ミャンマー「民主化」を問い直す
著者:山口 健介
1981年生まれのASEAN研究者による、ミャンマーでのクーデター後である2022年5月出版の著作である。著者は、タイ・チュラロンコン大学で博士号を取得しているが、そのためのバンコク滞在時に、当時民主化が進んでいたミャンマーの復興支援に関わることとなり、同国の政権関係者に、僻地への電力供給プロジェクトを通じた経済格差の解消を提案し、それなりの進展を見せていた。2022年2月のクーデターで、その動きは一旦停止せざるを得なかったが、軍政の元でも計画は推進可能として希望を捨てていない。本書は、そのプロジェクトの意味を考えながら、ミャンマーの現状と今後を考える格好の材料となっている。
著者は、先ず一般論としてのミャンマーの政治課題を取り上げている。それは端的に言えば、この国が多民族国家で、政権を担うのはビルマ族であるが、そのビルマ族も人口の6割を占めるに過ぎない。そしてそのビルマ族とその他民族が主体の辺境地域の経済格差が大きく、戦後長く続いた軍政による政策も、また2016年以降のアウンサンスーチー率いるNLⅮ主導による政策も、ビルマ人優先が基調となっていたことで、結局、ビルマ人対その他民族という緊張関係を解消し、「国民統合」への道を確保することができなかったとする。そして少数民族主体の地域では、中央政府の支援が限られる中、地域内での親玉―子分関係の政治・経済・社会関係が確立し、それがそうした地域での武装勢力の基盤となる。またそうした武装勢力は、地域内での非合法の鉱物資源や麻薬等の利権を独占し、その経済的基盤とすることになる。そうした悪循環を断ち切るためにも、少数民族主体の貧困地域への中央政府による効率的な経済援助と生活水準の向上が、この国の将来にとって決定的に重要と考えるのである。
こうして著者は、タイやインドネシアでの開発独裁による経済成長が、それなりの国民統合を達成したのに対し、ミャンマーが何故それに失敗したかを説明している。その主因は軍事独裁に対する欧米日本等西側からの経済制裁と直接投資の停止で、2011年のテインセイン政権での民主化は、それを是正させる試みであった。その結果、テインセイン政権及び続くNLⅮ主導の政権時に、それなりの経済成長による貧困の解消は進められたものの、ビルマ人主体の都市と少数民族主体の地方との格差はむしろ拡大することになった。そしてロヒンギャ問題を契機に、民族問題が先鋭化すると、アウンサンスーチーも、ビルマ人優先=仏教ナショナリズムという「ポピュリズム」から逃れることができなかった。かつての「民主化の星」がそうした「ポピュリズム」への配慮により墜ちていく状況は、ハンガリーやポーランドでも見られたが、アウンサンスーチーの場合も、それから逃れることはできなかった。そして、結果的には、それが生み出した、この国の根本問題である民族紛争の激化の中、再度の軍部によるクーデターという結果をもたらすことになり、クーデター後は、民主化運動が地域軍閥と結びつく泥沼の紛争が続くことになっているのである。
こうしたこの国の一般的な問題は、これまで触れたタンミンウーの著作を含め指摘されていることで余り新鮮味はない。しかし、この著作をそうした他の一般分析から差別化しているのは、後半部で展開される、著者自らが汗をかいた、地方へのミニグリッドによる電力供給プロジェクトの意味と、それの実現に向けての具体的な政権幹部との交渉過程を子細に説明している点である。その核になるのは、「村落開発法」の改正とそれを基盤とする基金設立と資金提供といった具体的な政策の提案とその展開である。
ミャンマーの電力供給は、エーヤワディ川の豊富な水力を用いた大規模発電施設が基幹であるが、その送配電についてはヤンゴンやマンダレーなどの(ビルマ民族主体の)大都市への供給が中心で、少数民族が主体の僻地への供給は限られている。その結果、まず電化率は、都市部と僻地で大きく格差があり、また僻地はミニグリッドを整備せざるを得ないが、これはコストが高く、中央からの支援は限定的であった。そして政府に替わってそれを提供したのは地域の武装勢力や地域有力者(=親分)であり、それが中央と僻地での政治的分離を生んでいた。
2016年にNLⅮが政権を握ると、これを是正するための「電化ロードマップ」を作成し、資金面でも世銀がこの「農村電化」計画を支援したということであるが、著者がこの計画に関与した2018年時点では、ほとんど成果が出ていない状態であったという。一部では、無償事業として行われた自家用太陽光パネルを設置する動きもあったが、電灯や携帯電話の充電に使われる程度で、産業用として利用するには全く不十分であった。そうした状況下で著者らによる本格的な政権幹部への提案・協議が行われることになる。
タイの例などを参考にした著者らのミニグリッドによる農村電化政策が如何に進んでいったかが子細に報告されている。その詳細は省略するが、基本は、計画の規模を大きくするための基金の設立と「村落開発法」を中心とした法整備、そしてガソリン税上乗せなどによる財源確保である。基金の運用にあたっての汚職防止の観点からの監査制度の整備も提案されている。当初、所管官庁の押し付け合いや、法的枠組みの不在などで何度か著者らは苦難に直面するが、何とかそれを乗り越え前に進めていった様子が描かれている。
このプロジェクトは、2021年のクーデターで一旦頓挫することになるが、「農村開発法」を基盤にしたプロジェクトの枠組みは、クーデター後も生きている。著者は、このプロジェクトが、軍政の下でも生き続け、少数民族中心の地域での電化と、それによる生活水準上昇を通じて、この国の「国民的一体性」を高めることへの希望を表明して、この著作を締めくくることになる。
クーデター後、再び国軍と、民主化勢力の一部も加わった少数民族地域の武装勢力との闘いが続く中、実質的にこのプロジェクトを進めることは難しくなっているのが現状であることは間違いない。しかし、それに至るまで、地道に政権幹部とのパイプを固めながら、このプロジェクトの意味を説明し、法的枠組みまで実現した著者たちの努力には敬意を払いたい。そして、かつて2014年頃、民主化されたこの国の大学における科学研究支援を行う計画に参加しながら、結局その中心人物であった研究者の急死により挫折せざるを得なかった私個人としても是非今後の再開と進展を願わざるを得ない。こうした活動が、日本全体のASEAN諸国との絆を深めることは間違いないのだから。
読了:2022年7月18日