アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
タイ
タイの基礎知識
著者:柿崎 一郎 
 昨年末に読んだシンガポール版と同じシリーズのタイ版で、出版は2016年。同じ著者の本は、既に「物語タイの歴史」やメコン圏に関するものを数冊読んでいるので、シンガポール版と同様、ほとんどが復習である。ただ、こうしてこの国の全体を改めて整理してみると、新たな発見もあるので、ここではそうした点を中心に簡単に残しておくことにする。

 タイ族の王国の歴史については、この地域の「マンダラ国家」の盛衰の歴史の復習である。現在のタイの領域は、7世紀頃は、マレー半島にできたシュリヴィジャヤの勢力圏であったが、9世紀にはアンコール朝の支配下に入ったことが、多くの遺跡から推定される。そして11−12世紀に、北部(中国・雲南地域と言われている)にいたタイ族の南下が始まり、13世紀にはチェンマイを中心とする最初のタイ族の王国であるランナータイとスコータイが成立する。スコータイは、その後勢力を拡大したアユッタヤーに併合されるが、この国がタイの公式な歴史では最初の王国であると規定されている。アユッタヤーは、ビルマとの抗争を繰り返し、1767年にビルマにより滅亡させられるまで400年続くことになる。そしてその後、ビルマ勢力を駆逐したチャオプラヤー・チャックリーがラーマ1世として即位するが、これが現在まで続くラッタナコーシン朝の始まりとなる。以降は、英国やフランス等の西欧列強の進出や第二次大戦中の日本軍の侵攻、そして戦後のベトナム戦争等の地域紛争をタイ型の巧みな交渉でうまくかわしながら、現代まで独立を維持し続けることになるのである。もちろん第二次大戦時の日本の圧力を受けた枢軸国側での参戦と、終戦時の米国への接近による戦勝国側への鞍替えについても、改めて確認することになった。

 民族関係では、タイ族や北部の少数民族等に加え、華人系移民の話が、今回新たに認識することになった。即ち、中心部では潮州系華人が多いが、これは18世紀にビルマをまず駆逐したタクシンが潮州系で、またその勝利に潮州系移民が貢献したので、その後優遇されたという経緯があったという。またマレー半島は福建系華人が主流で、その典型はプーケット州の州長にまで上り詰め、現在も一族が地域の名家となっている許心美であるという。ただシンガポールやマレーシア等と異なり、20世紀以降、「タイ・ナショナリズム」が唱えられるようになると、彼らは急速に同化し、「タイ人化」することになる。第二次大戦後の中国の共産化で華人の帰国意識が薄れた、というのは、タイの反共政策が徹底していたということであろう。またタイでは「民族別のセンサスは行われていない」というのも、シンガポール等と異なる民族政策である。

 政治面では、1932年の立憲革命から数え、最新の2015年5月のそれが12回目の成功したクーデターであり、クーデター後、毎回@首謀者による国王の了承取得(=「タイ式民主主義」)、A憲法廃止と議会の無力化、B民政復帰に向けた新憲法制定、C民政復帰というサイクルが繰り広げられる。しかし、2015年クーデターの首謀者プラユット首相に対する反対運動が起こっている現在がそうであるように、ある時点で民政復帰は行われるが、それが再び不安定化し、次のクーデターを促すという「タイ式民主主義」の宿命はまだ続きそうである。

 こうした不安定な政治にも関わらず、タイ経済は、1998年のバーツ危機やリーマンショック等の危機を乗り越えて、それなりに成長してきたことは言うまでもない。ただ、著者が総括しているとおり、「タイはかつての農業国から工業国にイメーイを変えた」というのは「農林水産業が衰退した」ということではなく、「農林水産業は依然としてタイの人々の生活に欠かせない産業となっている」。これは、従来の農業生産の中心であったコメに加え、トウモロコシ、キャッサバ、サトウキビ、パームヤシといった商品作物の生産・輸出が急増しているということに示されているという。また農林水産業従事者の割合も、2010年で4割ほどになっているが、これはアセアンで見るとインドネシアと同じ水準で、フィリピン(3割程度)やマレーシア(1割程度)より高いという。この本の他の部分でも繰り返し触れられているが、この人口構成が、タクシン元首相の「ポピュリズム」の基盤であり、亡命後の彼が依然国内で影響力を有している理由と考えられる。

 国際関係や、その内の日本との関係は、多くが復習であることから省略し、最後に近いタイ社会の説明に向かおう。ここではタイが「緩い」社会か、「堅い」社会か、という問題提起が行われている。タイ社会は「双系制」が強く、相対的に個人主義的傾向が強いと言われる。こうした国民性の下で、国民としての集団意識を作ろうとして打ち出されたのが「ラック・タイ(=タイ原則)」という原理で、これが、国歌斉唱の習慣や、国王の権威高揚という形でタイ・ナショナリズムの強化と国民国家形成の成功に貢献したという。ただ著者は、「それは幻想であったことが、21世紀に入ってから露呈してきた」としているのは、昨今の情勢を踏まえた指摘である。

 そして最後は、内外の「対立の構図」。「黄」と「赤」の対立は、「シャム」と「ラーオ」の対立というのは、やや単純化し過ぎであろうが、そこで説明されている「イサーン蔑視」が、「ラオス蔑視」と同根である、というのは面白い指摘である。もちろん、日本でも地方方言をネタにした笑いが、同種の蔑視表現であろうが、陸続きの場合は、これが隣国ラオスとの感情的な軋轢の要因になる、というのは、国境のない日本人にとっては新鮮な指摘である。またミャンマーは歴史的経緯から「宿敵」意識が強いというが、他方で「今やミャンマーからの労働者抜きにタイ経済は成り立たない状況まできている」ことから、現在ミャンマーの民主化で関係は改善しているというが、著者は将来的な関係悪化懸念を示唆している。最後にカンボジアとのプレアヒビア遺跡(世界遺産)を巡る国境紛争。2011年2月の、この地域での両国の武力衝突のニュースは、今でも鮮明に覚えているが、これは、「山脈の分水嶺を国境線とする」と決めた1904/1907年の両国の合意と、その後フランス主導で作られた地図の国境線との齟齬が原因の紛争であるという。そして最後は、未だに収まらない深南部のテロ。これは私のシンガポール滞在時、この周辺地域に行くことがなかった理由であった。

 こうして改めてこの国の全体観を眺めてみると、何度も且ついろいろな地域を訪れているつもりであったが、実際はそのほんの一部しか体験していないことが如実に示されることになった。特に東北部のイサーンは、かつて「バンコク・ナイツ」という日本映画で、その田園風景を眺める機会はあったが、やはり一回行っておかねばならなかったと痛感している。タイは大きい国である。また日本にとっても、私個人にとってもたいへん親近感のある国である。こうした国をもっと知りたいという欲求が次に叶えられるのは、現在のコロナによる国際移動の制約を考えると、いったい何時のことになるのだろうか?

読了:2021年1月12日