ビルマ 危機の本質
著者:タンミンウー
昨年(2021年)2月1日、ビルマ国軍がクーデターで、事実上の政府トップのアウンサンスーチー国家顧問や与党NDL幹部ら多数を拘束してから、既に1年2か月が経過した。このクーデターの直後に、この著者が2011年に出版した、ビルマと中国・インドを巡る歴史的、地政学的分析である「ビルマ・ハイウェイ」に、私は以下の様な補記を加えた。
(「ビルマ・ハイウェイ」補記)
「ミャンマー国軍は、クーデターを実行した。国軍総司令官は、同日の声明で、スー・チーの与党が大勝した2020年11月の総選挙では、多くの不正が行われたことからこれを無効とし、別に「自由で公正な総選挙」を実施するとしているが、欧米等は一斉に国軍の動きを非難している。ただ、これから国連での議論も行われる予定であるが、当然中国等、内政不干渉を口実にこれを黙認する国もあると見られていることから、今後の帰趨は紆余曲折が予想される。
こうした中、ミャンマーを代表する知性であるこの作品の著者、タンミンウーの動きは気になるところであるが、現在(2月3日午後現在)までのところ、彼のコメントや、あるいは彼が拘束されたという報道は伝わっていない。間違いなく現在ミャンマーで活動していると思われる彼に関する情報は、しばらく注意して見ていきたい。」
(以上、別掲)
この著者が、2020年に出版した、より包括的なミャンマー(但し、彼は全ての地名を旧記―例えば「ミャンマー」は「ビルマ」、「ヤンゴン」は「ラングーン」等―で表記しているので、以下地名はそれに合わせる)の政治・経済・社会の分析であり、そして上記クーデター後の2021年8月に著者が加えた寄稿を収録した邦訳は2021年10月に出版されている。その内容は、前著以上に圧倒的で、欧米日本等が、「外から」眺めたものとは異なる、内部から見たこの国の歴史と現状を子細に報告している。実際、この米国生まれ・米国育ちの著者は、この国の「民主化」が胎動し始めた2007年から2019年まで、ラングーンで暮らし、民主化後はテインセイン大統領の側近として多くの助言を行った他、この国を支援してもらうため、多くの外国関係者と接触したり、首都ラングーンの歴史的建造物を保存する財団を立上げたりと積極的に活動してきた。この著作では、そうした活動を通じて彼が痛感した、この国が表面的な「民主化」では解決できない民族問題や貧困問題を抱えていることを説得力ある議論で進めている。それは2010年テインセイン大統領が、多くの観察者も驚くスピードで「民主化」を進め、アウンサンスーチーの軟禁を解き、彼女の政党NLDを公式に認めた後も本質的に変わっていなかった。そして2012年5月、アラカン州で広まったイスラム教徒による仏教徒女性のレイプ事件という噂をきっかけにロヒンギャ問題が大きな暴力事件に発展し、国軍もそれに介入すると、そうしたこの国の矛盾がいっきに表面化することになる。ロヒンギャ問題に際してアウンサンスーチーが、当初は沈黙、その後は国軍寄りの姿勢を示したことで、西側の支援者は、彼女に幻滅する一方、民主化により、関係が見直されていた中国との関係も、再び路線の修正が始まる。2021年のクーデターは、そうした中での事件だったのである。
本文は、そのクーデター前の出版であることから、私が補記で記載したような、このクーデターに関する著者のコメントやそれを受けての行動は末尾に加えられた短い寄稿でしか知ることが出来ない。そこでは、クーデター抗議運動に対する国軍の容赦ない弾圧が淡々と語られ、抗議運動への少数民族軍事組織の支援も国軍には太刀打ちできないだろう、と悲観的な見解を表明している。新型コロナへの無策を含め、内乱と経済破綻で、国は「犯罪や環境破壊の中心地となり、人権に対する残虐な侵害は野放しになる。」僅かに「この状況は流動的」で、「たとえ何が起きようが世代交代は避けらない。奇跡もまた起こりうる」と述べるだけに留まっている。彼がクーデター後、どこで何をしているかは語られていないが、少なくとも国内で拘束されている訳ではないので、我々としては彼が次に、もっとまとまった形で発言する機会を待つことしかできないのだろう。
それは別にしても、この著作で説明されている、この国の本質的な問題と、現在に至る子細な過程はじっくり見ていく必要がある。著者は、その詳細なビルマ現代史の説明を受けて、「ビルマの問題の根源は国軍の独裁にあるだけではなく、戦火、孤立、貧困化を生み出した独特のナショナリズムにもある」、そして「ビルマに必要だったのは、単なる政権交代ではなく、より抜本的な変革プロセスだった」と指摘する。彼がそう考える理由、そしてその「抜本的な変革」とは何なのか?
上記のとおり、著者は、2007年以降、当時の独裁者タンシュエが、徐々にではあるがこの国を変えようと始めた頃から、ラングーンに居を移し、政権のみならず、関係する中国や米国、その他欧州諸国の関係者と接触し、この国への対応を変化させようと努力してきたことが語られている。2008年5月、この国を襲い壊滅的な被害をもたらしたサイクロンへの救済対応も、国際的な関心をもたらしていた。
著者が政権に対して主張したのは、「たとえどのような者であっても軍事独裁からの離脱は好ましいこと」、「ただし、それは一般の人々に真に資し、数十年にわたる内戦を終わらせるような経済改革を伴うべきであること」。他方、欧米諸国には、「新たな憲法の体制は民主化こそもたらさないだろうが、ここ一世代最大のビルマ政治秩序の大変革になる」ことから、「この改革をうまく利用して、政治にかんすることだけではなく、経済と武力衝突のことを留意」し、且つ「中国の大きな影響を考慮するように」と訴えたという。言わば、多民族が複雑に連合・対立する国を管理する困難を認識し、単純な経済制裁と孤立化政策だけではない柔軟な対応が必要、というのが著者の確信であった。そして2010年11月、アウンサンスーチーの自宅軟禁が解かれ、実際に新しい改革が動き始めることになる。しかし、既にこの時期、アラカン州の仏教徒たちがある集会で、「カラーに注意しなければならない」と述べる等、その後顕在化するロヒンギャに対する差別意識が表面化していたという。
こうした中で、2011年1月、下馬評には全く上っていなかったテインセインが大統領に選出される。タンシュエは、最有力候補であったシュエマンの野心を嫌い、穏健で勤勉、そして野心のない彼を「もっとも強大な新しい地位に据え、より野心的な男(シュエマン)をもっとも力の弱い組織の長(下院議長)に据えた」ということになる(またこの時に、その後2021年にクーデターを引き起こすミンアウンフライン将軍が、国軍トップに任命されている)。しかし、彼の下で「民主化」が急速に進むことになったのは皮肉であった。彼は「忠実な公僕で、できうる限り最善の仕事を国民のためにしようとしており」、著者も接触のあった改革派(アウンミンやソーテイン)を大臣に任命、彼らの話に耳を傾け、アウンサンスーチーとの面会も実現させた。ただ彼は「国軍につかえた過去は誇るべきものであり」、その点で革命派ではなかった。そしてその後、アウンサンスーチー率いる民主化運動が盛り上がり、また中国との間ではミッソンダム問題が発生する中で厳しい立場に立たされることになる。
いずれにしろ2011年から2015年頃までは、ビルマの民主化・自由化が急速に進み、2012年11月のオバマ大統領を含め、欧米要人の訪問も相次ぎ、また日系企業を含む西欧資本が、この「アジア最後のフロンティーア」に流れ込むことになる。私がこの国を観光で訪れた2012年1月、そして業務で訪れた2014年初めは、まさにこうした明るい雰囲気が漂っていたことを思い出す。しかし、既にこの時期、2011年の夏には、北部中国国境近くで勢力を持つカチン独立機構と国軍との停戦合意が崩壊、全面戦争が始まり、2012年にはアラカンの仏教徒とイスラム教徒の衝突が激化していたという。そしてカチンとの交渉にアメリカを含む西欧諸国が関与したことに、中国が大きな不安を抱く。「2015年までには、国境地帯の武装勢力がワシントンに行くどころか、ワシントンが国境地帯にやってくるようになっていた。」北京にいる中国共産党指導部にとっては、「戦闘はよくないものの、正しくない種類の和平は、もっとよくないものだった」ということになる。また2014年には、ロヒンギャを巡る対立が激しくなるが、国軍の弾圧作戦を含めた強硬策に対し、国際世論が非難を強める中、アウンサンスーチーが国軍を擁護したことで、彼女自身もその非難の標的になっていく。
2015年11月の総選挙でアウンサンスーチー率いるNLDは大勝し、外国親族のいる人間は大統領に付けないとする憲法により、彼女は国家顧問に就任、外相や教育相を兼務すると共に、大統領には彼女のかつての同級生ティンチョーを据える(テインセインは引退)が、実質の意思決定は彼女が行うことになる。
この内閣は、著者に言わせると「マネージメントの経験は、ほぼ全くと言ってよいほど持ち合わせていない」大臣たちから構成され、またテインセイン時代に「常時新しい概念を提供していた顧問とシンクタンクのエコシステムを解体した。」それは、彼女がテインセイン時代への反感を強く持っていたということで、解体された組織の中には著者が関わった「ミャンマー和平センター」といった組織も含まれ、また彼女は「この瞬間をずっと望み続け、心からの助力を惜しまなかった何百もの市民社会組織、活動家、亡命家とつながろうとしなかった。」もちろん、そこには著者も含まれているのだろう。彼が見るところでは、アウンサンスーチーの関心は今や憲法改正にしかなく、そのためには国軍最高司令官を味方につけるしかない、ということになる。これに対し国軍は、憲法改正の条件はビルマの無数の武力衝突が完全に収束してからだとしたことから、彼女の最優先事項は「和平」ということになった。また国軍にとって彼女の存在は、欧米、日本、中国、インド等との関係で「使えるコマ」と考えられるようになっていたという。彼女もそれを念頭に置き国軍―そして外交面における中国―との関係修復を試みる姿勢に転換していき、それがロヒンギャ問題での彼女による国軍擁護という姿勢になっていったと見るのである。著者は2017年以降、急速に悪化していったロヒンギャ情勢について細かく経緯を辿っているが、それは、2019年12月、アウンサンスーチーがオランダの国際司法裁判所に現れ、この国での「集団殺害という戦争犯罪」を否定したことを含め、彼女に対する国際世論の幻滅を決定的にする。そして運命の2020年2月が訪れることになるのである。新型コロナに対する遅々としたこの国の反応が語られながら、著者は、この国が抱えている問題が依然として民族問題と不平等であることを指摘するところで、本編は終わる。この問題は「未熟な民主主義制度、自由市場に対する盲信、数十億ドル規模の違法産業、そして武器があふれる高地の状況と絡み合っている。私たちはアジアの心臓部に破綻国家を抱える危機に瀕しているのだ」というのが著者の最後の悲痛な叫びとなるのである。そして冒頭で述べた通り、2021年8月執筆の短い寄稿で、クーデター後の著者の短い悲歌的な見方が述べられることになるのである。
この本を再度図書館から借り、この評を加筆・修正している最中の4月17日(日)夜、テレビNHKスペシャルで、「忘れゆく戦場―ミャンマー泥沼の内戦」が放映された。そこでは、国軍に対する当初の非暴力抵抗運動が、国軍の武力で圧殺された後、学生たちが少数民族の武力抵抗運動に加わり、それに対し国軍が、ソ連や中国製武器を使用し、民間人を含めた徹底的な殲滅作戦を展開していることが報告されていた。ロシアのウクライナ侵攻により、この内戦に対し国際社会の関心が薄れる中、この終わりが見えない内戦を忘れないよう警告する番組であったが、アウンサンスーチーの現状や、ましてはこの著者の現在の状況や発言については、全く触れられていなかった。彼らが現在いったいこの状況をどのように見ているのか?内戦の収束が全く見ず、この著作が出版されてからも益々状況が厳しくなる中、かつてこの国を訪れた際に私自身が個人的に触れ合った人々が現在どうしているかを想うことしかできないのが寂しい限りである。
読了:2020年4月3日