アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
マレーシア
熱い絹
著者:松本 清張 
 以前から読みたいと思いつつ、なかなか機会がなかった小説であるが、偶々知人が読んでいた文庫本を借りて、一気に読み終えた。原作は1972年から1974年、一旦中断した後1983年から1984年にかけて雑誌に連載され、1985年に単行本として刊行された作品で、文庫版は1988年の刊行である。

 1967年7月18日付のバンコクの英字新聞によると、タイ在住の「シルク王」と呼ばれるジェームス・ウイルバーは、7月16日(日)午後、マレー山脈の保養地キャメロン・ハイランドにある知人の別荘「南十字星」を一人で出た後、忽然と失踪した。警察を動員した大規模な捜索にもかかわらず、結局彼の消息は確認されていない。J.ウイルバーは、米国人で、大戦中はCIAの前身組織であるOSSに所属し、終戦時はセイロンでタイに対するパラシュート降下を計画していた。戦後バンコクに移り住み、1951年、現地の織物業者と共にタイシルクの製造・販売会社を設立し大成功した富豪である。以上が、この小説でのJ.ウイルバーの履歴と失踪の経緯であり、この事件と日本の軽井沢で発生したアメリカ人婦人殺人事件を重ね合わせながら、そのキャメロン・ハイランドで続けて次々と起こる殺人事件を、その地を訪れた長野県警の刑事が推理していくという推理小説である。ウイルバーはタイ・バンコク在住であるが、舞台のほとんどはマレーシアのキャメロン・ハイランドであることから、マレーシア関連として掲載させてもらう。

 言うまでもなく、これはジム・トンプソンの実際の失踪事件を使った著者のフィクションである。実際の事件は、トンプソンが1967年3月26日、友人の別荘「ムーンライト・コテージ(月光荘)」で忽然と姿を消し、警察、現地住民を含めた延べ数百人を動員した大規模な捜索活動にも拘わらず、その姿は二度と発見されなかったというものである。当時、身代金目的の営利誘拐、諜報活動絡みの誘拐と暗殺、単なるジャングルでの遭難から地元住民による殺害など様々な失踪理由が取りざたされたが、真相は今に至るまで闇に包まれている。また失踪から5か月後の8月30日、トンプソンの姉であるキャサリン・トンプソン・ウッド(当時74歳)がペンシリバニアの自宅で他殺体で発見されているが、この事件の犯人も検挙されておらず、トンプソンの失踪との関連も分かっていない。トンプソンは、小説でも使われているとおり、米軍OSSの所属として、大戦末期のバンコクに落下傘降下を行い、日本軍の後方撹乱を行う作戦に参加していたが、日本が降伏したためにバンコクに到着したものの戦闘に巻き込まれることはなく、OSSのバンコク支局長に就任するが、いったん帰国命令がでる。しかしアメリカに残った妻との離婚もありバンコクに残り、まずオリエンタル・ホテルの経営に携わった後、私財を投げ打って、当時機械織りによる大量生産で衰退の一途を辿っていたタイ・シルクの復興に没頭した結果、アメリカのファッション界中心に注目され、ハリウッド映画「王様と私」の衣装として使用されたこともあり、彼は「タイ・シルク王」として世界中で名前が知られる大富豪となるのである。

 小説では、上記のとおりまず「シルク王」ウイルバーの失踪と軽井沢での彼の実の妹であるアメリカ人女性の軽井沢での殺人事件が取り上げられ、その二つの事件の情報交換のため、長野県警の長谷部刑事らがキャメロンハイランドに赴くことになる。そこで、第二、第三、第四の日本人が絡む殺人事件が発生することになるが、それにかかわる関係者は、赤坂と軽井沢の骨董屋の主人とそこでの男女アルバイト、そこに偶々出入りしていたデザイナー、そして川口舞踏団という東南アジアを巡業している日本の劇団。更に、ウイルバーと最後の時間を過ごした別荘の所有者とその友人たちやサカイ族というマレーシアの山岳原住民、川口舞踏団の大締めのシンガポールの興行主などが絡んでくる。当初は、マレーシア警察により、@ハノイと通じた共産ゲリラが、ベトナムで旗色の悪い米軍が核を使用するかどうかを、CIAスパイのウイルバーを誘拐して自白させようとした、Aタイシルク増産のため綿花畑を拡大したことで、ケシ畑が圧迫され、麻薬マフィアがウイルバーに復讐した、Bタイ政権の腐敗などの内情に通じた米国スパイの口を封じた、という3つの仮説に基づくウイルバー失踪の捜査が行われている。しかし、第二、第三の殺人事件が起こる中で、長谷部らは、ウイルバー失踪の首謀者で、日本でのアメリカ女性殺害の犯人は、ウイルバー失踪を届け出た別荘所有者とその友人グループだったのではないか、という憶測を強めていく。しかし、第二、第三、第四の殺人事件が発生する中、まずはその事件の解明が優先され、それが第二次大戦のマレー戦線における日本軍からの脱走兵と、その父親を探す舞踏団の娘、そして彼女を助けようとする人々の動きの中で引き起こされたことが明らかになるのである。そしてこの第二、第三、第四の虚構の殺人事件は真相が解明されることになるが、混乱の中でキャメロン・ハイランドから逃走した「ウイルバー失踪」と軽井沢殺人事件の容疑者についての真相は語られることなく、この小説は終わることになるのである。

 かように、これはまずはジム・トンプソン失踪事件という実際の事件から始め、それにフィクションとしての「キャメロン・ハイランド殺人事件」を重ね、それらが全て相互に関連しているように作り上げられた小説であり、その伏線の張り方から、個々の殺人事件のトリックなど、巧みに計算された構成は見事である。そして特に、著者が実際に取材した60年代終わりのマレーシアやキャメロン・ハイランドの描写は詳細で、当時のこの地域の情景をありありと想像させるものになっている。その意味で、実は私はこの著名な小説家の作品は、今まで「読まず嫌い」のままで来たが、やはりそれなりの筆力を持った作家であることを今更ながら痛感することになったのである。

 しかし、それにもかかわらず、今回これを読んだのは、それがあくまで「ジム・トンプソン失踪事件」を素材とし、またその舞台がキャメロン・ハイランドがあったことによる。その意味では、この作家が必死で考えたフィクションの殺人事件のトリックよりは、作家が使った60年代末の東南アジア情勢―それは日本軍の侵攻から終戦、そしてベトナム戦争激化とその頃の周辺東南アジア諸国の情勢―のほうが、私にとっては興味深く、また刺激的であった。そしてそれをフィクションの中に巧みに織り込んだことが、まさにこの作家の力量であったと思われる。今年逝去した「シンガポール建国の父」が、現役時代から好んで夏季休暇を過ごしていたというこの高原、「天然の密室」であり、麓に下りる道は一本しかないという、未だに「J.トンプソン失踪」の伝説が語られる高原、そしてそこでの楽しみと言えば、下界の猛暑からの避暑地ということを除けば、ゴルフやイチゴ・茶摘み位しかないというこの高原が、急に身近なものになった。今後いつか、ここを訪れることになるのだろうか?

読了:2105年5月28日