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ミャンマー現代史
著者:中西 嘉宏 
 昨年6月に、同じ著者による「ロヒンギャ危機」と題された新書を読んだが、当時の評(別掲)にも書いた通り、この著作は二つの大きな皮肉を抱えることになってしまった。一つは、この「民族浄化」問題が、アウンサンスーチーの解放とミャンマーの民主化が行われている中で、もっと言ってしまえば民主化が行われたことで激化してしまったこと、そしてもう一つは、この新書が出版された2021年1月の僅か一週間後に、この国で国軍によるクーデターが発生し、この問題が、この国を巡る国際世論の中から一気に消え去ってしまったことである。私自身も、この新書は、出版後直ぐに読もうと考えていたにもかかわらず、このクーデター発生で、それこそ関心は、その後の国軍と民主化勢力の闘いに変わることになってしまったのであった。

 もちろん、ロヒンギャ紛争の歴史と2017年8月のロヒンギャ武装勢力によるラカイン州での警察・国軍関係施設攻撃を契機とした国軍の「ジェノサイド」的な掃討作戦の経緯などは、十分知る価値のある内容である。しかし、それに対する、日本を含む国際社会の取るべき対応についての著者の提言は、2月のクーデターにより、少なくとも短期的には全く説得力を持たなくなってしまった。クーデター後、ロヒンギャ問題に関わる情報は全くといってよいほど途絶え(国軍が武装勢力を押さえているのか、あるいは以前にも増した「ジェノサイド」的掃討を行っているのか?)、国際社会の関心は、国軍による民主化勢力の弾圧批判一色となり、また対応も、どのようにして再びこの国を民主化への道に戻すかということだけになっている。その意味で、この前著の出版タイミングは全く悲劇的であった。更に、その後勃発したロシアによるウクライナ侵攻や、東アジアでの中国の覇権主義的な動きが、今度は、クーデター後のこの国に対する国際社会の関心さえも弱めることになってしまった。もちろん、その後もこの国での国軍と抵抗勢力との抗争は、時折マスメディアでも取り上げられている。しかし、クーデターから1年半以上の時間が経過し、全くと言って良いほど両勢力間での和平交渉が進まない中、ウクライナと同様長期化するこの国の混乱は、今後益々報道機関の関心を失っていくことは目に見えている。そうした中で、本書は、前著を出版した直後に発生したクーデターを受けて、この国が引きずる難題と、それに対する国内・国際社会の対応について、著者としてもまとめておきたかった作品であることは十分理解できる。

 対象となる時代は、アウンサンスーチー(以降は「スーチー」とする)が政治舞台に登場した1988年の民主化運動とクーデターによるその弾圧から始まり、2011年以降民政移管を進めたテインセイン大統領時代を経て、2015年の「スーチー政権」の誕生、そして2021年のクーデターによりそれが覆ってから現在までである。もちろん、著者は、第二次大戦末期のアウンサンらによる独立運動や、その後の国内少数民族との武力闘争、そしてその過程で何度か繰り返されたクーデターなどをおさらいしているが、それはあくまで前史である。

 1988年から2011年の軍事政権時代は、スーチーが軟禁された民主化運動「冬の時代」である。それでも1998年から2004年の間は、改革派・穏健派のキンニョンの主導で、民主化へのロードマップも作成されたが、2003年の5月のディペイン事件(地方訪問中のスーチーが襲われた事件)を契機にキンニョンが失脚し、再び強硬派が主導権を握る。そしてそれが改めて軟化するのが2011年3月に大統領に就任したテインセイン政権下のことであった。ただこの時点で、大方の予想を覆し、軍の最高司令官に、2021年のクーデターの指導者で、その後現在まで独裁を維持しているミンアウンフラインが就任していたことにも注意する必要があろう。

 テインセイン時代の、少数民族武装勢力との和解工作やスーチーを前面に立てた欧米中心の国際社会への復帰とその支援による経済再建、そしてスーチーに率いられた民主化勢力もそれを最大限に生かし、2015年の総選挙での大勝と政権獲得に至ったことは言うまでもない。私が旅行や出張でこの国を訪れ、良い印象を持ったのもこの時期である。政権獲得後、スーチーは憲法改正を含めた軍の影響力排除を目指すが、同時にミンアウンフラインとの会話も続けるなど、慎重姿勢は崩さなかったという。それは著者の言葉を借りれば「だましだましの民主主義」であった。そしてこれが崩れたのが、著者が前著で取り上げた2017年8月にラカイン州で勃発した「ロヒンギャ危機」での少数民族の武装蜂起とそれに対する軍の徹底的な弾圧であった。スーチーは、軍の独走を止められなかったのみならず、これを「ジェノサイド」と懸念する国際司法裁判所で、軍の立場を擁護する等、国際社会での評価も大きく下げることになる。それでもコロナ禍最中の2020年11月に強行された総選挙ではスーチーのNⅮLは大勝することになるが、これが議会招集の2021年2月1日に勃発したクーデターとなっていく。著者は、ミンアウンフラインもギリギリまでスーチーとの対話を進めたため、議会招集のこの日までクーデターの実行が遅れたとしているが、いずれにしろスーチーと軍は共存できない状態となっていたのである。以降、軍による反対運動の残虐な弾圧と、当初は、スーチーの意向を受け非暴力であった反対勢力の、少数民族武装勢力と連帯した武力闘争となって現在に至っていることは言うまでもない。著者は、軍と抵抗勢力の戦闘状況を、その地域や主要抵抗勢力等を基に詳細に伝えているが、結論的には、抵抗勢力の勝利は見込めないのは当然として、軍もこうした抵抗運動を抑え込むのは容易ではなく、その結果この国の混乱は長く続き、それが一般民衆の益々の疲弊をもたらすことになると悲観しているが、まさにその通りであろう。そうした状況を踏まえて、著者は、欧米中心の国際社会、更にはこの国とは軍を含めて特別なルートを有する日本がどのように貢献できるかについて最後に議論することになる。

 ただ当然ながら、この見通しも悲観的である。著者は、対象時期のこの国の国際関係を整理しているが、欧米に関しては、2011年以降の民主化過程で、中国の東南アジアでの勢力拡大への予防として、この国に対する関与を深めただけで、基本的には積極的に関与する姿勢は持たない。他方、中国やロシアは、同様に欧米日本への牽制のために、この国を利用する。その結果、国連を始めとした国際機関は、ウクライナ問題と同様、欧米―中国・ロシアの対立構造の中で動きが取れないことになる。その中、ASEANも独自の動きをするが、これも大陸部諸国と海洋部諸国の間で対応に温度差がある。そして日本は、元衆議院議員で日本ミャンマー協会会長の渡邊秀央や、ミャンマー国民和解担当日本政府代表である笹川陽平等がミンアウンフラインなどとのパイプを有しているとされるが、彼らが、@民間人に対する暴力的な対応の停止、A拘束された関係者の解放、B民主的な政治体制の早期回復、という日本の基本方針を軍側に受け入れさせる可能性はほとんどない。それにも関わらず、軍側との継続的な対話を続け、辛抱強く軍の軟化の可能性を探るしかない。「情勢が悪化すると途端に日和見を決め込むのではなく、日本のアジア外交の構想力と覚悟を示す試金石こそが対ミャンマー政策である。この国を、忘れられた紛争国にしてはならない。」という本書の締めくくりの著者の言葉はその通りであるが、現下の国際情勢の下では実行は簡単ではない。ミャンマー本では毎回書いているが、個人的にも、民主化の歩みがまだ進んでいたこの国の科学研究を支援しようと、2014年から2015年にかけてこの国を何回か仕事で訪れた、そしてそれに先立つ2012年観光でも楽しい時間を過ごしたこの国の混乱の早い収束を望む気持ちは、簡単ではないことは十分理解しつつも変わることはないとしても・・・。

読了:2022年10月29日