インドが変える世界地図 モディの衝撃
著者:広瀬 公己
旧正月のスリランカ旅行に持参し、暇な時間に読み続け、帰国日の夜に自宅で読了した。NHKのデリー支局長、解説委員としてインドを中心に南アジアの取材を続けている記者による2019年10月出版の最新インド事情である。今回の旅行では、本来はスリランカの本を読みたかったのであるが、それがなかったことからこのインド本を持っていったのであるが、その著者自身が被害にあったスリランカの民族紛争を扱った本(「自爆攻撃 私を襲った32発の榴弾」)も書いているということで、これは今後目を通しておきたい。
モディ首相の指導する最新のインドの政治を中心に、この国の歴史的・伝統的な文化・習慣や、戦後の政治をある時期まで独占してきた国民会議派=ガンジー王朝の凋落など、幅広い話題を取り上げた分かり易い新書で、旅行中に読み進めるには最適である。
インドと言えば「IT/AI」ということで、まずは、このインドでのIT/AI産業の隆盛から報告が始まる。インドは「象」に例えられる。巨大で「動き出すと怖いが、なかなか動かない。」しかし、「その鼻ならば素早く動かせる。鼻に相当するのは、IT・情報産業だ。」そして日本も、経済産業省とインドIT省の間で、「日印デジタル・パートナーシップ」協力を合意し、産業技術総合研究所とインド工科大学(ITT)ハイデラバード校と画像認識で共同研究を進める。日本がIT技術者に不足する中、インドには技術者志望の若者が溢れており、その中からグーグルやマイクロソフトの幹部等、成功者も多い。そうしたインド系技術者を如何に引き寄せられるかがが日本の大きな課題であることは疑いない。ただ他方で、インド自体がそうしたIT技術者を使って、自国の経済・社会を変えるのは容易ではない。もちろんモディもそうした音頭をとり、依然遅れた農村部で、農業改革や社会のデジタル化を進める努力をしていること、そしてそこに目をつける日本企業もいることも報告されている。
著者は、こうしたインドの技術者が生まれる過程を説明しているが、まずは「ニキラム法」という二桁同士の掛け算の解説。なるほどと思える部分と、著者が示している例以外の複雑な研鑽はどうするのだろうという疑問もあるが、それは横に置いておこう。映画「奇跡がくれた数式」のモデルとなった、32歳で夭折した天才数学者ラマヌジャンの話。ITが「カースト制に名前や既定のない」職業であったことも、「低いカースト層出身者でも努力によって貧困から向け出せるチャンスが生まれる」ことで、優秀な人間を育てることになる。また社会構造的には、インドの農業や工業が、政府の保護政策(「世界経済とは距離を置く社会主義的体制や、外国資本の流入を制限する反植民地主義が生んだ国産重視の姿勢」)により守られる中で競争力を高めることができなかったのに対し、IT産業は、そうした政府の規制から自由であったこと、そして「孤立していた分だけ、IT技術やサービスで独自性のある価値を生むことができた」こと、更には印僑ネットワークや政府の早い時期からのIT重視政策が加わり、競争による成長を遂げることができた、という分析。転換点としての1991年の経済危機と、その後の貿易・投資の自由化と米印原子力協定締結に象徴される米国への接近。但し、貿易赤字と外貨不足はその後も継続している。「ルック・イースト政策」による日本への接近は、そうした中で打ち出されているようである。
仏教伝来に始まる日印関係は、戦後のインドの日本に対する友好的姿勢や日本からのODA支援などにより、良好な関係を維持してきた。特に日本のバブル崩壊以降は、日本にとっては新たな市場としてのインドへの注目と、それも考慮したインド経済危機への支援等で関係は強化されることになる。それがモディ首相の就任と共に、更に緊密な連携に進みつつあるという。インド経済の弱点―国内のインフレ、原油高、通貨ルピー安、雨不足の天候―に対する援助ニーズ。日本は特に、道路・鉄道・エネルギー、流通などの基本インフラ整備に対する支援に重点をあてている。その結果、地下鉄網の敷設と運行管理システム提供で、貢献しているが、その正念場が、事業規模の大きい新幹線プロジェクトであるという。それ以外に、進出する日本企業の業種や形態も多様化している。マルチスズキの成功例は、よく引用される例であるが、このスズキの進出が、飛行機事故で死んだインディラ・ガンジーの息子の忘れ形見であるマルチモーターズによる国民車量産計画のタイミングをとらえた進出であったことは、今回初めて知ることになった。
ナレンドラ・モディと、対照的な国民会議派ガンジー一族を比較したインド政治の歴史的俯瞰。2018年、グジャラートに忽然と現れたインド独立時の指導者の一人、サルダル・パテルの巨大な銅像。グジャラートの低いカースト出身のたたき上げ政治家という共通点のあるモディが崇拝する人物であるという。貧困家庭での少年期とヒンドゥ至上主義の「民族奉仕団」からインド人民党に参加する青年期。そのインド人民党は、「独立以来30年インドを率いてきた国民会議派に対抗する勢力として伸長する過程で、単なる民族政党・宗教政党から、インフラ整備や社会的公正の実現といった具体的政策を打ち出す団体に変化」し、1989年に初めて短命ではあるが政権を握り、1998年以降は安定政権を維持するようになる。グジャラートを襲った2000年の大干ばつと2001年の大震災。この2000年の大干ばつへの対応で、当時のパジパイ首相により州首相として送り込まれたのがモディであり、翌年の震災を含め、復興の陣頭指揮で頭角を現すことになる。しかし、2002年にこの州で発生したヒンドゥとモスレム間での宗教暴動。その責任を問われたモディは、「宗教的自由に対する重大な違反」を理由に米国ヴィザの発給を9年間に渡り停止される。
こうした危機を乗り越えるためにモディが注力したのが、経済振興政策であった。大規模国際会議場の建設から始まり、スズキ、フォード、タタ等の工場誘致をトップダウンで行い、「大震災からわずか3年で、グジャラートは元の水準に復興」したという。太陽光発電の導入や盗電対策を含めた電力改革による安定的な電力供給の確立、それによる農業・工業生産性の向上も「グジャラート・モデル」の重要なポイントである。これらの実績を基盤にモディはインド人民党の指導者となり、その政策を全国ベースで行うとして、2014年の選挙で、インド人民党を勝利に導き、首相に就任するのである。
この間、インド憲法に規定された「反植民地主義」、「社会主義」、「世俗主義」を掲げ独立後30年に渡り政権を担ってきた国民会議派は、「血族による権限継承の限界」もあり、退潮していく。ネルー、インディラ、ラジブと受け継がれてきた「血族による継承」は、後者二人の暗殺を経て、ラジブの妻であるイタリア出身のソニアに引き継がれ、現在は、その子供である長男ラルフとその妹ブリヤンカが継承中であるが、彼らは指導力に欠けているというのが一般的な評価である。また上記のインド憲法の3原則が、グローバル化の中で経済成長の桎梏になってきたが、国民会議派は、経済学者新首相の下でも、リーマン・ショック等もあり、国民を納得させる対応をすることができなかった。そこを突いたのがモディ率いるインド人民党であったという。そして、モディ自身は、人目を引くキャッチコピーや演説の名手で、大衆からの人気を確保しているという。
モディ政権の具体的な政策として特記されているのは、まず2014年の、突然の高額紙幣無効宣言。これは汚職対策という名目であったが、結局政府もその効果はなかったと事後的に認めることになるが、結果的に政権の求心力を強めることになったという。またそれまでは州ごとに異なっていた消費税の全国一律への変更も、国民経済の向上に向けての大きな前進であったとされる。また国際会議での存在感も独特で、2016年のCOP21では、それまでの排出規制反対の主張を翻し合意を主導したり(選挙前に乾燥や暑さという異常気象が続いた農村部へのアピールが動機であったとされる)、1997年にはインド首相として約20年振りにダボス会議に出席し、気候変動への積極的対応を訴えたという。他方、この本では触れられていないが、アジア地域の貿易自由化枠組みであるRCEPはインドが合意を拒んでいるというのも最近の話題である。
宗教問題も別に一章が設けられ説明されている。ヒンドゥ至上主義のインド人民党主導による「牛を守る運動」を巡るイスラム教徒との摩擦(2015年。モディは、イスラム教徒への嫌がらせをやめるよう求めた)、ヒンドゥ王朝の王妃を主人公とする映画で、王妃がイスラム教徒の男性と恋愛する夢のシーンがあるということで、有名主演女優が脅迫された例(2019年)、ネルーが「イスラム教徒に弱腰であった」として、教科書から削除された問題(何年?)、そして繰り返されるモスク襲撃(最大の騒乱は、1992年のアヨーディアでの事件)やカシミールを巡るパキスタンとの緊張等々。カシミール問題は、昨年も、パキスタン側のテロ攻撃やインドによる空爆など、現在進行形で「熱い」戦いが続いている。そしてこの本では取り上げられていないが、足元は、移民の受け入れを巡るイスラム教徒の排除が、全国的なデモを惹起している。この宗教問題は、簡単には決着しないこの地域の宿命的問題である。
原子力問題について、モディが来日し、原子力関連技術や部品の日本からの輸出を認める日印原子協定に調印したのが2016年と最近であることは知らなかった。元々パキスタンとの対抗から原爆開発を進めたインドは、「核拡散防止条約」の調印を拒んできたため、米国からの制裁を受けていたが、2001年の米国同時多発テロを受け、米国がインド(及びパキスタン)への制裁解除。続けて2007年に米印原子力協定を締結する。こうして「なし崩し的にインドへの核協力は進み、インドは孤立から一気に核開発を進める国の輪の中に入る」ことになる。福島での事故による原発への安全性への不安はインドにも残っているが、それ以上に「温暖化に配慮し、電力不足に対応できる」原発についての日本との協定は「おおむね好意的に受け止められている」という。原発技術の軍事転用を含め、核保有する地域大国としてのインドの軍事力増強については、パキスタンや中国との偶発戦争リスクを含め、今後も注視していかなければならないことは言うまでもないとしても。
外交関係については、「インドはどの国とも同盟関係を結んでおらず、公式の外交青書」にあたるものがない」というのが面白い。その中で、2014年、モディが首相に就任した後、最初に公式訪問したのがブータンであったというのは、2017年夏、ブータンと中国の国境付近のドクラム高原で中印軍隊の睨み合いがあったことが一因であるという。ただ、その時期以降、中印の経済関係は急速に改善していることから、中印紛争の歴史的課題であるチベット問題も含め、足元は落ち着いているようである。もちろん中国のインド洋諸国への影響力拡大は、インドにとっては懸念材料で、スリランカを巡る対応は、別途、今回この本を読んでいたスリランカ旅行記に記載した通りである。
こうして最終章の、インドの今後の進路についてのまとめに入る。2019年の総選挙は、国民会議派が、ブリヤンカという切り札を投入したにも関わらず、インド人民党の圧勝に終わった。特にモディによるメディアの巧みな利用が、その勝利の主因であったというのが著者の分析である。そしてインド人民党の中には、現在彼に対抗できる人間は見当たらないことから、当面モディの地位は安泰のように見える。他方で、彼が力を入れてきたエネルギーと農業改革はまだ道半ばである。また足元の米中経済摩擦も、インドが「漁夫の利」を得られるか、あるいは、行き場をなくした中国製品がインドに流れ込み、新たな中印の経済摩擦を発生させるというリスクもある。2020年に独立75周年を迎えるこの大国の動きが、今後のアジア全域の動きに大きな影響力を与え続けることは疑いない。
スリランカを旅行しながら、隣国インドについて考えさせられた新書であった。象は、触る位置によって見方が大きく変わるが、この新書は、その象をできる限り触る位置を広げ、全体として分かり易く説明している。この国に、今後個人的にどう関わっていくか、現在は見えない部分も多いが、それがなくとも、引続きこの国は注視していかなければならないことは確かである。
読了:2020年1月27日