ぼくと1ルピーの神様
著者:ヴィカス・スワラップ
先日、レンタルで観た映画、「スラムドッグ$ミリオネーラ」の原作本で、映画評(別掲)にも書いた通り、インド外務省の外交官であり、大阪総領事館にも駐在したことがある著者のデビュー作である。映画は、ムンバイのスラム育ちのジャマールが、兄のサリムと共に過酷な少年時代を送る中で成長し、幼い頃出会ったが、その後行方知らずになった恋人ラティカを探す中でテレビのクイズ番組に出演し、そこで見事全問正解し、大金を獲得、ラティカとも結ばれる、という物語である。しかし、その過程を、ムンバイのスラムや、そこでの孤児たちを餌にする大人たちの姿などを交え、赤裸々に描いている。映画を観た直後にブックオフでこの原作の文庫本が安く出ていたこともあり、早速読み始めたが、結果映画よりも面白く読了することになった。
基本的には映画と同様、スラム育ちの主人公が、テレビのクイズ番組に登場し、全問正解で大金を目の前にしたところで、詐欺を疑われ警察に逮捕されるが、その疑いを晴らし、大金持ちとなる話であるが、細部は原作と相当異なっている。ここでは、その違いを中心に残しておく。
まず主人公の名前が原作では、ラム・ムハンマド・トーマスとなっているが、これはラムというヒンドゥー名、ムハンマドというイスラム名、そしてトーマスというキリスト教名を重ねており、主人公は、成長過程で、様々な関係者と接する際に、相手の宗教に応じて、夫々の名前を有効に使ったとされている。それに対し、映画ではジャミールという名前が使われ、そうした宗教的なデリカシーは表現されていない。また映画で彼の相棒となる兄のサリムや、幼い頃にスラムで出会い晩春宿に売られるが最後は主人公と結ばれるラティカは、夫々、孤児院で出会った友人と、主人公が成長した後、売春宿で知り合った娘ニータという設定になっている。そして映画では設定されていない決定的な人物は、スミタ・シャーという女性弁護士である。彼女は、クイズでの詐欺容疑で逮捕されたトーマスの弁護のため彼の元を訪れるが、物語は、彼女に対して主人公が、彼の経験を話す形で展開していくことになる。そしてそのスミタは、最後に、主人公が過去に犯した殺人事件(と彼が思っていただけであるが)で、彼が救った少女であることが明らかにされるのである。
そしてトーマスがスミタに話す過去の経験と、それがクイズでの正解となっていった経緯が、映画よりも詳細に描かれていく。幼い時代のアイドル映画スターの同性愛疑惑や主人公を引き取って育ててくれたキリスト教神父の秘密(これも映画では描かれていない)、そして女優の邸宅で働いていた際に、宿舎の長屋の隣に越してきた若い娘のいる家族との経緯なども映画では取り上げられていない。その娘が、最後に逮捕された主人公を救う弁護士のスミタであったことは既に触れたとおりである。映画では、主人公とサリムをスラムから救い出したが、実は子供たちを障害者にして金を稼ぐ悪党として描かれたママンは、障害のある子供たちのための学校を経営する男で、主人公とサリムに音楽の基礎を学ばせることになる。その後二人が彼から逃げるのは小説も同じである。ただ映画では、その後再会したママンを主人公が射殺することになるが、原作では、主人公とサリムを汽車での強盗から救った殺し屋を使い、主人公が殺すことになる。タジ・マハールでの非公式観光ガイドとしての小金稼ぎも映画で取り上げられているが、最初に案内するのが、映画では西欧人夫婦であるのに対し、原作では日本人夫婦になっているのも笑ってしまう。そして物語の最終局面で、クイズ番組の司会者プレム・クラールに主人公が告げる「この番組に出たのは、お前に復讐するためだった」という言葉。この司会者は、彼が働いていた元女優や、売春宿で知り合って彼が恋に落ちたニータに、身体を傷つける暴力・虐待を振るった張本人であったという想定。また、最後の1億ルピーが懸かった質問で、許されている携帯電話で主人公が呼び出すのは、映画ではサリムの携帯を持った恋人のラティカであったが、原作では、病院で偶然知り合い、主人公が持ち金を全て彼の息子の病気の治療費として渡した英語教師である。そして主人公が、全ての問いに正解し、1億ルピーの大金を手にした後、番組のスポンサー企業は破産し、司会者プレムは殺人を疑わせる自殺で絶命したということになる。これら多くの局面で、主人公が表裏で意思決定に使った1ルピーコインのトリックも最後に明かされるが、これも映画では描かれていない。
ということで、この作品に関しては映画よりも原作の方が、仕掛けが多く、圧倒的に面白かった。もちろん、インドの公務員として、この国の暗い側面―スラムの実情、そこでの子供を使った犯罪や家族が生活のため美人の娘を売春に出す姿、はたまた映画俳優の裏面、強盗や殺人の横行等々―を描く時に、悲しくならないかなという想いも禁じ得ない。他方で、現在は、先に読んだ現代インドの成長を描く新書のように、この国もそれなりに変わっているのだろうが、インドが民族、宗教、言語を含めた多様性に溢れる「世界最大の民主国家」であることは間違いない。こうした複雑な国を、スラム育ちの少年の運命を通しながら、多くに仕掛けをまぶして面白い物語に仕立て上げた著者の力量には大きな敬意を払いたい。2008年には2作目の小説として「Six Suspects」といった作品も出版しているようであるので、機会があれば目にしてみたいものである。
読了:2022年6月6日