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アウンサンスーチー
著者:根本敬/田辺寿夫 
 7月14日から17日まで、再度シンガポールに赴任してから最初のASEAN域内出張で、ミャンマーのヤンゴンを訪れた。2年半前の旧正月休暇を使った観光旅行(別掲)以来、2回目のミャンマーであるが、今回は初めての業務出張である。その出張前から読み始め、出張中に読了したのが、2012年6月出版のこの新書。前半は、年初に読了した、この国の通史を著した学者による、アウンサンスーチーを軸に据えたミャンマー情勢の解説、後半は、これも1996年出版の作品を読んだことのあるもう一人の著者による、日本におけるミャンマー社会の最近の様子が描かれている。両方とも、私が以前読んだ作品(夫々別掲)と重複している部分も多く、特に前半は、既に読んだ作品が、2014年1月と、今回の作品よりも新しい出版であるため、最新の状況を含め、この国の政治、経済、社会状況を網羅している。従って、今回の作品は読みやすかったものの、新しい情報は限られることになった。そのため、ここでは、今回のミャンマー訪問の印象を中心に記載し、必要に応じ本文を参照させてもらうことにする。

 まず2年半振りに訪れたヤンゴンであるが、最初に感じたのは、2年半前と比較して、町を走る車の数が増加し、渋滞が始まっていること、及び走っている車の中で、最新型の車種が増えていた、ということであった。最近のミャンマー報告(別掲)を書いているコンサルタントが、「崩れ落ちそうな町並みと中古車の群れの中に、大豪邸や高級新車を目にする」と書いたとおり、格差は厳然と存在しているが、そのうちのハイエンドの数や所得は着実に増加しているようである。これは数年前に、それまで制限していた中古者輸入を解禁したために、それまで車を買いたくても変えなかった高額所得層がいっきに購入を増やしたことが要因であるようだ。また前回はヤンゴンのホテルには宿泊しなかったことから比較は出来ないが、宿泊したホテルは、1996年の建設ということであるが、値段もネット環境を含めたファシリティも、シンガポールなどのホテルと遜色はなかったが、他方で値段もシンガポールのホテル並みに高いというのは、外国企業の来訪ラッシュに供給が間に合わないとはいえ、この国全体の経済水準を勘案すると、明らかに異常である。今回話を聞いた日本人駐在員の住居コストも、シンガポールとほとんど変わらない、ということで、これが続くと、外国企業が今後のこの国への進出を考える時のネガティブ要因になりかねないだろう。

 他方で、前回ヤンゴンの町で感じたある種の緊張感は、今回は全く感じることがなかった。もちろん前回は、シェダゴン・パゴダ等の観光地を短時間車で回っただけの印象である。しかし、当時は、ガイドによると、「家の前の通りは封鎖されていて、入ることができない」と説明されていた、アウンサンスーチーが15年強に渡り軟禁されていた湖畔の自宅であるが、今回その前を、車で何度も往復したが、「NLD」とだけ書かれた看板以外は、特段そこが近年の主要な政治舞台になったことを想起させるものはない。警備兵を含め、門の前には、全く人気が感じらず、その地域にある、多くの豪邸の一つに過ぎない、という感じである。因みに、アウンサンスーチーが、最終的に自宅軟禁から解放されたのは2010年11月。連邦議会で選出された現テインセイン大統領を国家元首とする新政府が発足し、形式的に軍事政権の幕が下ろされたのが2011年3月、ということなので、前回の私の訪問は、「民政」以降後、1年に満たなかった時期ということになる。

 ミャンマーの最近の政治につき若干のおさらいをしておくと、1988年の民主化運動を武力で押さえ込んで登場した軍事政権は、1990年の選挙でのNLDの勝利(485議席中392議席、得票率59.87%)に驚き、民政移管を無期限に先延ばし、その間に「民主化勢力に選挙で負けない体制をつくるべく、それを実質的に可能にする」現在の憲法を、長い「準備期間」を経て2008年に制定した。それは実質的に軍の影響力をできる限り温存する性格を持っていることから、アウンサンスーチーも、政治舞台への復帰以降、この憲法の改正を大きな政治目標に掲げて活動を進めてきた。

 他方で、テインセインは就任後、アウンサンスーチーとの直接対話、ミッソンに中国支援で建設中であった「環境破壊型ダム」工事の中止、政治囚の段階的釈放、NLDの政党登録、そして経済面では、前述の自動車輸入の規制緩和(法外な輸入税の緩和)などの改革を矢継ぎ早に導入していった。その理由は、この本の著者によれば、@自国の対外イメージ改善、A長期にわたる安定した経済発展、そしてB中国の影響力、なかんずく将来予想される中国からの軍事協力などの圧力緩和、であったとされる。他方で、著者は「引退」したはずの旧軍政のタンシュエ元議長が、自分の「忠実な部下」であったテインセインに影響力を行使しているのではないか、という懸念も指摘している。

 こうした状況下で、それまで経済制裁を課してきた欧米が徐々に態度を軟化している様子が説明されているが、この中では、特に日本の対応が、私自身の仕事との関係で重要である。即ち、日本は2003年以来凍結していたバルーチャウン水力発電所改修工事とヤンゴンの人材育成センター開設プロジェクトを中心に、ODAの本格再開を公表したという。今回の私の業務出張では、まさにこのODAが主たるテーマの一つであったが、現地窓口によると現在ミャンマーでは日本のODAを使ったインフラ関連で40のプロジェクトが動いているということで、まさにそれが活況を呈していることが伺われる。但し、この本でも書かれている、官僚の腐敗や相対的に低い教育水準、あるいは実勢を乖離した現地通貨チャットの為替水準に加え、今回の出張でも実感した不安定な電力供給や外人向けホテルやオフィスの価額高騰といった問題への対応が喫緊の課題となっていることも確かであろう。

 また今回私の仕事であったミャンマーの大学の研究インフラ支援、という観点では、この本の中でも教育現場、なかんずく大学教育の水準低下が触れられている。学生運動の温床ということを理由に、「長期休校措置」がとられ、「都市部から地方にキャンパスを強制移転」させたために、優秀な教員や学生は海外に流出し、学生の質が低下。一般の学生も、通信教育の大学に通いながら働くことを選ぶ傾向が強まった、という。この状況は、この本が書かれた時よりは改善しているとしても、依然、まさに私が今回の仕事で実感したこの国の高等教育の実態であることは間違いない。著者はその後、アウンサンスーチーの経歴や思想、そして彼女の今後の政治活動の展望と限界などを説明しているが、これは最新刊の通史と重なるので、ここでは省略する。

 後半は、1996年出版の別の著者による、日本のミャンマー人社会の最近の動向である。前著ではアウンサンスーチーの一時的解放が行われ、民主化への期待感が広がった時期のそれを報告していたが、今回はそれと同じ雰囲気の中での、しかし前回の期待が裏切られた記憶も残る中での日本におけるミャンマー社会の動きを描いている。あまり特記すべきものはないが、ひとつだけ記載すると、日本で難民認定を受けたビルマ人の帰国には金がいる、ということ。彼らが母国に帰るためには、難民資格を日本政府に返上し、在日ミャンマー大使館で新たにパスポートを申請する必要があるが、その際手数料のほかに「滞納」していた税金を払う必要がある。そして二重為替レートもあり、これがミャンマーの難民が新たなパスポートを申請する際に大きなコストになっているという。言わば、われわれ海外居住者が、その土地の日本国大使館に「税金」を納めるという奇妙なシステムである。

 その他、東日本大震災の直後の2011年4月、ミャンマー最大の祭りである水祭りが中止になった話や、その後そのミャンマー難民たちが東北の被災地でボランティアの炊き出しをやった話、あるいは難民の社会の中でも、それぞれの少数民族の特徴があることなどが紹介されているが、詳述は省略する。

 私の仕事の関係では、今回の出張後も、関係者を広げながら、可能な支援を模索するための検討が続いているし、他のASEAN途上国に対しても、これから同様の試みを進めることになると思う。従来の金融ビジネスでは、どうしても業務上関係するのは経済的にある程度の水準を達成した中進国が中心であったが、今回はミャンマーのような途上国も対象となることになるというのは、また新たな楽しみである。2年半振りに訪れたヤンゴンは、明らかに変わっていることが実感できた。そしてその他のASEAN途上国もまた、私の新しい仕事を進める過程で、それなりに変わっていくことも間違いないだろう。そうした変化を、またその都度確認していきたいと思う。

読了:7月16日