東南アジア史10講
著者:古田 元夫
1949年生まれの東南アジア研究者による包括的な東南アジア史の概説であり、この6月の新刊である。著者は、ヴェトナム史の専門家で、私は以前に同じ著者の「ドイモイの誕生」を読んでいる(別掲参照)が、今回の新書はそのヴェトナムのみならず、アセアン全域の古代から現代までをカバーする通史となっている。いわば著者の東南アジア史研究生活の総括と言えるのだろう。もちろん多くの部分は、これまで私が接してきたこの地域に関する著作で十分学んできたものであるが、そうした中で、特にこの地域の歴史の大きな見方についての最近の学説などは、なるほどと思えるものもあった。ここでは、歴史的な事実よりも、そうした大きな歴史的視点を中心に見ていくことにする。
この地域にシュリヴィジャヤやチャンバー等の古代国家群が生まれたのは7世紀ごろであるが、それがより歴史的な確認ができるアンコール朝やパガン朝(大陸部)、マジャパヒト王国(島嶼部)といった中世国家群に移行していくのが10世紀以降のことである。そして、「内陸部にある内向型の農業国家の都に、政治権力の力で物資を集積する」これらの国家群の転嫁点となったのが13−14世紀であった。しかし、この見方に対し、最近の学説では、異論も出されているという。
「元の雲南支配で大量に南下したタイ系民族の『沸騰』によって、政治秩序が大きく塗り替えられた(=サンスクリット語で自己表現する『インド化された国々』の時代が終焉し、かわって南方上座部仏教やイスラムを奉じ、現地語やバーリ語などで表現する時代への移行した)」ことで東南アジア史の転換期となった13世紀というのが従来からの見方であったが、最近の学説では、「モンゴル帝国の世界史的意義は、破壊よりも、ユーラシア大陸に大帝国が出現したことによる東西貿易の活性化、特にユーラシア全域を結ぶ海路の交易・交流圏が完成し、それが『近代世界史』を切り開くことになったという面」を重視しているという。地域の特徴を、宗教・文化的なものに置くか、経済基盤に置くか、という差だけにも思えるが、いずれにしろ、この時期に地域の性格が変質し、以降15世紀後半から17世紀前半にかけての世界的な景気拡大の中で、「交易の時代」をもたらしたことは確かである。
また、別の観点からの面白い指摘として、14世紀にユーラシア大陸の多くの地域でペストが流行したが、中国、あるいは中東が発生源と言われるペストがヨーロッパにまで広がったのは、モンゴル帝国によるユーラシア大陸の東西を結ぶ交易の発展が主因であったという指摘。このペスト禍に地球寒冷化が加わりユーラシア大陸全般での危機が発生したとされるが、これはコロナ禍と地球温暖化がもたらしている現在の危機を連想させる記述である。
この「交易の時代」と、ポルトガル、スペイン、日本、オランダ等の新たな外来商人の参入、そしてそれが、17世紀後半の、ヨーロッパ市場での香辛料価格の下落や、日本の鎖国、明清交替による中国の海禁体制強化等で終止符が打たれる過程でのこの地域の様子は、既に多くの記載に接しているので、省略する。ただそれに続く18世紀から19世紀初めは、交易の時代が終わり、西欧列強の植民地支配下に置かれるまでの過渡期とされていたが、ここではこの時代を「近現代を直接規定する諸要素が形成された時代=『近世』として再評価する流れが定着している」と指摘している。その主張の中心は、「停滞していたアジア社会の『近代』は、産業革命を成し遂げた西欧によって外からもたらされた」のではなく、アジア固有の連続性の中でもたらされたという見方である。その特徴は、@清朝中国の繁栄と、それに伴うアジア域内交易の発展、A英国の参入によるインド、東南アジア、中国を結ぶ三角貿易、B商品面で、それまでの「希少性を武器にした商品(香辛料等)」から、「中国やヨーロッパなどの市場で大量に消費される商品(茶・コーヒー等)」の交易が拡大したことで、それまでの海岸沿いの交易都市重視から、「陸上がり」と呼ばれる内陸支配が強化されたこと。それにより、従来の「マンダラ国家」的な国家概念から、「国境」が意識された地域支配が行われるようになったこと、そしてCそのための稲作、製陶業、鉱業での華人の大量移住と現地化が進行した、といった点である。こうした観点から、著者はそれぞれの地域の変化を見ているが、それが、その後の西欧植民地支配の基本構造となり、そのまま現代まで続くこの地域の「国境」となっていったことは言うまでもない。
19世紀後半からのタイを除くこの地域の西欧による植民地化と、20世紀の二つの大戦を経てのナショナリズムの醸成と高揚、そして第二次大戦後の独立運動に至る通史は、既に何度も接してきたことの復習であるので省略する。但し、第二次大戦時の日本の東南アジア戦略のまとめと、戦況悪化から敗戦に至る時期の、日本と各国の独立運動との関りについては、分かり易くまとめられていることから、大いに参考となる。ここでは、「大東亜共栄圏」の思想に示された建前と本音の乖離が、当時の日本の東南アジア政略の決定的な欠陥であったという私自身の変わらぬ見方を、改めて確認させてくれることになる。
冷戦時に、米国にとっての東南アジアの重要性が増した要因が、中国革命によるこの地域の共産化懸念(ドミノ理論)であったことは言うまでもないが、著者はそれに加えて「中国市場を失った日本の経済再建」の支援があったというが、米国がそこまで真剣に日本の経済再建を意識していたかどうかは疑問である。日本経済(そしてあえて言えば、タイ等の西側ブロックの東南アジア諸国)は、むしろ冷戦の結果としての朝鮮戦争やヴェトナム戦争により「漁夫の利」を得た、というのが実態ではないだろうか。ただ著者が指摘しているように、東南アジア諸国が、単にこうした米ソ中という大国主導の国際構造に受動的に対応していたかというと、そうではなかった、という議論は理解できる。ヴェトナムは、歴史的には常に中国との緊張関係を維持していた訳で、米国のヴェトナム介入は、「地政学的にいえば、東南アジアに対する中国の影響力拡大を阻止する最良の防波堤はヴェトナムの存在であるという事実を無視した政策」であった。北ヴェトナムは、米国との戦いを「社会主義陣営の東南アジアにおける前哨」と位置付けたが、それはその時点での中ソの支援を得るための戦略的・便宜的な対応であった。そして統一後のヴェトナムは、「中国の周辺革命という拘束から離れようという」動きを進める中で、中国との緊張を激化させると共に、冷戦終了後は、より「(中国を含めた)超大国の専横から自由でありたいとする」傾向を強めることになる。こうした傾向は、ヴェトナムに限らず、この地域に根づいている中立主義的精神を示しており、その後ASEANにも継承されていったという点は、この地域との関係を考える上では常に意識しておかなければいけない重要なものである。いずれにしろ、西側寄りの東南アジア諸国は、冷戦時は米国の支援を利用した「開発独裁」で経済成長を遂げ、他方、東側寄りのヴェトナム等も、冷戦終了後は「貧しさを分かち合う社会主義」政策から、ドイモイに示されるような市場経済を取り入れた成長戦略に移行することになる。そして1967年の、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ5か国によるASEAN設立は、当時の反共産主義国家によるものであったが、その結成時の宣言で「外部の干渉から域内諸国の安定と安全を守る」とうたわれたこともあり、その後のヴェトナム等の社会主義国家への拡大へと発展していくのである。1976年に採択された東南アジア友好協力条約の原則―@独立・主権・平等・領土保全、A外圧に拠らずに国家として存続する権利、B内政不干渉、C紛争の平和的手段による解決、D武力による威嚇または行使の放棄、D締約国間の効率的な協力―は、その後の一貫したASEANの行動指針となっているが、近年のミャンマー問題などを巡り、新たな議論が出てきていることは言うまでもない。
本では、その後1970年代から1990年代の経済発展やカンボジア紛争からASEANの10か国への拡大、そして開発独裁の終焉と民主化の模索、そして21世紀に入ってからのグローバル化や、地域他国として存在感を増した中国への対応等、更には足元のミャンマーでのクーデターやコロナといった課題に簡単に触れた上で結ばれることになるが、その辺りは概略の説明に終始している。
冒頭にも記したとおり、著者はヴェトナム史の専門家であることから、それぞれ異なる歴史・民族・宗教・政治体制を持つASEAN諸国の説明の中でもヴェトナムについて、より立ち入った説明が多いのは当然である。しかし、それに留まらず、この地域の個別諸国の動きとその背後で進んでいる「弱小国家連合」としてのASEANとしてのまとまりと課題をバランス良く追いかけている。その意味で、この新書は、この地域を見る上で、最新の動きも踏まえた鳥瞰的な教科書として、当面参考にできるものであることは間違いない。中国の大国化を受けた、米国の対抗姿勢もあり、この地域が再び国際政治面でも、国際経済面でも重要性を増すことは確かであるが、その中で日本が一定の役割を果たす上で、ここで繰り返されているような、ASEAN諸国の固有の価値観を踏まえ、如何にウィン・ウィンの相互関係を構築するかは、引続き大きな課題である。かつての「大東亜共栄圏」的発想の失敗を十分に消化しつつ、相互の利益と立場を踏まえた関係構築を進める上で、良い参考書となる一冊である。
読了:2021年7月24日