タイ 混迷からの脱出
著者:高橋 徹
先週のタイ出張に使うことも考え読み始めたが、読了は帰国後になってしまった。2005年5月22日に、「1932年に立憲君主制に移行してから失敗・未遂を含めて実に19回目、タクシンを追い落とした(20)06年の前回から8年ぶりに起きたクーデター」から2周年が過ぎていた。当初軍事政権が公言した、早期の民政移行の目途が立たない中、私の仕事を含めて、通常の市民生活は粛々と続いている。しかし、そうした表面には現れない、この国の変化の胎動がどこかに現れてきているのではないか。会議でタイ人たちの議論を聞きながら、その一旦なりを理解するための素材として、この本は格好の素材であると思われたのである。しかし、実際には、会議での滞在期間中、この国の混迷を感じたのは、旧知のタイ人が、「政府の方針はすぐに変わるからね」と自嘲気味に述べた時くらいで、それ以外は、この本で述べられているような緊張感は全く感じることはできなかった。それにも拘わらず、既に頭に入っていたと思われた最近のこの国の政治を巡る緊張は、この本を読了した今、思っていたよりも深いことを感じている。著者は、まさにこの国のジレンマが顕在化し、激しい政治・社会紛争を惹起した2010年から2014年までバンコクに駐在した日経新聞の記者である。そのジレンマとは、タクシン政権により急激に推し進められた地方への「バラマキ」により、この国の低所得層が、選挙により国を変えられるという政治意識を覚醒させ、それが都市部の既得権益を有する支配層との激しい闘争をもたらしたことである。多数派を占める地方の低所得層は、「民主選挙」を行えば必ず勝利する。しかし、それに対抗する都市特権層は、それが「衆愚政治」だとして、時代錯誤のクーデターに訴える。しかし、クーデターを実行する軍部も、それは一時的な措置である、として早期の民政移管を示唆して、自らが恒久的な権力を維持しようとはしない。そしてこの権力闘争では、双方の勢力が、「民主主義」の正統性を主張して争うことになる。片や、多数派による政権運営が「民主主義」であるとするのに対し、他方は「タイ式民主主義」があるとする。そしてそこに、国内では「国王」の存在が、そして海外からは米国や中国の思惑が絡み、問題を複雑にする。それを考えるには、所謂「大陸東南アジア」の中央部に位置するこの国の地政学的な重要性も考慮に入れる必要がある。こうして、私が過去7年強に渡り、いろいろな形で関与してきたこの国は、今大きな転換点を迎えることになる。
本は、2014年1月の反タクシン派(黄シャツ派)による、「バンコク・シャットダウン」のルポから始まる。彼らが占拠した地域は、4年前に、タクシン派(赤シャツ派)が、当時のアピシット政権の退陣を叫び占拠したのと略同じ場所である。同じ地域が、相対する勢力の実力行使の舞台となり、それが最後は、排除に際しての流血の事態となったり、クーデターの契機になったりする。この社会の完全な分断が、タイの現在の混迷の核心である。そして5月22日のクーデター。その日、問題の張本人であるタクシンは、新宿の路上を歩いていたことが報道されている。
そこから著者は、タイの「民主主義の源流」を遡って解説しているが、これは復習の世界なので省略する。特記事項があるとすると、1946年6月9日、留学先のスイスからアーナンタマヒドン国王(凶年20歳)が、王宮内の寝室で頭を打ち抜かれた死体として発見され、国会は直ちに弟のブミボン・アドゥヤデート(18歳)を後継国王として承認したが、まさに私が先週の出張で出席した会議が開かれた6月9日は、そのラーマ9世の即位70周年記念日であり、会議の出席者の多くが、スピーチの前に、そのお祝いを述べたのであった。現存する国家元首で最長の任期を誇るこの国王であるが、その即位日は、タイ現代史最大の謎である事件が起こった日でもあるのである。しかし、そのブミボン国王が、その後1957年にクーデターで成立したサリット政権が打ち出した「立憲君主制」の下での王室の権威高揚策に則り、タイ国内を隅々まで回りながら、辺境地域での「王室プロジェクト」を進めたこと等により、現在のタイ社会で見られる、「国民の慈父」たる地位を確立した、ということは改めて確認しておこう。そして1973年10月の学生や市民と治安部隊の衝突の収拾から始まり、1992年5月の民主化騒動、2006年のタクシン追放クーデター後など、重要な局面で、その威信を示すことになる。これについては、著者は「国民の間に『最後は国民が何とかしてくれる』という依存心を醸成していくことになる」と指摘しているが、まさにその国王の健康状態の悪化が、それを困難にしているのが、足元のもうひとつの大きな問題である。また1980年に陸軍司令官のまま首相に任命されたプレムは、就任後強権的な政治手法を封印し、議会制民主主義を尊重する「半分の民主主義」と呼ばれる調整型の政権運営と、折からのプラザ合意を受けた日本企業等の進出を背景とする経済成長で8年の長期政権を維持、そして首相引退後も枢密院議長として、「国王の側近中の側近」として隠然たる権力を保ち続けている、ということは、現在の反タクシン派の動きを理解する上でも重要である。
そして2001年からのタクシン時代が到来する。彼を首相の地位に押し上げた要因として著者が指摘しているのは、@議会制民主主義の徹底による「大政党と強い首相」の誕生を促した「1997年憲法」、Aアジア通貨危機の中で、「立志伝中の人物」であるタクシンへの期待感、BWTO主導での通信自由化への危機感からの、タクシン自身の政治権力奪取と規制緩和への直接介入という欲求、ということであるが、それ以上にやはり彼が「本格的な農村振興と貧困対策」(それは、地方への「バラマキ」であるが)を通じ、それまで政治に関心を持たなかった地方の多数派農民らの強い支持を得たことが最大の要因であると思われる。そして、「ポピュリスト」としての彼が作り上げた体制は、都市部の既得権益を有する旧体制の支配層と真っ向から対立するものとなり、それが現在まで続くタイ社会の分裂をもたらすことになるのである。
そのタクシンは、「CEO宰相」を自称し、「1900万票(2005年2月の総選挙での得票数)」を力に、所謂「官邸主導」のトップダウン型政策決定・実行を行い、急激なタイ社会の構造変革を行う。それが、順調な経済成長を始めとする成果を出している間は問題がなかったが、南部のモスレム分離運動への強硬姿勢で、テロが激しくなると、その南部を地盤とし、長年宥和政策を採ってきた枢密院議長プラムらの保守派が反撃に出る。そしてタクシンが自ら育てた通信持ち株会社シン・コーポレーションを、シンガポール・テマセクへ売却する案件を巡り決定的な反タクシン運動が盛り上がり、2006年9月、彼のニューヨーク出張中にクーデターにより追放され、海外逃亡の身となる。しかし、その後も出直し選挙ではタクシン派が圧勝、それを保守派が様々な手段を使い潰すが、再びタクシン派(インラック政権)が生まれ、またそれを2年前のクーデターで放逐するという迷走を続けることになるのである。その間、時に赤シャツ派(タクシン派)、時に黄シャツ派(反タクシン派)が、街頭デモや選挙で交互に実力行使に出ては、またその排除での暴力行為が繰り返され、挙句の果ての19回目のクーデターである。こうして、著者は、実際に目撃したデモや選挙の現場のルポや、アピシットからインラックに至る政権変動の経緯を解説しているが、詳細は省略する。ただ著者の印象は、特にインラックは、「タクシンのクローン」として引続き地方重視のバラマキを行ったが、タクシンのそれが財政状況にも配慮したものであったのに対し、インラックのそれは財政上も大きな負担を強いることになったとして、インラック政権の成果には否定的である。それは、政権前半は2011年10月に発生した大洪水による経済負担、後半は「黄シャツ派」デモなどによる政権空白があったことも大きな要因である。しかし、そうした中でやや焦ったインラックは、明らかにタクシンを含めた恩赦法案という「パンドラの箱」を開けることで、再度のクーデターへの決定的な道を開いたのであった。
私が今回参加したバンコクでの会議では、タイを中心とするASEAN諸国に対する日本の科学・技術による研究支援やそのための人材育成への協力可能性が議論されていた。タイを含め、ASEAN中心国の科学技術水準も向上してきており、またそこでの優秀な人材も増加してきていることから、個人的には、日本からのこうした支援も受けながら、うまく「中進国の罠」を逃れて成長軌道に乗ってほしいと期待している。そして依然軍政下で戒厳令が維持されているはずの街の市民生活は、全く通常で、2年前までこの本で報告されているような騒乱があったとは思えない落ち着きーいや通常の「アジアの混沌」状態といった方が良いだろうーを示していた。しかし、この国では、そうした通常の市民生活と、都市機能を麻痺させる大規模な示威活動が常に繰り返され、その要因自体は現在解決されるどころか、ますます高まっているのである。現在は軍政下で押さえられているタクシン派のエネルギーが解放される時には、再びこの本で語られているような事態が繰り返されることは必至だと思われる。現在、米国大統領選挙や、英国のEU離脱国民投票等でも見られるとおり、先進国でも市場経済の深化に伴う格差拡大は、民主制システムの中では必ずしも解決出来ない社会の分裂を招いている。中進国であるタイは、それが西欧型民主制への移行過程で、顕在化した典型的な例であることは間違いない。シンガポールの場合は、格差は拡大したが、全体の経済成長で糊塗し、さらに政治的には格差の要因と考えられたホワイトカラー労働者の流入を表面上制限するというアピールで乗り切ってきた。しかしそれも世界的な経済拡大が続いている間は機能したが、それが期待できない現在は、短時間で全体としての経済成長を達成することで格差感を縮小することは簡単ではない。タイの事例は、国民の政治意識が目覚めた一方で、低成長の環境下で全体としてのパイを増やしながら、同時に再配分を中心に格差感を縮小させることを運命つけられた「中進国」であるが故のジレンマといえる。今後の軍政から民生移行の過程、そしてその後、この数年と同じ事態が繰り返されないかどうか。引続き、個人的にも、公私とも興味の尽きないこの国の動きを注視していきたい。
読了:2016年6月18日