ミャンマー権力闘争
著者:藤川大樹・大橋洋一郎
つい先日、1960年生まれの中日新聞記者で、2017年9月から3年間、バンコク支局特派員としてこの国を担当した著者によるミャンマーに関わる最新報道である「ロヒンギャ危機」を読んだばかりであるが、続けて、2017年2月出版の、同じ中日新聞の記者とバンコク支局長(当時)によるこの本を図書館で見つけ、読むことになった。前者の藤川記者(1980年生まれ)は、海外駐在の経験はないが、2011年の東日本大震災を機会にミャンマーとアウンサンスーチー(以降「スーチー」)とのコンタクトが生まれ、そこからミャンマー情勢を本格的にフォロー、後者のバンコク支局長である大橋記者(1967年生まれ)の協力を得て、この本を仕上げたようである。前に読んだ「ロヒンギャ危機」の参考文献でも取り上げられているが、双方とも中日新聞の記者によるということで、この新聞社がミャンマー情勢については力を入れていることが理解できる。
他方、この本の出版は2017年ということで、2010年にスーチーが、1988年以降の3度にわたる自宅軟禁から解放され、2015年11月の総選挙で彼女の政党NLDが大勝した後の時期であることから、民主化への期待と、他方で依然隠然たる力を持つ国軍保守派からの圧力への不安が交錯していた中で書かれている(またこの間2012年1月に、私自身も初めて観光でこの国を訪れー別掲―、その後2014年に仕事で何度か再訪することになる。)。そして、国軍が再度のクーデターにより、この国の民主化を圧殺しようとしている現在から見ると、まさに後者の国軍保守派からの反動についてのコメントがよりリアルに感じられることになるのである。ここではそうした現在の視線から見たポイントを中心に記載しておく。
著者は、まずは、2015年の総選挙直後の情勢から始めるが、NLD主導の新政権発足後の2016年2月、国軍が「当時まもなく60歳を迎えるミンアウンフライン司令官とソウウィン副司令官の任期を65歳まで5年間延長した」のが、「新政権を監視しよう、という国軍総司令官の決意の表れ」としている。まさに、この5年が経過したところで、国軍がクーデターを実行したという訳であるが、このさり気ない記述は現在から見るとたいへん重たい。
続けて1988年、ネーウィン独裁政権の下で溜まっていた国軍支配批判のマグマが、些細な喫茶店での喧嘩を機会に噴出、偶々母親の危篤で英国から単身帰国していたスーチーが、民主活動家の説得により政治活動に参加していく過程が語られる。ここでは、当初慎重であったスーチーが説得されていく過程が、民主活動家の証言で克明に語られているのが面白かったが、詳細は省く。そして、時は更に遡り、著者によるアウンサン将軍が暗殺された「殉教の日」の式典取材から始まる、第二次大戦中のミャンマー独立運動への日本軍関与(南機関)からアウンサン暗殺に至る経緯。それは良く知られている事実であるが、著者は、南機関の関係者へのインタビューを通じ、戦争当時や、その後スーチーが1985年から1年間京大で研究した際に彼女と接した時の逸話等を紹介している。彼女の生真面目で、時として「歯に衣着せぬ物言いで、周囲と摩擦もあった」性格はよく知られているが、自宅軟禁から解放された直後の時期に、安倍首相(当時)が、「ミャンマーの民主化を支援します」とコメントしたことに対し、国軍とも関係を持つ日本を意識して、「あなたの言う民主化とは何ですか」と言い返したという逸話は、確認が取れている事実ではないが、スーチーのこの性格を物語っていて面白い。またスーチーのミャンマーからインド、そして英国オクスフォードでの学生時代について関係者の取材を通じた報告も、こうした彼女の性格を物語る、なるほどと思われる話が多いが詳細は省く。
1988年から役20年続くタンシュエによる独裁政権とスーチーの軟禁時代は、多くが2012年の映画「The Lady(別掲)」でも取り上げられている。ここでは、当時国軍で「タンシュエに並ぶ実力者」で情報機関を掌握していたが、他方でスーチーとも気心が知れていたが、2004年に失脚した「リベラル派」のキンニョンという男が紹介されていることくらいを記録しておけば十分だろう。
続けて2005年のネーピードーへの首都移転と、その誘因の一つとなったと言われる2009年のシュエマン国軍総参謀長以下での北朝鮮・中国訪問報告(北朝鮮の軍事施設や保有兵器の情報を含む)のリーク事件(軍と外務省の関係者2名が処刑された)等に触れた後、テイン・セイン大統領の主導による民主化と2010年11月のスーチーの解放とその後の動き、そして冒頭にも触れた軍との緊張関係の持続(引退後も影響力を持っていたタンシュエとテイン・セインらとの交信記録の一部は確かに面白い)に触れている。また、もともと保守派であった下院議長シュエマンが、自己保身からであろう、スーチーに接近し、スーチーもそれを受け入れる姿勢を示したが、結局2015年、テイン・セインに粛清されたというのも、当時の国軍内の緊張を物語る逸話である。また既にこの時点でロヒンギャ問題は拡大しつつあり、当初は暴力行為の即時停止などを訴えたスーチーが、多数の仏教徒から批判を浴びその後沈黙、今度は国際人権団体の失望をかったというのも知られた話である。かよう、この時点では、スーチーによる改革もようやく手が付けられたばかりであり、彼女も、国軍や国民の多数派仏教徒との関係に配慮しながら慎重に進めていたことは間違いない。スーチーは「国軍の利権に斬り込むことができるのだろうか。その答えはまだ見えない」と著者はこの本を結んでいるが、その暫定的な答えは今まさに出され、この国は新たな苦難の時期を迎えている。そうしたこの国を巡る大きな動きは、今後もいくらでも一般のメディアで得ることが出来るが、その背後にある小さな逸話をジャーナリスト的な関係者取材により紹介していることがこの著作の価値である。
読了:2021年7月29日