・経済・外交といったこの国の「派手」なマクロの動きの裏に、いうまでもなくカーストや巨大な貧困というミクロでの社会問題が重くのしかかっており、それをより鮮明に描くために多くのスペースを費やしていると言えるのではないだろうか。
著者は、アイロン職人ラームさんの話から、この報告を始める。しがない下層労働者の一人が二人の息子に「コンピューターを学ばせる」という夢を抱き、知り合いの多くから小額の金を借り、日々の仕事に身を捧げながら息子たちをコンピューター関係の仕事に従事する「ホワイトカラー」に育てたという話である。この1990年代初頭の話が、いわば現代インドの序章である。1991年の経済改革がこの国の目を覚ます。そして市場経済の下での経済成長をバックに、この世界最大の民主主義国として「リベラルな超大国」への道を歩み始めているという。しかし、こうしたインドの将来的な成長に異を唱える様々な勢力や個人もまた存在する。そうしたインドの全体像や将来を、どのように捉えたら良いのだろうか?
現在のインドを語る時にまずITの話から入るのは、凡庸であるがやむを得ないだろう。2000年問題を契機に大きく変貌したこの国の現在を、1989年の著者初めてのインド訪問時との比較で語っている。その頃のインドは、「海外からの直接援助は受け容れるが、自由な民間投資は認めない」「利益よりも、国民の幸福に重きを置く『社会主義型の開発』」を進めたネルーの経済政策が残っており、外国製品は締め出され、国産品が主流の世界が広がっていたという。この「ライセンス・ラージ」と呼ばれる国内産業保護政策は、「社員の雇用や解雇から、生産ラインの新設、資本投資、輸出入の許認可だけでなく、宣伝活動や新たな小売市場の開拓まで及んでいた」という。これが80年代に入ってからの世界的な景気拡大の恩恵からインドが取り残される原因になった。ところが、1991年の財政危機を経て、経済自由化に舵をきったことから、「国民のあいだに埋もれていた企業家精神が解放され」、インド経済の成長が始まったというのは知られているとおりである。
この成長を象徴するのが、バンガロールを拠点とする御三家―インフォシス、ウィプロ、タタ・コンサルタンシー・サービシズであるが、著者はそのインフォシスの創業者のひとりー禁欲主義者、ヒンドゥー教のスピリチュアリズムの信奉者であるナルヤナ・ムルティにインタビューし、起業までの道のりを簡単に描いている。
この流れが各地に広がるが、次の波は、デリーを中心とする「バックオフィス業務の事務委託」であった。デリー郊外、グルガオンと呼ばれる地域にある工業団地で、金融業界の補助的業務を請け負っていたeファンズという会社が、「コールセンター業務」で急成長する。こうした所謂「BPO」が、その後の世界的な流れに乗り、急成長するが、インドのメリットは、米国との適当な時差と英語能力であったという。またこうしたインドでのBPO革命に大きく貢献したのがGEのジャック・ウェルチであり、逆にこの業界も彼「一流のビジネス・モデルの厳しい洗礼にも見舞われ」成長したという話は面白い。また2000年代初頭、ITバブルがいったん弾けた際に、アメリカ本土で働いていた優秀なインド人が、そこで職を失いインドに帰還したことも、インド国内の基盤を強化したという(IT技術者を米国からインドに引っ張ったヘッドハンターの話)。
しかし、これもルースの本でも報告されているとおりであるが、こうしたIT産業の活況の裏には、「アフリカ並みの貧困」がある。バンガロールの洗練された複合施設では仕事のみならず、日常生活の用事も全て済ますことができる。しかし、そこを一歩出るとインドの闇が待っている。ヒューレット・パッカードの若い女性社員が、「会社から迎えに来たタクシー」に乗って殺害された事件は、こうしたハイテク・シティの住民が、本来のタクシーの運行状況を含めて管理しないと、まだまだ多くの危険に満ちていることを露わにしたという。ハイテク・シティのすぐ横には広大なスラムが広がっているのである。
著者は、ここで活動する「貧困撲滅運動家」を取材しながら、スラムの中に入っていく。汚物の臭気と凶暴そうな雑種犬に溢れた地域。しかしバンガロールのそれはまだましなほうであるという。ムンバイのスラムでは、市の常勤職員として採用してもらうために毎晩25匹のネズミを捕まえ続ける男を取材し、そのネズミ捕りに同行している。
こうしたインドの貧困を、よりマクロの視点から捉えるために、著者はインドの人口統計学の大御所アシシュ・ボーズ教授を紹介する。彼の唱えた「ビマル(BIMARU)説」は、インドの4州―ビハール、マディア・プラデーシュ、ラージャスターン、ウッタル・プラデーシューが、識字率、妊婦死亡率等々の貧困指標でどん底に位置し、しかも改善の兆しがない、というもので、論議を巻き起こすとともに、それを契機に一部で改善の兆しが見えてきたという。また彼は、人口統計学的な分析も踏まえ、インドでは女児の胎児の多くが堕胎させられていると指摘する。インドの根強い男性優位の風土がその要因である。「ビマル」の一つ、ラージャスターン州では、一方で首相や、首都ジャイプルの知事、そして州議会議長を女性が独占する一方で、いまだに幼児婚やサティの風習などが残っているという。またインドが簡単でないのは、そうしたジャイプル郊外の農村部の女性たちが、NGOの支援を受け、カーストによる差別やレイプ犯逮捕などの身近な問題に積極的に取り組んでいる他、農民の権利を主張するために、海外で行われるWPOの会議に出席したりするようにもなっているという。
著者は、いったん現在のインドを離れ、英国植民地時代の遺産という歴史世界に足を踏み入れる。功罪共存するこの時代、鉄道網や大規模灌漑施設、道路、首都ニューデリーなど英国時代に整備されたインフラと、何よりも英語文化の浸透が光の部分だとすれば、「タックス・ブリタニカ」と揶揄される税徴収を通した過酷な収奪や、ある英国歴史家が「アックス・ブリタニカ」と名付けた大規模な森林伐採は陰の部分である。そして、英国支配下で起こったいくつかの悲惨な事件―例えば1919年4月、インド北部アムリツァルで発生した英国軍による住民虐殺事件―は未だに年長者の記憶に残っているという。その結果、1997年のエリザベス女王訪問時に物議をかもしたように、そうした過去に鈍感な英国の対応は、インド側からの過剰な反応を招くことになった、というのは、日本でも周辺諸国との間で軋轢が続く「歴史問題」の恰好の例である。
インド独立前後までの記載は一般的なものなので、詳細は省略するが、著者が強調しているのは、パキスタンとの分割・独立というマウントバッテンの決定から実施まで僅か10週間しかなかったにも関わらず、両国はその間に「新たな国二つを建国するための基盤作り」を成し遂げたという点である。この分割に伴う悲惨な事件は限りなかったものの、著者は、この問題解決への集中力を「インド的アプローチ」と呼び、その後のインドのしぶとさの原点と見ている。
こうして成立し50年以上が経過したインドの「民主主義」―世界最大の有権者人口を抱える民主主義―の現在の姿を、著者は総選挙の取材をしながら報告している(昨年の一回前の総選挙であろう)。不正な選挙操作や投票用紙の略奪事件に加え、辺鄙な地域では「投票所の乗っ取り」なども発生しているというが、実際著者は、取材した投票所で、毛沢東派によるライフルでの銃撃による投票妨害を目撃することになる。
政治家の話は、どこの国でも同じである。この国でも映画俳優出身の政治家が町をめちゃくちゃにしたり、一族によるファミリー王朝が、スキャンダルにも関わらず生き延びていく例等が至る所に見られるという。もちろん、ネルー・ガンジー王朝は、その最たるものである。ここでは、インディラ・ガンジーの「政治的に好都合な名字は、疎遠となっていた夫の姓であり(中略)マハトマ・ガンジーとは一切関係がない」と、私の以前からの疑問(ガンジーとネルーの姻戚関係?)への答えが書かれている。ここでは、「この党が個人的な魅力や著名一族のネームバリュー以外に、一貫した理念を持っていない」ために、時代の変化にも関わらず、ネルー・ガンジー王朝が存続していると看破している。昨年の選挙は、この本には触れられていないが、足元この傾向はまた強まっていると言えるのだろう。
他方で、宗教上の緊張に乗じたヒンズー至上主義者とその党であるBJPの勢力拡大や、少数政党の乱立による連立政権の常態化など、一般的にインドの政治を語る時に指摘される問題にもコメントされているが、それはルースのコメントとも重複するので省略する。ただ最後に、著者は、インドの都市化とグローバルな商取引や慣行が広がる中、都市部の市民層を中心に合理的な政治課題を主張する利益集団も育ってきていることも主張している。
こうした脈絡で、著者の報告は、ガンジーに始まるインドの社会活動家の姿に移る。ガンジー本人の軌跡についても詳細に記載されているが、これは省略し、著者が取材している現代の活動家や知識人について少し触れておこう。
まずカウンセリングと心理療法を提供する支援組織を通じて活動する精神科医は、インドでのBPOビジネスの急速な成長が関係者の「燃え尽き症候群」を拡大させているという。また1997年に英国ブッカー賞を受賞した小説家アルンダティ・ロイ(女性)は、カーストの悲劇を描いたその小説の他にも、インドの核実験に反対の立場を表明したり、ダム建設がもたらす被害を告発したりしている。ダム問題については、「闘うジャーナリスト」パラグンミ・サイナートも積極的に発言・活動しているという。ガンジー主義者による理想主義的コミュニティーや、ミミズの養殖を通じた有機農業を慫慂するNGO等々、著者の報告は続くが詳細は省略する。
インドの教育問題。言うまでもなく、最高学府を出た一流の頭脳を輩出する半面で、人口の過半数が文盲というインド。著者はまず、その最高学府である、7つあるインド工科大学の一つで、最貧州のひとつビハール州にあるITTカラグプル校を取材する。結論は、「ほかの公共機関の例に漏れず、(運営は)官僚的な欠点に犯されている」が、「人材」は確かに素晴らしい、という。ここから「商業、金融、バイオテクノロジーやコンピューター業界の巨人に育っていけるのもうなずける。」
近代版の最高学府を取材した後、著者は、同じビハールで、かつて最高学府が存在したというナーランダー寺を訪れる。ここは5世紀に仏陀が教えを説いていた時代の中心地である。まずはボドガヤという町のマハーボディ寺院(仏教寺院)を経て、ラージキルという町のナーランダー寺へ。仏陀のパトロンであったマガダ国は、5世紀にこの町を中心に栄え、7世紀には中国の玄奘がこの地を訪れ記録まで残すが、その後遷都などもあり衰退し、11世紀には仏教そのものがインドから姿を消してしまったという。そして、アンコールやボロブドゥールと同様、ここも18−19世紀にかけて英国考古学者により、その存在が確認されるまで長い眠りについたという。著者は、現代のITTの原点がこの寺であったとして、この国の教育の伝統の深さに思いを巡らしているが、このあたりは、社会的考察と言うよりも、むしろ観光ガイドとして読むほうが面白い。
続いて著者は、バラナシ(ベナレス)を訪れ、このヒンズー教の聖地の観光ルポをしながら、宗教としてのヒンズーに思いを馳せる。基本的に多神教で、アミニズム崇拝等も混淆するこの宗教は、大きく分けると25になるという宗派の其々でまた内容が異なっているというが、基本は「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」を典拠にしている。そして根本的な教義は、ブラフマン(神)とアートマン(自己)の一体化を目指すことにあるという。しかし、現代の宗教全般と同様、現在それが顕在化するのは日々の儀礼などの単純な営みだけになっている。と言われても、あまりピンとこないが、これは別に新書版の「ヒンドゥー教」というのを後に控えているので、詳細はこちらに譲ることにする。
またヒンズーでより大きな問題は、言うまでもなく「カースト問題」である。最古のヒンズーの経典である「リグ・ヴェーダ」にこの根拠が求められるカーストであるが、形式上は現代インドではカーストをもとにした差別は違法である。しかし実際は、日本の同和問題以上に根源的である。現代インドでは、これも同和と同様「アファーマティブ・アクション」で、下位カーストには一定の社会的恩恵が与えられているが、逆にこれが下層カーストが利権として利用し、上位カーストでは益々差別意識が強まるという悪循環に入っている様子である。ルースの本でも取り上げている、独立時のガンジーの右腕であったアンベードカルのように、最下層出身で、国に貢献した人物もいるが、カーストは基本的には非常に固定的な階級である。し尿を集めて回る「掃除屋(スイーパー)」は、最下層の典型であるが、こうした職業をなくすため、公共トイレを広げる運動を行っているNGOもあるという。また当然近代化やグローバリズムが、この宗教・階級枠組みに変化を与えているが、しかし著者は、「地上でもっとも古いこの生き様への献身は少しも揺らいでいないように見える」と結論付けている。
宗教問題の次は、インドの核問題である。昨年(2009年11月)のムンバイ・テロも、インド側からはパキスタン情報部の関与が示唆されたが、依然多く発生している国内テロを含め、安全保障問題は、インドにとって重要な問題である。そしてそうした中で、1998年5月、インドは核実験を成功させ、核保有国になった。先に紹介した反核を主張する一部の知識人を除き、多くのインド国民はこのニュースに狂喜し、他方米国を始めとする核保有クラブを驚愕させたこの実験から既に10年を超える月日が経過し、今や事実上米国はインドの核保有を認めることになったが、少なくとも、この問題が、単に「国の威信を向上させる」ためだけのものであったとは、誰も考えないであろう。そして現在は、次第に周辺国家との経済関係が強化され、直ちに核が使用される脅威は大きくはないが、カシミール問題やチベット問題を含め、紛争の種は決してなくなっている訳ではない。こうした問題での緊張が頂点に達した時、何が起こるかは、決して楽観視することはできないだろう。
そして最後はインドの未来について。ここでの議論は、米国の一極覇権が近い将来終わった時、「アメリカと肩を並べ、あるいは取って代わる」可能性があるとすれば、それは「リベラルな超大国」となり得るインドだけだ、というものである。議論好きのインドの国民性が「リベラル」という側面の土台となり、それはもう一つの地域内の大国である中国には期待できないものである。もう一つの「超大国」となるための条件である軍事力は、現在はまだ貧弱であり、経験も乏しいが、他方で、国内で大災害が相次いだことにより、効果的な医療部隊派遣や災害救済のノウハウを学んだという。そしてかつては疎遠であった米国との関係改善が、インドの原子力政策を含めた軍備近代化に貢献するであろうと考える。中国との関係は、中国が「世界の工場」となり、インドが「世界のオフィス」となる形で安定化するだろう、と著者は予測する。少なくとも、現在既にエイズ問題やテロ・麻薬・国際組織犯罪対策、知的財産権保護や貿易規則、海外援助・開発等々、数多くの課題での国際会議で、インドは大きな存在感を持っている。こうした存在感を基盤に、少なくともインドが次代の「超大国」を目指していくことは間違いない、と著者は考えるのである。
もちろん、最後の「結論」部分で、著者が指摘しているとおり、現在のインドは、経済面では、産業インフラの整備、医療保障や公教育等、また社会面では貧困、エイズ、雇用等々、そして最後にパキスタンや中国を中心とする大きな外交課題等、多くの課題に直面している。こうした問題は、歴史や伝統に根ざした根源的なものであることから、数年単位では解決できるようなものではないのは明らかである。それにも関らず、著者は、「異質なものが共存する文化と、宗教的伝統、そして物理的な多様性そのものが、常に公然と議論が戦わされるような土壌をインド社会に与えている」という、ノーベル賞を受賞した経済学者アマルティア・センの言葉を引用し、これによって保持されてきた民主主義の伝統が、インドの未来に間違いなくポジティブな結果をもたらしていくであろう、と断言するのである。
インドが「次の時代の超大国」として、米国と肩を並べるたり取って代わるというのはあまりに楽観的な予測である。しかし、米国のように「世界の警察官」になることはなくとも、最後に述べられているように、国際社会でのインドの発言力がそれなりに強化されていくであろうことは間違いない。現在迷走中の日本の鳩山政権も、今年の年初インドを訪問し、将来的な経済関係の強化等を協議したようであるが、日本にとっては、言うまでもなく、もう一つの域内大国中国へのバランサーとしてのこの国の重要性が益々増大するのは確かである。そして私の日常業務という点でも、この国が近い将来の成長の契機を秘めていることも確かである。そうしたインドへのコミットメントをどのように深めていくか、というのが、今年の私の個人的な課題であることを改めて強く感じたのであった。
尚、昨年7月、日経新聞に掲載されたこの本の書評によると、「マンモハン・シン現首相が『元世界銀行職員の経歴を持つ』とか、インドは『石油と天然ガスを100%輸入している』とか、長年にわたるインド・ウオッチャーにしてはにわかに信じがたい間違いを犯している」とのことであり、この本の面白さの半面で、事実検証の甘さがあることを指摘している。
読了:2010年1月11日