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ラオスにいったい何があるというんですか?
著者:村上 春樹 
 5月に、当初予定していたスリランカ旅行をテロでキャンセルした後、その振替えで旅行していたラオス・ルアンプラバンで、1日半一緒することになった日本人男性が持っていた文庫本である。滞在中、結構日本からの旅行客が結構多いのにびっくりし、10連休とは言え、何で直行便もなく、それほど知られたアジアの街でもないこんなところに、多くの日本からの観光客がくるのだろうかと、不思議に思っていた。その問いに答えて、その男性が取り出したのが、この村上春樹の紀行文集(みたいなもの、著者風に言えば)で、なるほど、村上のような人気作家が、本のタイトルにも取り上げるくらいであれば、彼のファンのみならず、この街に興味を持つ人々も出てくるのだろうと、それなりに納得したものである。

 しかし、こちらでその文庫本を高い値段で購入する気にもならなかったところ、偶々古い友人がこちらに来ることになったことから、彼に頼んで持ってきてもらった。しかし、いざ読み始めてみると、274ページの内、このラオスの街について語られているのはたった23ページ。しかも、それ以外はアメリカ、フィンランド、ギリシャ、イタリア等、東南アジア以外での滞在記であった。自分がかつて住んだり訪れた場所であれば、懐かしさと、その町のその後の変化を知る意味で興味深いが、自分の行ったことのない街となると、あえてまじめに読もうという気にもならない。そんなことで、ルアンブラバン以外の部分はほとんど読み飛ばしてしまった。

 村上の旅行記は、まだ彼が駆け出しで、その感覚の新鮮さから熱心に作品を追いかけていた、私がまだ若かった時代(確かロンドンから帰国した後の時期だったのではないか。こうした「雑文」は書評を残していないので、いつ読んだかは、今となっては曖昧になってしまっている)に、「雨天晴天」だと思うが読んだ記憶がある。そこで唯一印象に残っているのは、ギリシャの奥地に入ると、「そこには、あのドイツ人さえもいない」と書かれており、それほどドイツ人は旅行好きで欧州のどこにでも顔を出しているのだな、と感じたくらいである。しかし、その後「大家」となった村上の作品に触れることも少なくなり、従ってこうした「雑文」に触れる機会もそれ以上にないままであった。その意味で、これは久々の私の「村上体験」であった。しかし基本的には誰でも書ける紀行文であり、ただ人気作家が書いたということで、私の個人的な記録にはない「商業価値」を持っている、というだけであるので、ここではそのルアンブラバンの部分だけ、私の先日の旅行を思い浮かべながら見ていこう。

 まずは、ラオスの中でも「とりわけ信仰心の篤い」この街での早朝の托鉢体験から。もちろん私も先日経験したとおり、町中に数多ある寺院の僧侶が、寺毎の20−30人のグループに分かれて通りを歩き、それに人々が炊き上がった米の寄進を行う姿は微笑ましい。ただ私は、宗教行為を商売としているそうした米食(「カオ・ニャオ」というらしい)を買ってまで寄進をする気にはならなかったが、彼はこの体験が「儀式の力というか、場の力というか、予想を超えて何かしら感じるものがあります」と、読者に推奨している。

 続いてメコン川のボート。私も訪れた「無数の仏像の並ぶ不思議な洞窟」以外に、「岸辺にある刑務所(監視塔が不吉に立ち並んでいる)や煙草工場や、王様のかつての夏別荘」等、私のツアーには入っていなかった場所も訪問、ないしは通過したようである。先にこの本を読んでいれば、こうした場所が入っていない理由も確認できたのであろうが、それは後の祭り。ただ著者のボートツアーは「ときどきぱらぱらと雨の降る、どんよりと曇った肌寒い日」たっだのに対し、こちらは真夏のガンガン照りの時期であったことは、この川の印象を大きく変えている。彼はここで「僕の中にある川というものの観念を少しばかり、でもけっこう根幹から変更」してしまったようであるが、私にとってはメコンはアジアの大きな河川のひとつに過ぎない。このあたりは著者のアジア経験の少なさを示しているだけなのか、あるいは航空会社の機内誌のためにあえて誇張した表現を使ったのかのどちらかであろう。

 著者が宿泊したのが市内随一の高級ホテル「アマンタカ」であったことは、旅行中の同行者から聞いていた。私のガイドによると、私の宿泊したホテルにプールがないのは、「世界遺産の中心街」であるのに対し、プールのあるこのホテルは、その指定の緩い地域にあるから、ということであったが、それは単に施設を作る資金力の差でしかないのではないか、というのが私の憶測である。著者は、そのホテルのプールサイドで「土着の底力のようなものを痛いまで肌に感じる」ラウンド・ガムランの音楽に接したことが、「ラオス旅行でのひとつの収穫であった」と書いているが、バリやその他東南アジアの同種の音楽とどれほど違っているのかは、私は体験しなかったのでなんとも言えない。

 こうして最後に著者は、街中にある寺院をのんびりと回りながら、そこにある無数の仏像から、自分の気に入ったものを見つけ出そうとしている。それは「宗教的な物語」に満ちているこの街の楽しみ方で、結局彼は「高僧にバナナみたいなものを恭しく差し出している小さなお猿の像」が気に入ったようであるが、私はあえて、仏像にそうした「自分が見たいもの」を求める気にはならなかった。あえて言えば、プロの作家は、そうした細部に、掲載誌の編集者が喜ぶような素材を見つけたということだろうか?「328段の急な階段」を上るプーシーの丘からのメコンを含めた景観は、確かに「人の心を慰撫する」もので、それは「匂いがあり、音があり、肌触りがある」唯一のものとして「これから先もけっこうさわやかに残り続けるだろう」という結論には同感するとしても。

 表題の「ラオスにいったい何があるというんですか?」というのは、彼が、日本から直行便のないこの街に入る際に立ち寄ったホーチミンで、ヴェトナム人から聞かれた問いであったそうだが、結局、彼がこの町で訪れたのは、ほとんど私が訪れた場所と同じである(ここで、私が訪れたが、著者が言及していない大きな観光資源としてあえて言えば、「クアシーの滝」くらいであろうか?)。それは言い換えれば、この街にはその程度の観光資源しかない、ということであろう。そうした限られた観光資源を如何に魅力的に表現するかが、職業作家の真骨頂なのであるが、この町についていえば、私が気に入ったこの町の落ち着き以上の何かを表現しようとして、誇張の大きい商業文になってしまったのではないか、というのが、やややっかみを含めたこの紀行文の個人的な印象であった。

読了:2019年6月16日