週末ベトナムでちょっと一服
著者:下川 裕治
2年ほど前に、シンガポールとマレーシア・ペナンを訪問した日本からの同僚が持参し、置いていった「週末シンガポール・マレーシアでちょっと南国気分出張」(別掲シンガポール編参照)を流し読みしたが、同じ著者によるベトナム「バックパッカー」安旅行記である。著者は、私と同じ年の生まれで新聞記者上がりのフリーライターで、2年前の本でも書いたが、それらの地域への、この歳になって、ひたすら数ドルの差にこだわる旅行は、あまり私の趣味ではないし、内容的にも、気分転換に読み飛ばす類の本である。但し、今回扱っているのが、その時のシンガポールとは異なり、ベトナム(この本では「ヴェトナム」ではなく表示されているので、これに従う)という、必ずしも慣れ親しんだ国ではないことから、部分的には新鮮に読むことが出来た。特に同年代の人間としてベトナム戦争を今、どのように回顧するか、というあたりは、ある種の「後ろめたい」懐かしさを共感することになったのである。
まずその「ベトナム戦争」に関わる第四章から見ていこう。記述は著者のホーチミン市の中華街であるチュロン地区でのベトナム人青年との対話から始まる。南の住民にとっては、北による統一は、必ずしも歓迎すべきものではなかった。「ベトナムは300年前から南北は別々だった」、「(北との)戦争に負けていなかったら南はもっと発展していた」、「ホー・チ・ミンは嫌い」といった彼の言葉が紹介される。私もホーチミン市訪問時に訪れたクチ・トンネルも、彼に言わせると「北のプロパガンダ施設」ということになる。
実際、南北統一後のベトナムは、米国との戦争にも増して多くの困難に直面することになる。特に、南の急速な社会主義化に伴うボート・ピープルの波、そして1978年のカンボジア侵攻に伴う国際社会からの非難と経済制裁と、それによる国内の経済危機。更に中国との対立等。この歴史は、当時松本の高校から東京に出てきて、ベトナム戦争反対運動にも関わった著者の「1975年のベトナムの統一は、米国帝国主義に対するベトナム民族主義の勝利であった」という固定観念に疑問を投げかけることになる。そして、それは、上記の南ベトナムの青年の言葉で、改めてかつての米国との戦争と南北統一とは何であったのか、という想いを喚起させることになるのである。「フランシーヌの場合」という、私も記憶しているベトナム反戦歌に象徴される「あの時代」が、遠く感じられることになるが、統一ベトナムの対外侵略と経済破綻という歴史は、現実の国家が直面する固有の問題は、単なる「民族解放」という理想主義だけで解決するものではなかったのである。政治とはそんなもので、私たちは年齢と共に、そうした現実の社会の姿を知らされていくことになった。そうした同世代の「歴史体験」に、ある種の「後ろめたい」共感を覚えさせられた報告であった。
こうした感情の中、著者は、1954年のフランスとの激戦地であるディエンビエンフーを訪問するが、ハノイを含め、北部ベトナムは、結局私は訪問する機会がなかったことから、この古戦場の雰囲気を伝える報告は興味深い。ただハノイ(別に、中国文化の香りが漂うこの首都についても、一章があてられている)は兎も角、ディエンビエンフーは観光で訪れるという街ではない(著者は「軍事公園化」という表現を使っている)ので、今後私がこの地を自分の眼で見る可能性は少ないであろう。
それ以外の部分は、著者が愛してやまないベトナム・コーヒー(特に南部の産地ベンメトートでのコーヒー花の香の話等)やローカルバスでの旅行記、あるいは街毎に異なるホテル料金等々、ある意味どうでもよい軽い報告がほとんどである。最後に挿入されている、数名のベトナム在住の日本人による、あまり知られていないお薦めの「週末リゾート」も、まあ参考情報と言ったところである。
ベトナムも、他の東南アジア諸国と同様、現在のコロナ禍で、外人観光需要の急減を含めた経済不況の最中にある。潜在的な成長力は高い国であるので、今後私も再びこの国に関与することがないとも限らないが、同じ著者の前著と同様、そうした時の観光情報として参考にすれば十分な文庫本であった。
読了:2021年10月25日