ヴェトナム 歴史の旅
著者:小倉 貞男
1933年生まれで、元読売新聞記者として、ヴェトナムを含めた東南アジア駐在が多かった著者によるヴェトナム歴史散歩といった趣の著作で、出版は2002年である。
著者の作品では、2011年に、新書版でのヴェトナムの歴史の概説本を読んでいるが、ヴェトナムに関する作品としてもそれ以来である。この新書の出版は、元々は1997年出版であるが、2009年に第4版として加筆されているので、今回の著作は、その概説本の次の作品であるが、記述としては、概説書の方が新しいものになっているということであろう。ただ概説本を読んでから既に10年近くが経過していることから、記憶も薄れており、今回は別掲のこの概説本の自身の評にも目を通した上で、これを書き始めている。当然のことであるが、重複部分も多いが、この作品の特徴としては、この南北1650キロに渡り広がるこの国の紹介を北部、中部、南部の3つに分けて行っている点(ホ・チ・ミンが遺書で「わたしの遺灰は三つの地域に分けて埋めるように」と書いた、というのは、その地域の統合がこの国の大きな課題であることを物語っている)と、前著では余り触れられていなかった、ヴェトナム戦争時代の著者の特派員としての個人的経験についてそれなりの思いを露呈している点である。以下、夫々の地域で印象に残ったものを中心に記載していくことにする。
まず北部。首都ハノイを含め、この地域は私の12年に渡るシンガポール滞在時に、結局、公私共に行く機会がないままとなってしまった。その意味で、個人的な思いが薄い分、印象が薄くなってしまうことは否定できない。
2002年頃のハノイ。歴史的な旧市街と対照的なフランス植民地時代の建造物。ハノイの歴史的建造物は、中部に王都をおいたグエン(阮)王朝及びその後のフランスによる破壊によりことごとく破壊された結果、あまり残っていないという。他方で、フランス植民地時代の規制もあり、まだこの時代は、ホ・チ・ミン市と異なり、まだ高層建築が少ないのが救いであるという。もちろんこれが現在どうなっているかは私は知ることはできない。この首都についての逸話としては、ヴェトナム戦争時代に、米軍が、この街の入り口となるロンビエン橋を何度も空襲で破壊したが都度再建されたというのが印象に残った。(北部?)ヴェトナム人の粘り強さを物語る逸話で、これが対米戦争を含めた歴史上の幾多の闘いを勝ち抜いた底力となったのであろう。また著者は、ホチミン廟に飾られた彼の遺体はソ連の専門家が処置をしたもので、ヴェトナム人の気持ちには合わないと言い、むしろ彼が住んだ素朴な高床式の住居とそこにぽつんと置かれたタイプライターの方に共感を抱いている。その他、ヴェトナムでの科挙試験の舞台となった文廟も紹介されているが、この辺りが、この街での限られた歴史遺産ということなのだろう。また著者は、「国境の風景」と題して、山岳地帯にある中国国境やラオス国境を紹介しているが、これらが隣国との紛争の舞台となった地域であることは言うまでもない。
中部は、私もかつて世界遺産であるホイアンを訪れたこともあり、個人的な思い入れの残る地域である。そこにあるフエは、ヴェトナム最後の王朝である阮朝の首都(1802年―1945年)であり、その王宮跡は世界遺産に指定されているという。一方で、ここから南に下りたハイヴァン峠で、山脈が海岸線にまで迫り、南北ヴェトナムを分けている。私がホイアンを訪れた際も、飛行機はこの山脈の南側のダナンに降り、フエは、距離は近いけれども訪れることはできなかったが、これは今から考えるとこうした自然構造のためなのであろう。この町を巡る歴史としては、1945年8月の降伏直前の3月、日本軍がこの街で起こしたクーデターと、その際の時の皇帝(保大帝)の身柄確保の逸話、そしてそれを遡る20世紀初め、日本留学を推進した「東遊運動」を主導したファン・ボイ・チャウの出身地が、フエの北方のゲティン州であったということだけ記しておこう。そして中部の最後は、ホイアンとその周辺(ミーソン遺跡や六行山等)。これは2016年の私自身のこの街の訪問を思い出しながら回顧に浸ったのであった。
南部の歴史は、ヴェトナム北部勢力やフランス、そしてメコンデルタ地域を巡るカンボジアとの抗争の話が中心であるが、それ以上に、ヴェトナム戦争下での、著者のサイゴン駐在時代に出会い、その後ヴェトナム戦争やカンボジア内戦で命を落とした日本人たちへの鎮魂が心に残る。マジェスティック・ホテルは、確かドンコイ通り散策中にスコールに会い避難したホテルだと思うが、ここが、著者にとっては、戦争の犠牲になった旧友との思い出の場所の一つになっている。またメコンデルタ地帯を中心に一時広がったカオダイ教やホアハオ教といった新興宗教の話も初めて知ることになった。そして本の最後には、このデルタ地域の自然条件(特に海水の逆流による塩分堆積問題等)を如何に克服・有効利用していくか、という議論も紹介している。
著者の書いているとおり、ヴェトナムを含め、東南アジア諸国は、訪問する度にその景観が変わっている地域である。まだ未踏の北部を含め、おそらく現在はこの国の多くの地域が、ここで記載されている姿からは大きく変わっているのであろう。コロナ禍の現状ではそれを確認する術はないが、また近い将来、この本の情報と共にこの国を訪れる機会を持てることを切に願っているところである。
読了:2021年1月10日