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東南アジアを知るー私の方法ー
著者:鶴見 良行 
 4月に、彼の「日本人とバナナ」を読んだばかりであるが(別掲参照)、このアジア・フィールド・ワークの嚆矢とも言えるこの研究者の作品は、もう少し見ておきたいと考え、5月末の日本出張時に、この1995年出版のこの作品を購入した。前作と同様、これも2010年時点で19版となっているので、古典としての評価を受けていると言える。

 しかし、内容的には、今一つ刺激が足らなかった。というのも、これは著者が、1994年12月に逝去した後、彼の周囲の人々が彼の追悼も込めて、彼が在野の研究者として進めてきた独自の東南アジア研究の、意図や方法、そしてその幾つかの例を解説した講演を中心に編集した小著であり、あるテーマを掘り下げていく彼の研究そのものではないからである。しかし、それでも、彼の東南アジアでのフィールド・ワークの様子と、その過程で彼が作り上げた内外の人脈などを知ることができるのは興味深い。

 北爆が開始された直後のサイゴンを経て、ハーバードへ留学した時の思い出から語り始めるが、ここには著者のアジア研究が、ヴェトナム戦争を契機としたものであることが示されている。そして帰国後最初の東南アジア研究として、1970年にフィリピン、バタアン州の保税(輸出)加工区の取材を始めるが、ここですでに、一つの具体的な事象に目を留め、それを、現地調査を中心に徹底的・具体的に分析していく中で、「大きな世の中の仕組み」が見えてくる、という著者の手法が採用されている。この研究で著者は、この時期東南アジア各国で外国資本誘致のため一斉に始まっていたこの計画の一つとして、このフィリピンでの実例を見ることによって、ヴェトナム戦争を契機に先進国の資本を呼び込み、当初の輸入代替型から始まり輸出志向型に転換していったその後の東南アジアの経済成長の原点を見ることができたとする。同時に、このフィリピンの例は、現地調査を通じて、この地域で第二次大戦中に発生した日本軍による残虐行為と言われる、「マリベレス死の行進」といった現代史にまで考察を伸ばすことができただけでなく、フィリピンの研究者との共同作業という成果ももたらしたとするのである。

 彼が東南アジアの島嶼部に関心を移したのは、1973年に、マレー半島のクラ地峡(南部タイ)での、原子力(水爆)を利用する運河計画があり、それに日本企業も参加しようとしていることを知ったことがきっかけであったという。丁度、当時の田中角栄首相がASEAN歴訪中に各地で日貨排斥のデモに遭遇した時期でもあったことから、著者もマラッカを中心にこの島嶼部を回ることになる。

 ここで、運河計画問題と共に、まさに古代から列強による植民地化までの、この地域での海上交通の歴史が簡単に語られるが、これは著者の「マラッカ物語」に結実したという。既に廃刊になっていて中古本しかないこの作品であるが、先に読んだ「1421年」によって喚起されたマラッカへの思いを考えると、この作品は是非読んでおかなければならないと感じたのである。尚、ここで触れられている東南アジア研究に際しての「感情移入」に関わる議論は全く不透明で理解できなかったが、他方で東南アジア諸国が、西欧植民地主義からの独立過程で「(人為的に)不自然にあわてて(国家とナショナリズムを)創出しなければならなかった」と指摘されているのは重要なポイントである。

 その後、彼は具体的なテーマを前面に出した著作を連続して出していくが、その始めが4月に読んだ「バナナと日本人」。これはそこで既に細かく見たが、続く「マングローブの沼地で」(フィリピン、ミンダナオ)も、作品としては面白そうである。そして続いてエビ研究に進んでいく。

 ここで分かったのであるが、以前に読んだ「僕が歩いた東南アジア」(別掲)の著者である村井吉敬は、著者の共同研究者としてインドネシア研究班に参加したメンバーであった(彼はまたこの本のあとがきも書いている)。まさにこの「エビ研」で、彼は鶴見と共に東南アジアの辺境部のみならず、インドなどにもフィールド・ワークの足を延ばしていたのである。村井の著書はこうした経験の総括であったのである。「エビ」については、また後で細かく触れられているが、ここでは続いて「ナマコ」研究の経緯が語られている。

 以前に読んだ別の本で、中国人が古くからナマコを求めて東南アジアに進出し、ブギス人などがオーストラリア沿岸まで出向いてアボリジーニからナマコを仕入れ、中国人に売っていたという話を学んだが、まさにここでの彼の「マナコ」研究も、これを跡付けると共に当時のこの地域の海上交通・交易を探る「魚民の視点から眺めた」「辺境学」の旅である。

 そして「エビ研」である。この時点で「日本は世界最大のエビ食国民で、世界市場のエビを買い占め」ているが、その大半がアジア産である。そのエビ漁の現場を巡る旅が語られる。こうしてジャワ北岸や南スラウェシで広がっているマングローブ沼地を利用した養殖池や更にはアンボン島を経由してパプアに近いアル諸島のトロール漁などを調査している。これに関連して、マングローブから作られるマングローブ炭やブギス人による木造船建造技術やマラッカ海峡での華人漁民の姿等について簡単に触れられた上で、この本は終了する。

 著者のミクロからのアプローチは、確かに一定の説得力を持っている。外交官の父の滞在先米国で生まれ育ち、「半分米国人」であった著者は、それに反発するようにアジア研究を志し、しかも実質在野で、資金的にも苦しい中、東南アジア僻地でのフィールド・ワークを中心とした泥臭い研究を進めることになった。しかも、それは今よりもずっと厳しい条件下での旅の連続であった。しかし、この本に寄稿している内外の関係者は、一様に、彼がこうした旅をどこまでも楽しみ、そしてその取材をまめに整理していたと述べている。謙虚な人柄と旺盛な好奇心から生まれた彼のアジアへの思いを、少し遅れてではあるが、もう少し味わっていきたいと考えている。

読了:2012年6月17日