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ぼくが歩いた東南アジア 
著者:村井 義敬 
 夏休みの日本への帰国時に仕入れて持ち帰った最新刊である。1975年にバンドゥンに2年間の留学をしてからアジアと関わるようになった著者が、その後の33年間に、様々な機会に取りためた写真を中心に、カテゴリー毎に随筆風の文章を加えた、いわゆるフォト・エッセイである。写真をメインにした上質な厚紙で作られていることもあり、文章部分は短く、値段の割には簡単に読み切ってしまうのがやや残念ではある。

 著者は、そもそもは東南アジアのエビ産業を含めた地場産業の調査を主たる研究領域としていたようであるが、その過程で、NGOなどの活動にも関与するようになり、東南アジアを広く旅している。それは私のようなこの地域の新米には、とても想像のつかないような地域への旅を含んでいて、たいへん刺激的である。他方で、広い東南アジアのある場所の話から、突然地理的に離れた、私が聞いたこともない場所に、次から次に飛んでいく著者の筆の前に、見開きに描かれたこの地域の地図に何度も帰っていかなければならないという煩わしさもあった。もう少し論理的に展開できないのだろうか、という不満を抱きながらも、それが逆にこの地域の気ままな旅を象徴する思考方法なのだろうか、とも考えたのである。

 多くの東南アジアの国が、33年の時代を入ったり来たりしながら登場する。まずは、彼がもっとも長く、深く関与したインドネシア。私も現在の業務の最重要地域としてこれまでも、いくつか文献を読み(その中には、友人の書いたヌサトンガラ諸島のバックパッカー旅行記も含まれるが)、また観光で何度か訪れた国であるが、著者の旅は、全くそういった私の過去の知識・経験を超えている。彼が最初に留学した70年代の西ジャワ、バンドゥンの田園風景。留学の帰途に立ち寄ったというシンガポールの猥雑感漂う裏町(ブギス近辺のようである)。そこで売られているナマコ、アワビ、フカヒレ等は、その後の著者の水産物調査のテーマとなり、その後80年代に入りスラウェシ島で訪れた中華街の姿と重なる。シンガポール、マレーシア、インドネシアはまさに「一衣帯水」であると著者は言う。そしてそのインドネシアのカリマンタンは、フィリピン領のスールー諸島の目と鼻の先である。75年に訪れた「公園化前」のボロブドゥールや牛がゆっくり歩く90年代半ばの写真は、すぐに最近の私の旅行を思い出させる。サイゴン解放(1975年)も、まさに著者のアジア放浪の出発点に位置する出来事である。

 こうしたイントロから、各テーマごとに整理された各論に入る。まずは「いちば」。70年代のバンドゥンの市場での体験。今でも共通するアジアのいちばでの交渉風景。しかし最近の屋台での交渉は、私の子供が英語でできるくらい「進化」している。しかし、これが2000年代の写真とは言え、パプアの北東の小さな町デパプレのいちばとなると、もう想像を超えている。売られている商品も聞いたことがないものが多い。ピナン(ビンロウジュ)という果物は、石灰粉と一緒に噛むと気分が高揚するという。南洋の覚せい剤か!タイの水上マーケットは良いが、東チモールのマウベシのいちばは、私はおそらく生涯行く機会がないだろう。

 アジアの農村。日本のそれがある種の原風景であるように、アジアの農村も心休まる風景である。しかし西ジャワ、スンダ地方スメダンの70年代の農村風景と言われても、そもそもジャワ島のどこ、という感じである。農村での食事に舌鼓を打つ著者。ソト・アヤムなど、一応私も知っている料理が出てきて安心する。この間のボロブドゥール旅行で食べた白米は美味しかったが、これも色々品種改良され進化しているとのことである。インドネシアの米には「インディカ系」と「ジャポニカ系」があるそうだ。

 フィリピン、ネグロス島のサトウキビのプランテーションについては、著者はやや批判的である。広大な土地に単一の輸出用商品作物を栽培したため、エコロジーが断ち切られ、その恩恵を受けない近隣の住民は、かつての豊かな自然を失い、飢えと貧困に落ちていく。「ネグロスの飢え」はその象徴的出来事だという。写真を見る限り、南スラウェシやパプアの農村は、そうした問題からは逃れているようだ。

 アジアの乗り物の世界。著者が愛好するのは、自転車で籠を押す(または曳く)ベチャ。ここシンガポールではいまやエキゾチズムを求める観光客用の乗り物でしかないが、70年代のアジアでは民衆の主要な交通手段であった。私も、タイでトゥクトゥクに乗ったり、先日アンコールでは、バイク・タクシーに乗ったりしているが、エンジンがついた後もいろいろな型のタクシーがあったようだ。タクシー運転手といろいろ政治談議をしている話しも出てくるが、これは私のこの間の旅行でのガイドとの政治談議と同じようなレベルの雑談である。

 「エビとナマコと南海産品と」という章は、著者が追いかけてきたこの地域の海産物に関わるフィールド・ワークである。こうした研究と実査を職業にしてきた人間がいるということ自体が面白いが、この過程で著者が訪れた場所が、また生半可ではない。東ジャワから始まり、スラウェシまではいいが、マルク諸島ってのはどこにあるのだ、と地図を見ると、スラウェシとパプアの間に、バリ島などより大きいセラム島を中心にした群島がある。海洋国家インドネシアとは、まさにこのことだ。パプアまで来るとオーストラリアも目と鼻の先。ナマコを求めて海を渡ったスラウェシのブギス人やマカッサル人は、古くから白人が移住する前のオーストラリア近海まで出没し、アポリジーニとの交流まであったという。しかも、彼らは、自分たちが干して販売したマナコを最終的に華人が買っていたということを知らなかったという、面白い落ちまでついている。バガン船(やぐら式敷網)での漁業風景。ジャワ島東端のバニュワンギから定期船で12時間かかるカンゲアン諸島(地図を見ると、バリ島の北にある)での真珠養殖現場も、ほとんど私は訪れる機会はないであろう。

 海と船(と港)の話しは、海洋国家ならではのロマンである。スンバワ島というのはヌサトンガラにあるが、突然次に港の話が東南スラウェシのケンダリに飛ぶ。そしてまたタイ南部のソンクラへ。エビ養殖場が作られたため、天然のエビ漁ができなくなった話は皮肉である。南スラウェシの猥雑な港パレパレの光景。タンニバル諸島(これも地図で探す)のヤムデナ島の港町サムラキでの夕日。近くの別の島(ババル島)で、大戦中、日本軍による住民虐殺事件が起こったこの街で、売春宿に案内された話しや、鍛冶屋諸島という東南スラウェシへの渡航で往生した話し等。

 次は突然国家、国軍、国境といった堅い話しになる。2004年12月、インドネシア政府が、当初スマトラ沖地震で被災したアチェへの国際援助を拒否した話しやビルマのサイクロン被害でも同じような対応が取られた。一方で、話しは遡り、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍属の朝鮮出身者の埋葬の話。東南アジアでは、日本軍占領の爪あとが至る所に残っていることは言うまでもない。現代では東チモール独立に際しての、インドネシア国軍の支援を受けたと思われる民兵による虐殺の話しもある。フィリピン最南端のスールー諸島は「イスラム・テロの本拠地」とも呼ばれている。国境に関しては、極度に人為的なインドネシア領パプアとパプア・ニューギニアの国境がある。海洋国家の人々にとっては、はるかな昔から国境など意味がなかった。長年の植民地支配から脱却したこれらの国が、独立と同時にこうした近代国家の枠組みに組み込まれてしまったのは皮肉である。しかし、これらに関する著者の議論は、やや理論的な裏付けや論理を欠いていて、感覚的なものになっていると言わざるを得ない。

 続いてもう一つ政治的なテーマ。日本のODAの評価について。南スラウェシのビリビリ・ダムや中部ジャワのクドゥンオンボ・ダム等、日本のODAで建設されたインフラは数多い。タイ北部のゴールデン・トライアングルでもJBICの借款で観光事業が整備されているというが、この近くにブミボン国王の母親の名前をとったシーナカリン・ダムというプロジェクトもある。こうしたダムの建設と、その影響でのエビ養殖事業への業者の殺到が、その下流の生態系を台無しにしたという。また、この間訪れたばかりのボロブドゥールの公園化に際しては、少なくない人々が強制的立ち退きを命じられ、生計の手段を奪われたまま別の場所に移っていったという。かと思うと、西カリマンタンや中スラウェシでの日系コンサル会社による、地域紛争と人道支援・貧困除去を名目としたODAビジネス探しの話しになる。その会社の汚職話から始まっていることもあり、非難するのかなと思って読んでいくと、アジアの奥地で頑張ってビジネスをしているという、評価するような書き方になっている。こういう話題になると、どうもこの著者の思考回路はよく分からなくなる。次の「開発最前線」というのも似たような話し。こちらは、鉱工業開発に関わる環境破壊やジャワからパプアへの移民という名目での「貧困の外島(ジャワ島、バリ島、マドゥラ島以外)への輸出」の話し等。

 そして再び最後にのどかな東南アジアの旅へ。南スラウェシの美しい夕日やエコ・ツーリズムの可能性についての話。面白い指摘は、「バリ島で30年かかった観光化が、シェムリアップ(アンコール)ではたった7年で起きている」という点。私もそれに乗ったという訳である。著者は、もっとも心地よい旅は、現在ではインドネシア領パプアであるといっているのが心に残った。本の最後は、彼が出会い、写真に収めた多くの人々に関わる随想である。

 繰り返しになるが、これはアジアに関する論理的な議論を行なう本ではなく、著者が取りためた写真を見せるための随筆である。その意味では、写真がメインで、文章は補足に過ぎないと言った方が正確であろう。文章だけ読んでいくと、場所も、時代も、テーマも目まぐるしく変わることから、体系だって頭に残ることがない。しかし、写真だけ見ながら、現在私が生活しているアジア諸国、地域の過去と現在を自由に浮遊していると、それなりに良い気分になってくる。その意味では、やはりあまり著者の文章に捕らわれることなく、気楽に眺める作品として楽しむのが一番である。

読了:2009年8月19日