マレーシア新時代 高所得国入り
著者:三木 敏夫
今年8月に出版されたばかりのマレーシア最新事情である。丁度会議のためクアラルンプール(KL)に2泊の予定で滞在する機会があったことから、まずその前に立ち寄ったブルネイに向かう機内で読み始め、KL滞在の最終日の朝読了した。
マレーシアは、これまでもKLのみならず、ペナンやランカウイといったリゾートやマラッカ等の観光地を頻繁に訪れている。シンガポールに最も近い国で、またマラヤ連邦としての英国からの独立と、その後のシンガポールの独立(追放)等、身近な歴史や密接な政治関係もあり、最新の政治・社会状況に関する日常的な情報も多く耳に入る。しかし、その割に今までこの国の現代の状況を包括的に取り上げている作品には出会うことがなかった。今回八重洲のブックセンターでこの本を見つけた時は、やっとこの隣国の最近の全体像を掴むことができるとうれしく思ったものである。そして上記のように、この国の人々と多く触れる機会に向けてこの本を読み始めたのである。著者は、そもそもはジェトロの研究員で、現在は札幌学院大学の国際関係論、アジア経済論担当教授。マレーシアには恐らく1970年代の終わり頃駐在した他、2000年代以降になってからマレーシア国立大学に9カ月滞在したり、2010年に学生の研修でこの国に進出している日本企業を回ったりしているようである。
まずこの国の現在の指導者であるナジブ首相の出自から説明を始めている。ラザク第二代首相の長男、フセイン・オン第3代首相の甥というので、マハティール等の叩き上げとは違う、スルタンの流れを組む政治的エリートそのものである。この首相の下で、2011年から開始された経済開発第10次5カ年計画で、ブミプトラ資本所有30%を堅持すると共に、同時に中進国から高所得国入りを目指す具体的な数字目標を掲げ、従来の中国人とマレー人の間のみならず、マレー人の間で発生しつつある経済格差を是正し生活の質的向上を目指した政策運営に取りかかっているという。
そうした現在のマレーシアを説明するために、著者は、この国での日本人(特に年金生活者)の長期滞在者が増加している背景を紹介している。この国には「適度な先進性と適度な後進性」がある。生活費はハワイやオーストラリアに比べると安く、年金収入でそこそこの暮らしができるし、マレー人の「人の良さ」や年間を通して温暖な気候、そして相対的な治安の良さ。それに多民族、多文化、多宗教、多言語であることからの社会の多様性や対日感情の良さ等も挙げられる。こうしてKLやペナン島、キャメロン・ハイランド等に多くの日本人長期滞在者が生活することになる。因みに、MM2Hと呼ばれる長期滞在ヴィザの条件は、「50歳以上で、約958万円(35万リンギ)以上の金融資産、年金等の月収、そして約450万円(15万リンギ)のマレーシアでの定期預金」である。現在の私の老後でも何とか満たせそうな水準である。実際、この9月にも、知り合いがこのヴィザを取得し、KLに移住したばかりである。但し著者によると、こうした長期滞在先としてはラオスやヴェトナム等も台頭しているとして、それらの国も紹介しているが、それはやや唐突で且つ大雑把である。
こうした身近な話題から、続いて経済政策の観察に入る。ゴムや錫のような一次産品の輸出国から、1980年代に外資主導型輸出志向工業化により「電子立国」化に成功、というのが大きな枠組みである。その基礎にあるのが、独立以来実施されている社会主義的な経済開発5カ年計画(第9次が2010年まで)と工業化マスタープラン(IMP。現在第3次で2006年より10年)で、また経済に限らないマレーシア社会経済の再編成を含めた計画である社会経済総合展望計画(OPP1)が、1971年から1990年まで実施され、それは2010年までのOPP3に引き継がれてきている。後者は、特にブミプトラの経済水準引き上げのための各種優遇政策が含まれている。ブミプトラは、後ほど詳細が説明されるが、ここでは取り敢えず資本所有比率の「ブミプトラ30%、中国人40%、外国人30%」ということだけ押さえておこう。
マレーシア経済の最新の状況ということで、2009年に終了した第9次5カ年計画の成果を見ると、一人当たりGDPで8,256ドル(購買力平価調整後で13,977ドル)、絶対貧困率が0.7%(2004年:1.2%)、一般貧困率が3.8%(同:5.7%)と、2009年のリーマン・ショックによる景気低迷にも関わらず着実に上昇し、新たな5カ年計画の課題は「貧困の撲滅から中流以下で生活する世帯の生活水準の引き上げと生活の質の向上に移ってきている」という。因みに第10次5カ年計画での一人当たりGDPの目標は12,000ドルに設定されている。
2009年4月に首相に就任したナジブによる「高所得国入りを目指す経済改革と自由化、社会改革」が紹介されている。ブミプトラ30%の資本規制を監督する「外国投資委員会」のガイドライン見直しが大きな課題であったが、これはいったん若干緩和された後、また第10次計画で元に戻されたという。他方金融部門では、投信会社や証券会社の外資所有比率が49%から70%に引き上げられる(イスラム金融では外資100%)等、緩和が一部進んできているという。また外国人の不動産取引についての自由化については、外国投資委員会の介入する取引金額が2000万リンギに引き上げられた反面で、外国人の最低購入金額も50万リンギに引き上げられ、これ以上の金額の場合委員会に報告する必要がある、と書かれているが、これは外国投資委員会の関与する金額がとしてどちらを見れば良いのか、意味不明の説明である。更に時限措置ではあるが、一部の経済特区に進出した外資100%出資企業の義務である輸出比率80%という制限が、2010年末までは50%まで下げても良い(国内販売比率の引き上げ)といった自由化も行われているという。
第10次5カ年計画に際して、ナジブ首相は6つの「国家重要成果分野」と、6つの「重要実行指数」、7つの数値目標を掲げている。内容的には、犯罪率の引き下げなど、この国の現実を考えると確かに切迫しているものも多いが、詳細は省略する。また持ち家政策の推進など、低所得者の生活の質を上げるような具体的な計画も出されている。また新経済モデルということで、経済改革プログラムや12の国家主要経済領域の設定なども公表されている。その中では、特に公共輸送インフラとしてのKLでの地下鉄網拡大計画で、これはこの町に出張の多い私などにも直接恩恵のある計画である。
面白いのは、カリマンタンのサラワク州の貧困対策であるが、一方でここは石油や森林資源などが豊富であるものの、他方これらの利権を連邦政府が直接押さえたことから、地元の開発が遅れたという点。一方でサラワク州政府は大幅な自治権を有しており、この州への「入国」はパスポート提示が必要であり、マレー半島のマレー人には一般の外国人よりも短い滞在ヴィザしかおりないそうである。しかも支配しているのは少数派のマレー人ということもあり、やや民族間の軋轢が広がる危険を有しているとのこと。しかし、この地にも今や工業団地もできて、日本企業も進出しているようである。
全体として中間層の育ってきたマレーシアではあるが、引続き所得構成上のボトム40%の所得を引き上げることも第10次5カ年企画に謳われている。その51%強が農村部在住で、民族的にはブミプトラ59%、中国人29%、インド人11%と、やはりこの課題はブミプトラの生活引き上げと同義である。その他、社会の指導層育成という点では、修学前児童の教育の充実や博士号取得奨励、英語教育の強化等が掲げられている。学歴に関しては女性の高学歴化が著しいということで、この結果としての女性の社会進出については、後の章でも独立して取り上げられている。
政治面では、「マレーシア的開発独裁」象徴的な法律である国内治安法(ISA)問題があると紹介されているが、これは先日当地の新聞で、廃止を念頭に置いた検討を始めると公表されたことが報道されていた。
個人投資の世界では、高配当の投資信託を使ったブミプトラへの投資利益還元が行われると共に、これがブミプトラ内部での所得格差を生んでいるとされているが、その説明は余り論理的でなく分かり難い。
こうしてこの国の最近の全体観を見た上で、言わば各論に入っていくが、その最初は外人労働者問題である。マレーシアが、「中所得国の罠」に陥っている、あるいはその可能性がある一つの要因が、経済の外人労働者への依存であるという。その労働市場を改革するために、第10次5カ年計画で、外国人労働者の規制を図ると共に、外国人労働者を含めた最低賃金制度を導入することにしたという。これは2007年で約200万人、不法就労者も加えると約300万人いる外国人労働者を150万人程度まで減らし、その職をマレーシア人に与え全体の所得水準を上げようと言う計画である。因みに、マレーシアの労働人口は2010年で1240万人というので、正規の外国人労働者だけで約20%近いことになる。
しかし、まず外国人労働者が働いているいわゆる「3K」業務に就こうというマレーシア人は少なく、また日系を含めた労働集約型の工場の場合は、景気の波のクッションがなくなり、状況によっては生産拠点をカンボジアやラオス、あるいはタイやインドネシアに移す動きも出てきているという。また日本と同様、大学卒業者の失業率が高い(過去3年の大学卒業者の失業率は30%程度)という実態も、労働力市場での需給のアンバランスを示しているという。マレーシア人全体の人口構成としては、まだ人口ボーナスを享受しているものの、他方で例えばタイの約100万人を大きく上回る外国人労働者が入っているというのである。結局、労働集約型の産業構造が変わらない限り、この労働市場のアンバランスは解消しないのではないかと思われる。また製造業のみならず、農業、特にパーム・オイル・プランテーションでの労働力不足は深刻で、そのために収穫できないことから発生する損失が年間10億リンギになっているとの試算もある。更に慢性的労働者不足から、インドネシアと国境を接しているサラワクでは、多くのインドネシアからの不法就労者が働いているという。
インドネシアのメイド(アマさん)への虐待問題についても触れられているが、これはシンガポールでも見られる現象であり、不法就労問題と併せ、インドネシアとの国家間の軋轢になっているというのも、ここシンガポールでも良く耳にする話である。
続いて、ブミプトラについて、改めてその意味と問題を整理している。冒頭での説明には一部分かりにくいところもあるので、もう一度ポイントを整理してみよう。
まずブミプトラ(=マレー人。直訳すると「土地の子」とのこと。)が持っている特権は、資本所有(マレー人30%、中国人等40%、外資30%)、大学への優先的入学(マレー人55%、中国人35%、インド人10%)、ビジネスライセンスの優先的発給、政府部門への優先的雇用(大学と同じ)、不動産購入時の割引、優先的金融利子、優先的国債購入、ブミプトラ企業への優先的発注など多岐にわたる(但し、記載した比率は一般的なもので、いろいろ例外もあるようである)。歴史的には、英国植民地時代に、植民地支配者が「マレー人は農業、中国人は商工活動といった民族的就業構造の固定化」が行われ、それが「生産性の低いマレー人の貧困の原因になるとともに、中国人とインド人との経済格差を生むことになった(注:中国人とインド人の格差の理由は説明されていない!)」ことへの対応として打ち出された政策である。その導入のきっかけは、1969年5月に発生したマレー人と中国人の対立・暴動(5月13日事件)で、それを受けた1971年からの新経済政策に具体策が織り込まれたという。この「建設的な保護政策」は1980年代に首相となったマハティールにより積極的に進められ、著者は「貧困を劇的に削減することに貢献した」と一定の評価をしている。しかし現在では、マレー人社会の経済格差や、マレー系少数民族、特にサバ州やサラワク州の少数民族の経済水準引き上げ等が新たな課題になっているという。またここでも「マレー人(中国人ではない!)とインド人の間の民族対立」が指摘されているが、その内容は説明されていない。
ブミプトラの背景にある民族的特性は、「優秀」で「働き者」の中国人と、「怠惰」なマレー人という先入観であるが、これは偶々資本主義的生産・流通においてマレー人が中国人よりも適していなかったということで、それは現在の我々の目から見ても頷けるところである。もちろん社会の指導層では異なるとはいえ、マレー系の大多数の庶民は、豊かになった現代でも、依然ゆったりとした生活を好むという基本は変わっていないように思う。著者は、こうしたマレー人の生活習慣や感受性について身近な事象の観察を行っているが、それは「豊かになった日本の若者」についての議論と同じような皮相的なものなので、ここでは省略する。但し、ブミプトラ制度に守られて豊かになったマレー人が「強制されることなくマレー社会のイスラム化の推進役になり」、また若い世代もイスラム化を支持しているという指摘は、もう少し見ていく必要がある。80年代に出版された米国人による英国経済を分析した本で、英国ではある一定程度の資本が蓄積されると、その富裕層はそれ以上の利潤追求を求めず、むしろ社会的栄誉を求める傾向にあり、それが米国のような巨大資本の成立を妨げたという議論であったが、ここではその「社会的栄誉」を「宗教的達成感」に置き換えることで説明されるのではないか。しかし、著者は、そうした分析は全く行っていない。
ここで著者は改めてブミプトラ政策の歴史過程を説明している。先に植民地支配者による「マレー人は農業、中国人は商工活動といった民族的就業構造の固定化」という議論があったが、今度は実はそれがマレー人の保護政策であった、という全く逆の議論が出てくる。それは、例えばスルタンの政治的・経済的地位を守るといった、マレー社会の伝統的秩序を維持する政策の一環として、そもそもマレー人が、都市生活よりも農村生活を好んだことから、そのマレー人の従事する農業を保護するために設けられた制度が起源となっているというのである。ただ、著者の議論は、また返す刀で、この農村保護策は、実は英国によるプランテーションの拡大に伴う食糧確保が目的であったと、位置付けが二転三転していて分かり難い。
但し、戦後、宗主国に返り咲いた英国が、このスルタン制の廃止や、日本軍占領下で抗日運動に加わった中国人に対する功労として彼らの地位を引き上げる案を出した際に、1946年に結成された統一マレー人国民組織(UMNO)を中心に大きな反対運動が起こり、その流れの中で1957年の独立時に、戦前からのマレー人の伝統と経済的地位を保護するブミプトラ制度の原型が憲法に制定され(憲法153条)、且つこれに関連する4つのテーマが「敏感問題」として公開の場での議論が禁じられた、という事実は重要な里程標として抑えておく必要があろう。
初代大統領のラーマンの時代は、むしろ「民族融和」の精神の下、マレー人優遇策は穏やかなペースで進められ、マハティールの時代に入ってからより強力に推進されたとのことであるが、その詳細説明は、またやや回り道をして後ほど行われる。ここではマハティールが、1965年に下院議員選挙で落選し、UMNOからも追放された失意の下で出版した「マレー・ジレンマ」で展開した、マレー人の近親結婚による遺伝的劣化という議論を、その後、マハティールが復権し、この政策を協力に推し進めたことを考えると、留意しておく必要はあろう。
この政策の最近の状況として、第10次5ヵ年計画での「ブミプトラ開発アジェンダ」が紹介されている。これによると、この政策の新たなアプローチとして、「@市場経済との友好な関係、Aニーズ・ベース、B能力ベース、C透明性」が挙げられており、これはマレー人の単なる保護政策から、「マレー人を経済活動により参加・促進する積極性」を促すものと解釈されている。このための新たなブミプトラ投資会社が設立されたり、不動産投資基金の活用、更には起業家訓練、技術開発支援、資金調達支援、コンサルティング・サービスやマーケッティング支援やそのための資金的裏付けとなる「運転資本保証スキーム(WCGS)」といった予算措置も採られているという。面白いところでは、KL市内のマレー人居住地域である「カンポン・バル」の再開発などもこの一環であるというが、ここは次にKLに行く機会には是非覗いてみようと思う。いずれにしろ、この国の「高所得国」入りのためには、「ボトム40%」の所得引き上げが重要であり、ナジブ政権が今後どのような手腕を見せていくかは興味深いところである。
マレーシアのイスラム化については、昨年当地でも新聞紙上を賑わせた、モスレム女性への鞭打ち刑の事例が紹介されているし、面白いところではゲンティング・ハイランドのカジノでモスレムの雇用を禁止したり、バレンタインデイ普及に抵抗するといった動きもあるという。問題は、その背景である。著者によると、これはマハティールの時代に「マレー人の求心力としてブミプトラ政策を進めるために」意識的に進められたものであるという。そしてマラヤ大学でイスラム学を学んだアブドラ前首相の時期には、「イスラム・ハッドハリ(イスラムの市民化)」がスローガンとなり、マレー文化とイスラムの融合が試みられると共に、金融面でもイスラム金融の整備が進められることになる。
著者はイスラム金融についていろいろ説明をしているが、これは経済専門家の本も多いので省略する。ただ、結局マレーシアがこれを進めているのも、同じイスラム国家である中東諸国からの資金還流を獲得するための手練手管という感じがしなくもない。実際、イスラム金融といっても、それを認定するシャリアにより内容は多様で、またそのシャリア委員会の構成も、識者の人数不足から、一般のビジネスマンが多く参加しているという。著者が指摘しているように、これは「ブミプトラ政策を安楽死させる方法として、同政策を世俗的なイスラム化の中に埋没させる」ことにより、「ブミプトラ・マイナリティを特別な問題とする必要がなくなり、マレーシア社会の一般的な経済・所得格差とする」ことを目指しているとすれば、それは確かに面白い宗教の利用方法であろう。いずれにしろ、今のところマレーシアのイスラム化が、「原理主義化」する兆候はなく、あくまで戦術的な世俗主義として、この宗教を社会統合のために使っているというのが実態であると思われる。
最後に、マレーシア社会での女性の進出について簡単に触れている。マレーシアのみならず、中国や東南アジアは、戦後多くの女性リーダーを輩出しており、そうしたトップのみならず一般の組織でも有能でやる気のある女性が多いのは、私も日常のコンタクトの中で感じていることである。著者は、この要因を「アジア社会の他民族、多言語、多宗教、多文化に代表される多様性が柔軟な社会を構成している」ことに求めているが、それはある程度そのとおりであろう。
女性の大学進学率が高くなっているのみならず、面白いのは、女性が卒業後も都市に留まる比率が高く、その結果都市部での男女比率を見ると、圧倒的に女性が多くなっているという。この点、日本ではどうなのかというのも気になるところである。いずれにしろ、中国や東南アジアでは、母系制や共働きの伝統があるので、日本などよりも先に女性の社会進出が進むことになっているというのは、そのとおりであろう。
ただ一方で、イスラムは、一夫多妻制や男女を分けた教育、更にはチャドル着用など、「慎ましやかな女性像」を求めており、女性の社会進出は、必ずどこかでこうしたモスレムの習慣や伝統とぶつかっていくのは間違いない。例の酒を飲んだモスレム女性への鞭打ち刑などは、そうした軋轢の一端なのであろう。社会のモスレム化の中で、例えばモスレム女性の中でスカーフを自主的に着用する人口が増えている、という指摘もあるが、この社会は、インドネシアやトルコなどと同様に、世俗的モスレムを近代化のために利用しているのは確かであるが、それがどこかでバランスを失うリスクは常に抱えていると言えそうである。
こうして、マレーシアという国家の最近の姿を、この本を通じてつかむことが出来る。しかし、こうして改めて全体を見直した上で本として評価すると、著者の論理が曖昧だったり一貫していなかったり、あるいはブミプトラ政策のように、同じような説明が何度も繰り返し説明されるが、その間で矛盾があったりと、こうしてまとめるに際しても理解に大変難儀する部分が多くあった。更につまらない誤植なども散見され、本としての完成度にはやや疑問が残ることになった。全体の論理展開としても、ブミプトラがこの国の基本であることは明らかなので、むしろこれを総てまとめて説明し、そこから個々の政治・経済・社会問題の詳細に入っていけば、もう少しこの本も分かり易くなったのではないかと思う。ただ、もしかしたら、このブミプトラ政策とイスラム化という二つのこの国の原理が、実は必ずしも論理的に整理されない曖昧性を持っていると考えられなくもない。国としての曖昧さが、それを観察する人間にもなかなか一貫した姿を捉えることを難しくしていると言えなくもない。そこは、論理的に一貫した、非常に分かり易い国家意思を持っているシンガポールとは大きく異なる。その意味では、この国から独立したシンガポールは、そうしたこの国の曖昧さに耐えられなかった、あるいはマレーシアはそうしたシンガポールの論理性に耐えられなかった、というのが、この二つの国が道を分けた理由であったのではないかとも思われるのであった。
読了:2011年11月11日