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ミャンマー政変
著者:北川 成史 
 先に読んだ「ロヒンギャ危機」が、今回のクーデター直前の出版であり、その結果、この国への関心がもはや「ロヒンギャ」ではなくなってしまったタイミングに当たってしまったという皮肉については、その時の評にも書いた。そして現在の関心であるクーデターとそこからの展開についての、こうした著作が出てくるのは時間の問題であろうと考えていた。そしてその最初のものが、この1960年生まれの中日新聞記者で、2017年9月から3年間、バンコク支局特派員としてこの国を担当した著者によるこの新書で、まさに今月10日に出版されたばかりである。

 著者があとがきの最後に書いているように、「国軍がどのような言い訳をしようと、これだけ多くの命を奪ったクーデターは正当化できない」ことは言うまでもない。しかし、国際社会からの圧力を含め、これまではまだ、全権を握り市民に銃を向ける国軍の対応を変えるまでには至っていない。否、クーデターから5か月以上が過ぎ、むしろこの国の状況を伝える報道が減りつつある、というのが実態ではないかと思われる。過去のクーデター、なかんずく1988年のそれについても、当初は同様の国際社会からの批判を浴びながらも、2012年4月の総選挙でスーチーらNLDの候補者が連邦議会議員に当選し、民主化の道が開けるまで20年以上の月日を要することになった。もちろんこの国を取り巻く国際環境が当時とは異なっていることはあるが、他方で当時よりも「民主化」自体についての中国を始めとする周辺の「権威主義国家」の対応が厳しくなっている現在、今回のこの国のクーデターについても、民政化に至るまで同じような時間を要することは十分に懸念される(憲法上、非常事態宣言は当初1年に加え、更に1年の延長が可能で、その後総選挙は解除後半年以内に実施することになっている、とのことではある)。そうした悲観的な観測も否定できない中で、少なくとも今回のクーデターに至った要因についての著者の整理は参考になる。

今回のクーデターの要因―特に国軍の反NLD姿勢が限界を超えるに至った要因―は、表向きの「2020年11月の選挙での不正」といった理由(その選挙は、著者は「前回15年ほどの規模ではなかったものの、日本を含む国際的な選挙監視団が訪れ、選挙はおおむね公正に実施された」と評価している)の背後に見える以下のようなものであったとされる。

1、 国家顧問法制定(これに基づき、スーチーが「国家顧問」に就任)や国軍支配下にある内務省「総務局」の連邦政府省(文民がトップ)への移管といった、現行憲法の枠内で国軍支配を弱めようというNLDの数々の試み。

2、 ロヒンギャ問題での、スーチーの国際司法裁判所への出廷。そこでスーチーは「ジェノサイド」については否定したものの、「過剰な権力行使があったことは排除できない」と国軍の対応を批判。

3、 軍の権限を弱める憲法改正案(連邦議会の国軍枠の削減、非常事態での国軍司令官への権限譲渡既定の削除、外国籍家族を持つ人物の大統領就任可能性等々)の提出。その改正案は否決されたものの、軍の反対姿勢を浮き彫りにするには成功した。

4、 軍の経済利権(「MEHL」(キリンと合弁で「ミャンマービール」を保有。クーデター後キリンは合弁解消を発表)や「MEC」等の国軍系複合企業)への情報公開要求等の介入。

5、 ミンアウンフライン(1956年生まれ)の総司令官の定年延長、大統領就任の野望。

 こうしてスーチー率いるNLDと国軍との距離感が広がる中、2015年までは国軍総司令官から大統領に転じたテインセインとの間であった「直接対話」も、ミンアウンフラインとの間ではほとんどなくなっていたし、また両者の間をつなぐ人材も存在しなかったという。クーデターはまさに時間の問題であったが、スーチーを含め、国際社会も、その可能性を軽視していたことが、結果的には明らかになってしまったのである。

 もちろん、これはスーチーやNLDの指導者たちが無能であったということではない。著者が、ロヒンギャ問題での自分自身のラカイン州やバングラでの、あるいはその他の少数民族地域への取材体験も含め報告しているとおり、それは多民族国家であることによる国家運営の難しさの結果でもある。ロヒンギャ問題でのスーチーの国際司法裁判所での発言も、こうした他民族国家であることから存在感を有している国軍や多数派である仏教徒のビルマ族からの反ロヒンギャ意識と国際世論のバランスを取ろうとしたギリギリのものであったと考えることもできる。またタイ国境を接するカヤ州での、「アウンサン将軍銅像建設反対運動(2018年)」等、そもそも政府と少数民族州との緊張がある中、ある部分は国軍に頼らざるを得ない国の宿命があることも間違いない。例えば、タイ国境を越えた地域に、軍事政権の弾圧によりカレン州から逃れてきた難民キャンプがあり(日本も住宅建設などで支援している)、スーチーの文民政権が成立した後も帰国は進んでいなかったという。そしてクーデター後は、まさにそうした少数民族側が、民主派勢力の支援に回り、彼らが有する軍事部門での訓練を含め、国軍との戦闘を促すことにもなる。2012年以降の民主化でいったんは表面化していなかったこうした中央と地方の緊張が改めて激化しているのである。まさに宗教・民族といった対立に、民主主義対国軍の独裁という対立が加わり、情勢は益々流動化している。

 著者が別に一章をもうけて説明しているジャーナリストへの「言論弾圧」強化も、そうした複雑な対立を反映している。クーデター前ではあるが、ロヒンギャ問題につき報道したミャンマー人ロイター記者の摘発・実刑判決やNLD幹部の汚職疑惑について報道した記者の摘発等がその例で、スーチー自身もそれらの政府対応を支持したことで、既にクーデター前から政府や与党による言論弾圧が厳しくなっていたという。2019年2月には朝日新聞が、ミンアウンフラインのインタビュー記事で、「事前に原稿を見せなかった」ことで「謝罪」に追い込まれる事件も発生したという。そしてクーデター後は、一般にも報道された日本人記者北角裕樹(元日経新聞のフリー記者)の2回にわたる拘束と追放。記者仲間として、著者は、その取り調べの様子を直接北角本人から聞いているが、彼のケースは、それでも皮肉な言い方ではあるが「VIP待遇」だったようだ。またもちろんSNSが、今回のクーデターへの対抗手段として大きな役割を担い、国軍もそれを遮断するなどして対抗しているが、他方でクーデター以前から、それが(例えばロヒンギャ問題での)言論弾圧・脅迫手段としても使用されていたことも事実であり、著者も、それが今後「民主化や人々の融和を定着させる手段となるかは、予断を許さない」としている。

 こうして最後に著者は国際社会の現実的な対応とあるべき姿を整理している。クーデターを批判し、関係者に国際制裁を課している欧米に対し、融和的な中ソ、そして対応が分裂し有効な策を取れないASEAN等は、一般的に報道されているとおりである(クーデター後の3月27日に行われた国軍記念日の式典に出席したのは、ロシア、中国、インド、バングラデッシュ、ラオス、パキスタン、タイ、ヴェトナムの8か国であったことは重要な事実である)。その中で特に著者が踏み込んでいるのは日本の対応で、政府の公式ルートの他、2012年に設立された一般社団法人「日本ミャンマー協会」(会長は、元郵政大臣の渡邊秀央)と交易財団法人「日本財団」(会長は笹川陽平―良一の息子)という2つの民間パイプについて紹介している。しかし、前者は、今回のクーデターにつき「ノーコメント」姿勢であり、後者は当初は米国に批判の自制を求めたり、以降は「沈黙の外交」を堅持することを表明するなど、双方とも「消極姿勢」に留まり、在日ミャンマー人の期待を裏切っているという。また「官」の立場では、丸山市郎ミャンマー大使も、それ以前の長い当地滞在経験から対応が注目されている。クーデターに抗議し、日本に支援を求めて大使館に集まった人々の要望書を自ら受け取った他、国軍に拘束されているスーチーらの解放も求めたといったスピーチも行ったが、他方で、クーデター前に国際司法裁判所でのスーチーの主張に賛同したり、クーデター後は、国軍が任命した「外相」と面談したりと、反クーデター派の批判も浴びているという。もちろん大使や民間機関は、日本政府の対応と平仄を併せているということであろうが、その政府についても、ODA対応や国軍とそれに対抗する挙国一致政府(NUG)との距離感を含めて、「曖昧な態度」を続けている。その政策を明確にしろ、ということは容易いが、当事者の立場からすれば、それが簡単な話ではないことも明らかである。そうこうする中で、1988年と同じように、クーデター後の国軍支配がなし崩し的に既成事実化していく可能性は高いと言わざるを得ない。

 「ロヒンギャ」本についての評でも書いた通り、かつて業務でもこの国の科学技術研究の復活に向けた細やかな支援を行ったり、また個人的な観光も楽しんだこの国の再建を願う気持ちは変わらない。しかし、その複雑な民族構成や内部抗争の歴史を考えると、この国の安定化にはまだまだ長い時間がかかることも間違いない。改革を進めようとしたスーチーも、そうした国内の微妙な感覚を意識して、例えば「ロヒンギャ」対応に見られるような「大衆迎合」的態度をとったりしたと考えられる。しかし、今回のクーデターは、それにも関わらず国軍との関係については見通しを誤っていたことを明らかにしてしまった。国軍の暴挙を批判し、その態度を変えるような政策努力をしていく必要は当然あるが、他方でそれが簡単ではないことを改めてこの新書で感じることになったのである。

読了:2021年7月12日