ロヒンギャ危機ー「民族浄化」の真相
著者:中西 嘉宏
二つの大きな皮肉を抱えた新書である。一つは、この「民族浄化」問題が、アウンサンスーチーの解放とミャンマーの民主化が行われている中で、もっと言ってしまえば民主化が行われていることで激化してしまったこと、そしてもう一つは、この新書が出版された2021年1月の僅か一週間後に、この国で国軍によるクーデターが発生し、この問題が、この国を巡る国際世論の中から一気に消え去ってしまったことである。私自身も、この新書は、出版後直ぐに読もうと考えていたにもかかわらず、このクーデター発生で、それこそ関心は、その後の国軍と民主化勢力の闘いに変わることになった。そんなことで、この新書に触れるのが遅くなってしまったが、今回ようやく目を通すことができた。
もちろん、ロヒンギャ紛争の歴史と2017年8月のロヒンギャ武装勢力によるラカイン州での警察・国軍関係施設攻撃を契機とした国軍の「ジェノサイド」的な掃討作戦の経緯などは、十分知る価値のある内容である。しかし、それに対する、日本を含む国際社会の取るべき対応についての著者の提言は、2月のクーデターにより、この本での主張は少なくとも短期的には全く説得力を持たなくなってしまった。クーデター後、ロヒンギャ問題に関わる情報は全くといってよいほど途絶え(国軍が武装勢力を押さえているのか、あるいは以前にも増した「ジェノサイド」的掃討を行っているのか?)、国際社会の関心は、国軍による民主化勢力の弾圧批判一色となり、また対応も、どのようにして再びこの国を民主化への道に戻すかということだけになっている。その意味で、この新書の出版タイミングは全く悲劇的であった。しかし、それはさておいて、少なくとも今後再びこの問題に関心が戻る時のために、紛争の歴史と2017年以降の動きを簡単に見ておこう。
もともとミャンマーは、主要民族であるビルマ族以外の多数の少数民族を抱え、それらのいくつかとは継続的な紛争を抱えていた。それは、ある部分民族問題であり、または宗教問題(少数派のモスレムやキリスト教徒等)であったが、ロヒンギャ問題は、その双方に加え、「国籍問題=無国籍者」という特徴を有している。すなわち、彼らは、少数民族で且つモスレムであると共に、バングラデシュ国境を越えてミャンマーに定住した「不法移民」であることから多くが無国籍であり、「どれだけ長くミャンマーに住んでいても、子々孫々にわたって国籍取得に希望は持てない」という困難を抱えているのである。更に彼らが住むラカイン州は、途上国ミャンマーの中でも最貧困地域でもあり、地域の多数民族であるラカイン人は、仏教徒であるにもかかわらず、歴史的には中央政府との間で緊張関係を抱えていたという。こうした複雑な環境で、過激な武装闘争が発生することは全く意外ではない。2017年8月の、「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」による国軍と国境警備警察の施設31か所の襲撃が起こり、それを受けた国軍が反撃を開始。その結果、この地域のロヒンギャ族の推定人口100万人のほとんどが、隣国バングラデッシュに難民として避難するという事態が発生したのである。
著者は、ロヒンギャ問題の歴史的経緯を詳細に述べているが、それについては、1962年から2011年まで約50年にわたる軍事政権時代に、ロヒンギャに対する「国家による排除と管理の強化」が行われたことを踏まえておけば十分であろう。それを象徴するのが、1982年の国籍法改正(現在も有効)で、そこで「国民を土着民族(135の民族に限定)に限定し、その他の人々と区別」したことである。これにより、これに含まれないロヒンギャは、「植民地時代に移住した帰化国民」であるにもかかわらず、土着民族として認められないことになったという。これを契機にロヒンギャの過激派武闘組織も生まれ、それを理由とした軍政側からの管理・弾圧も強化されることになる。
2011年、大方の予想に反し、突然この国での民主化が進むことになる。情報流通の向上、国際社会の経済支援を受けた企業の生産性向上と人々の消費行動の活性化、そして何よりも言論の自由の拡大。しかし、その反面で、「コミュナル紛争の勃発」が起こる。そしてラカイン州では、民主化直後の2012年5月に、ラカイン人女性に対するロヒンギャ男性の集団暴行事件を契機に、国内の多くの地域で仏教徒とムスリムの間での、暴力の応酬、「全国的な宗教対立の表面化」が始まっていったという。そこでは、「ささいな諍い」さえも、大きな紛争につながっていくことになる。この対立激化の要因として著者は、@民主化が進んで集団での運動や動員可能になった、A新旧メディアの影響による反イスラーム感情の拡散、B治安維持に必要な政府の中立性が担保されていないこと、を挙げている。まさに軍政の強権支配で抑制されていた対立が、民主化・自由化で噴出したということである。当時、日本のメディアでも、この本で取り上げられているミャンマーの過激仏教僧の活動が取り上げられていたことが思い出される。それでも、私がこの国を何度か訪れた2012年から2014年にかけては、少なくとも首都ヤンゴンや観光で訪れたパガンの街は平穏そのものであった。しかし、事態はその後悪化し、ラカイン州では2017年の決定的な武力紛争を迎えることになる。
この事件に対し、国連主導で行った調査とミャンマー政府主導の調査の二つが紹介されている。当然、前者は、政府側により厳しく、後者は寛容ということになるが、後者には日本人の元国連大使の外交官も参加している。それぞれの報告の詳細と違いについては省略するが、重要なことは、アウンサンスーチー率いる民主化政権と国軍が、「主張を次第 に軌道修正し、人権侵害や戦争犯罪を認める方向に傾きつつ」あったということで、それは2019年12月、ハーグの国際司法裁判所の法廷に出頭したスーチーの証言(ジェノサイドを否定しながら、他方で国軍の戦争犯罪を認めた)でも示されているという。そして国内的にもスーチーは、国軍に配慮した対応を取り、それも要因の一つであったのであろうか、2020年11月の総選挙でもNDLは大勝することになる。他方、国軍側も、外交面を考慮し、「軍事法廷という特別な捜査部門」を設置し、今回の事件での人権侵害につき、独自の捜査を始めることを発表したという。しかし、今から考えると、既にこの時、国軍には大きな不満が蓄積し、その後のクーデター計画が動き出していたということなのであろう。
この新書の最後は、このロヒンギャ危機の中で、国際機関や日本が何をなすべきかーロヒンギャ難民の人道支援や帰還プロセス支援、そしてこの事件の事実解明や責任者訴追への働きかけ等々―を議論しているが、クーデターの発生により、それは今や意味がなくなってしまった。むしろ現在国際社会や日本がやるべきことは、まさに国軍に対し、現在の市民への暴力行為を控え、ミャンマーの民主化への回帰を説得することが最優先される状況となってしまった。これが一定の進展を見せるまでは、ロヒンギャ問題が、こうした当事者の議論の課題となることは考えられない。それは別の言い方をすれば、この本で主張されている議論が、次に当事者の課題として認知されるのはいつのことになるか、全く予測できない状況になってしまったということである。もちろんそれを最も認識しているのは著者自身であろう。その意味で、クーデター後、この著者がミャンマーの状況について発言しているのをまだ私は目にしていないが、まずはそれを真っ先に知りたいと感じているのである。個人的には、前述した通り、2012年から2014年にかけての自分自身の公私にわたる訪問時に感じたこの国への思いと期待があるが故に、その気持ちはなおさら強いのである。一日も早く、この国の政治状況が落ち着き、ロヒンギャを含めた国内の民族問題解決に、この国の指導者や国際社会が貢献できるようになることを心から祈らざるを得ない。
読了:2021年6月2日