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アジア読書日記
タイ
バンコクナイツ ー 潜行一千里
著者:空族(富田克也/相澤虎之助) 
 2017年7月、シンガポールから一時帰国した日本で、空族(「くぞく」と読むようである)という集団が制作したこの映画を見た(別掲)。東南アジアで生活していると、バンコクの夜の世界は非常に身近であるが、この映画はその世界から始まり、そこで働く女たちの多くの故郷であるタイ東北部イサーン地方を経由して、ヴェトナム戦争の戦火の跡がいまだに残るラオスの山間部まで足を延ばすロードムービーとしてそれなりに楽しんだものであった。そして今回、図書館で、この映画の作成過程を中心に、これらの地域を綴った書籍版を見つけたことから、さーと読み流した。

 この映画(「東南アジア裏経済三部作」)の製作裏話を綴った単行本である。一本の映画作品を取るのに、約10年の日々をかけて現地調査やスタッフとの交渉を進めてきた、ということだけでも、彼らがこの作品に込めた思いを感じることができる。そしてその過程での様々な出会いや地域社会や歴史の考察。バンコクについては、ほとんど分かっていることばかりであるが、イサーンからラオスにかけては、それなりに新鮮な記載もあり、面白く読み進めることができる。そのあたりの話題を備忘録的に残しておこう。

 イサーンの、メコンに面したラオスとの国境の街ノーンカイ。メコンから火の玉が昇るという原因不明の自然現象を見るための「バンファイ・パヤナーク」という年一回の祭りがあるという。そんな自然現象が本当にあるのかは、ここでははっきりとは書かれていないが、ここでは、メコンに住むといわれる「ドラゴン・パヤナーク」が街の象徴となっている。これはいつかこの町を訪れる機会があれば確認してみたいものである。またタイ版反戦歌という「プレーン・プア・チーウィット(生きるための歌)」。ヴェトナム戦争時代に広まり、カラワン(タイ版グレートフル・デッド!そのメンバーの一部は、1973年の親米タノム政権の独裁と反政府運動弾圧に抗議し、「イサーンの森」に潜伏し、ゲリラ活動を行ったという)やカラパオという人気バンドが現れたという。前者の「人と水牛」という曲は、「タイでは非常に有名なのはもちろんのこと、日本でも多くのミュージシャンがカバーした」というのは本当なのか?

 調査隊は、メコンを渡りラオスに入り、ビエンチャン経緯でヴァンヴィエンという街に入っている。私は、ラオスは、ビエンチャンとルアンプラバンしか経験がないことから、この街の名を聞くのは初めてである。ここには、かつてCIAの基地があり、そこからホーチミン・ルートを攻撃するために爆撃機が飛び立っていたという。因みに、ヴェトナム戦争中、最も激しい爆撃を受けたのはラオスであった。第二次大戦中、ドイツ領内に落とされた爆弾の2倍に相当する、そしてラオス人一人当たりに換算すると1トン以上が落とされたが、それは、一つにはホーチミン・ルートがラオス国内を通っていたこと、そして二つ目には北爆を終えた爆撃機が、帰路の燃料節約のために、余った爆弾をラオス領内に落としていったからだと言う。彼らのこの主題は、映画では、巨大な爆撃後のクレーターの実写で表現されていたのを覚えている。このクレーターがあるシェンクワンという街の郊外への取材も、当局許可が必要で結構たいへんであったことも語られている。またこの地域の山岳民族であるモン族の苦難の歴史。山岳戦争の達人として、ヴェトナム独立前の決定的な戦いとなったディエンビエンフーのフランス要塞攻略に貢献すると共に、ヴェトナム戦争時は、米軍により、反共産ゲリラ部隊としても使われたという(バン・パオ将軍部隊)。そしてヴェトナム戦争終結後は、パテト・ラオ政府軍による「モン族掃討作戦」の犠牲になり、多くがタイに難民として逃れることになる。

 こうした調査を経て、2015年10月に映画製作が開始(クランクイン)される。そして翌年1月まで、80日に渡るタイとラオスでの撮影が行われるが、その様子が、撮影風景と解説で要約的に語られることになる。撮影の最後に、バンコクはタニヤでの実写撮影が、なかなか当局から許可されず苦労したことが記されている。粘り強い交渉で、最終的には許可が下りたが、それでも「少しカメラが入っただけで極度の緊張の走るこの町で、こんな風に撮影すること自体が奇跡に近いことであるのだ。」これをもって撮影が全て終わり、4月に編集作業終了。映画は8月に、ロカルノ映画祭で「若手審査員・最優秀作品賞」を受賞し、2017年2月より一般公開されることになる。別掲のとおり、私がこれを見たのは、同年7月であるが、撮影に苦労したというタニヤの路上シーンは、普通の光景として、ほとんど記憶に残っていない。

 映画製作の独立プロとして、経営的にはおそらく相当厳しいが、それでも彼らは自らの信念に基づき主題を決め、調査し、スタッフを募り作品を制作している。そうした苦労が、本の端々に溢れている、しかし気楽に流し読める一冊である。また機会があれば、この映画も再度見てみたいと感じたのであった(本の読了後、以前に聞いていた、この集団は映像のDVD化はしないという話とは裏腹に、現在DVDも出ているというネットの情報を得た。早速近所のレンタル店にいったが、しかしそこには在庫はなかった。残念。)。

読了:2021年3月25日