王国への道 −山田長政―
著者:遠藤 周作
同僚から借りた文庫本を、日本出張から帰国後の、久し振りの当地での週末に、いっきに読み終えた。この週末、折りしもそのタイ中部の保養地ホア・ヒンでは、日本、中国、韓国首脳も交えたアセアン首脳会議が開催されている。前回パタヤで行なわれたアセアン首脳会議は、前首相で国内では汚職等で訴追されているタクシンを支持する「赤シャツ」集団が、警備網を突破し会議場に雪崩込み、各国首脳が慌てて会場から避難、会議は中止されるという、タイ、特に、アピシット政権にとっては屈辱的な事態となった。その教訓を受けて、今回は、場所の選択から警備まで慎重に準備を進めた結果、会議そのものは無事終えたようである。前回は、日本から出席した当時の麻生首相がヘリであたふたと逃げた訳だが、今回は就任したばかりの鳩山首相が始めて出席し、具体的な内容は明確でないと言われているが、一応自民党政権時代よりもアセアン寄りの外交方針を述べて、それなりに当地の地元紙でも、幅広く報道されることになった。そのタイでのアセアン・サミットの報道を見ながら、「アユタヤは恐ろしいぞ」という、マカオの中国人長老が山田長政に囁いた言葉に私は思いを巡らしていたのである。タイの政治には、まだここで描かれているようなドロドロした宮廷陰謀の世界が残っているのだろうか、と。
遠藤周作のこの小説は、17世紀始め、徳川政権が成立した直後の時期、異国で一旗揚げるべく当時のアユタヤに渡った藤蔵こと、山田長政が、そこで数々の権謀術数を駆使しながら伸し上がるが、最期は彼が踏み台にした男の娘の盛った毒で殺されるまでの姿を描いたものである。自分の出世のためには手段も犠牲も厭わない「超俗物」の彼を引き立たせる脇役として、キリスト者であるペドロ岐部を配し、苦難の末ローマに渡り神父となった後、再び日本に戻り殉教する彼と対比しながら、この時代の冒険者たちの二つの極端な形を我々に示している。
戦国時代の混乱を経て、徳川幕府が成立した1614年、幕府に迫害され日本からマカオに追放されるキリスト教徒が乗る船に一人の「籠乗り」が紛れ込む。彼は日本で固まってきた身分制社会秩序に愛想を尽かし、野望を抱いて日本を脱出しようとしていたのである。その船に乗り合わせたキリスト教徒たちの純真さをあざ笑いながら、彼はマカオからアユタヤに向かい、そこの日本人街で、傭兵部隊の一兵卒として野心の実現の一歩を踏み出すことになる。
その藤蔵は、アユタヤで権謀術数を駆使しながら、権力への階段を登っていく。その原動力は、到着直後に見た国王の娘ヨターティプ王女の不遜な眼差しであり、いつかこの王女を自分の手で抱いてみせるという野望であった。しかし彼はこうした野望も含め、自らの本心を徹底的に押し隠し、面従しながら、決して自分から進んでではなく地位を獲得していく様子が描かれる。ビルマ軍との敗北感が漂う戦闘や重装備のポルトガル軍艦との戦闘で、奇策をあみだし勝利し、一躍英雄となる。そんな時に藤蔵は、ふとした出来事をきっかけに宮内長官のオークヤ・シワラウィオンの面識を得る。それから、この「男の臭いの全くしない、能面の笑顔のような笑いを浮かべた」男の陰謀に与しながら、自らの野望に向けて猪突猛進していくのである。
まず最初の暗い陰謀は、ソングタム国王の崩御を契機に勃発した、嫡子でまだ幼いチェータ王子と亡き国王の弟シーシン親王との跡目争いで画策される。オークヤ・シワラウィオン(後、摂政オークヤ・カヤホームとなる)による王子擁立のクーデターに加担した藤蔵は、親王に与した日本人傭兵部隊長・城井久右衛門の恩赦を願い出て認められる。そして名前を山田長政と改名するとともに、引き続き表面はその傭兵隊長に従う振りを装う。そうしている内に久右衛門は失地回復の功を急ぐあまり、クーデター後寺に隠れた親王を騙して拉致するが、逆に摂政から不敬罪の名目で逮捕処刑される。そして長政は彼との約束に反し彼を見殺しにして、日本人傭兵隊長の座を得るのである。
並行して、マカオからインドのゴアを経由し、陸路でローマへ向かうペドロ岐部の苦難の旅が切れ切れに挿入される。17世紀初頭の、インドのゴアからシリア砂漠、エルサレムを経ての日本人の一人旅である。神への祈りだけが、この過酷な旅を可能にしている。そして最後にローマにたどり着いた岐部は、神学校への入学を許され、1620年11月、念願の神父の資格を得るのである。
監禁から救出された親王派による摂政派に対する決起。ここでも長政は、大勢を見ながら時を待ち、最後の瞬間に親王派を騙し、摂政派の勝利をもたらす。親王と彼についた総司令官の処刑の場で、長政は、かつてマカオに向かう船の中でペドロ岐部が彼に向って放った「力も位もはかなか。人間にはもっと大事なもののある」という言葉が耳をかすめるが、そぐさまそれを忘れようとするのである。その頃、彼が見殺しにした久右衛門の妻が自死し、長政は、一抹の哀れみから、その残された娘を傍に置き身の回りの世話をさせることになる。
長政は、摂政がいつか王子を退けて自ら王位を狙うだろうと確信し、自らもこの摂政と対峙しなければならない日が来ると考え始める。予想通り摂政は、ソングタム国王の命日に、王子を挑発し、それを理由に王子に公然と反旗を翻す。総司令官オークヤ・カパインを最後に取り込んだ摂政側が勝利し、一時的な権力を得る。しかしまたも長政は摂政の要請を受け、脱出した国王と皇太后を捉え、その勝ち馬に乗るのである。
国王と皇太后の処刑。国王の座を要求するオークヤ・カパインの野望に対し、摂政はまたも策を弄し、国王の末子を王位につけ、1年後にオークヤ・カパインが王位を継承するとの約束で彼を安心させる。そして別に王女には、オークヤ・カパインが野望を抱いていると吹き込むと共に、今や次の脅威であることが明らかになった長政をビルマ国境に送っている間に、かつて殺された久右衛門の手下で、長政に対する復讐の機会を窺っていた城井角兵衛を抱き込んでオークヤ・カパインを排除・処刑するのである。長政と摂政の最終戦争はもはや避けられなくなっていた。
そこに日本に帰国する途上のペドロ岐部が、また幾多の苦難を経てアユタヤに現れ、長政と再会する様子が挿入される。二人の人生観は正反対で、またしても会話は噛み合わないが、お互いに惹かれあうものがあったかのように描かれている。
摂政が動き始める。メナム川の河口にあるリゴールで反乱が発生したので、人望があるヨターティプ王女を送り反乱を収めるというのである。しかし、王女は逆に反乱軍に捕らえられ、長政に救出命令が出される。長政は、摂政が最後は王子と王女を排除することを確信していることから、王女救出とリゴール解放の暁には、リゴールを日本人の町とすることと、王女がそこに留まることを願い出て、摂政の了解をもらう。長政がまたも奇策を弄してリゴールの反乱を平定し凱旋したその日、アユタヤで再会した岐部は日本を目指してルソンに向けて出発する。
リゴールを平定した長政は、摂政の次の目標は王子の排除であることを確信していたが、そこに救出した王女から、摂政を排除して王子を救ってほしいとの願いが届けられる。遅かれ早かれ摂政と対決しなければならないと確信していた長政は、その願いを聞き、摂政のいるアユタヤで最後の対決をする。お互いの真意を隠した会話の後、ついに長政は祝杯に毒を持っていると摂政を非難し、摂政はそれが侮辱であるとして最後の牙をむく。王女の救出要請は、摂政の仕組んだ罠だったのである。自らの連れてきた兵に紛れていた城井角兵衛が摂政側に寝返り、長政は万事窮することになる。痛手を負いながらリゴールに帰還した長政であったが、しかし摂政への反抗を思案しながら安心してその腕に抱かれていた久右衛門の娘に毒を盛られて、その最期を遂げるのである。そして彼と別れ、1630年7月に九州にたどり着いた岐部もまた、日本で地下に潜り覚悟の上での布教活動を続けるが、最後は1639年、仙台で他の神父と共に捕らえられ、拷問の末殉教したという。しかし、他の神父たちが拷問に耐えられず棄教したのに対し、岐部は最後まで神に忠実であったという。著者は別に、この岐部を主人公とした「銃と十字架」という作品も残している。
まず遠藤周作に関しては、所謂「第三の新人」といわれる作家群に属する一人であり、彼らは戦後派による暗い戦争体験の小説が一段落した後の新しい世代を代表していた。しかし、私自身は、この世代に属する安岡章太郎、吉行淳之介、庄野潤三といった作家たちは、ほとんど読まず、むしろ第一次、第二次戦後派から、「第三の新人」を飛ばし、大江や三島、安部公房といった、所謂「アプレゲール」に行ってしまった。その結果、遠藤周作についても、当然その作品の多くは知っているが、今まで読む機会がないままであった。特に、彼自身がキリスト者として、中世の殉教者を多く取り上げていることが、当時の私には「アクチャリティ」を感じさせなかったということもある。その後に出てきた大江や三島、あるいは高橋和己、安部公房らの世界のほうが、まさに私の青春期である60−70年代の時代と私の精神の発展段階にマッチしていたのである。
今回、生活基盤がアジアに移り、タイも私の大きな関心の対象になったことが、今回この作品に飛びついた理由であった。先に読んだ「物語タイの歴史」の中でも、「17世紀アユタヤ王国で日本人街が発展し、一時は1000−1500人が住み、中には山田長政のように、宮廷に引き立てられる者もでたが、彼はそこでの政争に巻き込まれ毒殺された」と短く触れられていたこともあり、この人物が実際にはどのような人間で、そしてこの作家が、彼をどのように描いているのかに強く関心をもったのである。
末尾の解説で、山田長政についてはあまり資料が残っていない、と書かれているので、おそらく彼の内面の描写は作家の想像によるところが多いのであろう。同時に、これも実在の人物で、作家が別に一つの作品を残しているペドロ岐部を長政の対極にそえたこともあり、二人の性格が意図的に極端なものに描かれることになったのではないかと思われる。長政は、冒頭にも書いたように、限りなく「俗物」の「出世主義者」で、人間的な価値も全て計算ずくで「自分の出世」のためにのみ使う人間に描かれる。彼が利用し、対峙し、最期は殺される摂政オークヤ・カヤホームも、まさに同様の「超俗物」である。こうした二人の巨大な「俗物」は、今度はまた極端な「信仰者」であるペドロ岐部の存在によって、益々印象を強くさせるのである。しかも、その考え方の違う二人の日本人が、「時代の冒険者」として心を通じ合っていた、というのが、この小説の大きな仕掛けになっているのである。
長政が、本当にこれほどまでの「俗物」であったのかどうかは分からない。彼の人情深さも、実は計算ずくのものではなく、本心から出ていた可能性もある。作家は、長政が、彼が犠牲にした城井久右衛門とその妻の死に若干の後悔の念を抱き、その娘の面倒を見る、といったところに、人間誰にでもある「俗物」の迷いを入れているが、その結果、その娘に最後は毒を盛られて息絶える、という展開にしたところが、またこの人物の「俗物」性の悲劇を強める結果になっている。そして取り敢えずはこの小説では最終的な勝者となる摂政オークヤ・カヤホームも同じ土俵で描かれ、いわば同じ「俗物」でも、外国人は結局勝つことができなかったという結論を示唆しているように思える。そしてそれが、冒頭の「アユタヤは恐ろしいぞ」という言葉となって読了後も頭の中に残ることになる。
確かに現実社会でもこうしたタイプの人間は存在する。私自身、社会人生活30年近くなって、こうした「自分の気に入らない人間を排除するための裏工作にのみエネルギーを使う」人間がいるというのを目撃した時の驚きはたいへんなものであった。しかし、こうした卑小な世界のみならず、まだ伝統的風土が残っている政治社会においては、多かれ少なかれ同じような暗い陰謀に満ちた裏世界が存在しているのは確かある。タイが、その歴史を通じ、かろうじて独立を維持してきた背景には、その「微笑み」の陰に、複雑な思慮遠謀が隠されていたからだ、というのは、前述の歴史本にも書かれていたが、この小説も、その意味で「現代のタイにおいても実際にあるかもしれない世界」を「超俗物」として描かれる山田長政に託して表現したものであると言えなくもない。まだしばらく続くであろうタクシン派と反タクシン派(現政権)の暗闘を眺めながら、そんなことを考えさせられた小説であった。
読了:2009年10月25日