パレスチナ占領
著者:平野 雄吾
(中東問題であるが、以前に掲載しているイラク関係などと共に「アジア」で掲載する)
2023年10月7日、ガザ地区を支配するハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、多数の一般人約1200人を殺害すると共に、251人の人質を連れ去った。これに対し、イスラエルは直ちに反撃を開始し、ハマスの拠点となっていることを理由に、病院や学校を含めたガザ市の徹底的な破壊と6万人を越える一般市民を殺害。更には、食料や医薬品の搬入阻止により悲惨な人道危機をももたらすことになる。そしてこうしたイスラエルによる「過剰防衛」に対する国際社会の批判の高まりは、英仏主導によるパレスチナ「国家承認」の動きとなるが、イスラエル支持のトランプ政権はそれに反対し、トランプの顔色を伺う日本も様子見を続けている。いうまでもなく、ウクライナ戦争とこのガザ戦争からは、現在進行形の「熱い戦争」として当面目を離すことはできない。
2025年9月出版のこの新書は、2020年8月から2024年7月まで、共同通信のエルサレム支局長としてこの戦争を取材した1981年生まれのジャーナリストによる最新報告である。大きな動きについては一般報道で知られていることが多く、それほど新鮮味はないが、現場での取材は結構面白い。ここではそうした部分を中心にまとめておきたい。
まずは、ハマスによる10月7日未明(朝6時半)の奇襲の様子。著者は、その日の午後現場に入り、幸運にも生き残った若者の証言や、その時点でも飛び交うロケット弾、そしてそれを打ち落とすイスラエルの防空システム(アイアンドーム)などを報告する。偶々ガザとの国境近くで前の晩に開催されていた音楽祭から続いていた徹夜パーティーがハマスの格好の攻撃対象となり、午前11時半、この地域へイスラエル軍が駆けつけるまでに多くの若者が犠牲となったという。この奇襲に対し、ガザでは攻撃成功を祝う「乱痴気騒ぎ」まで起こり、他方イスラエルが受けた衝撃はそれ以上に大きかった。それが次にイスラエルによるガザの徹底的な破壊につながっていく様子が、リアルに報告されている。
著者は1987年のこのハマスの成立から現在に至る歴史を簡単に紹介しているが、もともとはパレスチナ解放機構とその中心勢力であるファハタを弱体化するために、イスラエルはハマスの前進組織を慈善団体として認可し、モスクや学校設立を許可していたというのは、アフガンで初期のアルカイダを米国が支援したのと同じ構造である。こうしてハマスは力を蓄え2007年にはガザを軍事制圧し、パレスチナのモスレム地域は、ファハタが支配するヨルダン川西岸とガザとに分断されると共に、特にハマスがイスラエルに対抗することになるのである。
続けて、10月7日以降のイスラエルによるガザ侵攻。これについては多くが報道されているので、あまり立ち入らないが、特に病院が攻撃対象となり、2023年12月までに、ガザ地区最大の病院であるシファ病院を含む5大病院がイスラエルにより占拠された他、ガザ地区全体で36あった病院のうち部分的にも医療活動を継続できたのは9院にとどまったというのは、現在まで続くガザの悲惨さを象徴する事態であろう。著者が取材した、この戦闘の中で帝王切開による出産を行い、その後も乳飲み子を抱え流浪したモスレム女性たち(当然ながらその新生児の多くが死亡している)の報告などは聞くに堪えない。しかし、こうした戦争の中、ガザ地区では一日180人の私生児が誕生しているというのも、ある意味驚くべき数字である。またイスラエルがこの攻撃により、ハマスの要人を登録したAIを使った攻撃を行うことで巻き添えになる一般人が増加しているというのも、今後のこうした戦争を見る上でも重要なポイントであろう。イスラエルによる「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)―日本人医師も保険局長として活動している」への敵意や、この地域の世界遺産や文化施設などもイスラエルの攻撃で破壊されているというのもよく知られているとおりである。またイスラエルによるガザ封鎖で、外部ジャーナリストによる直接取材が困難になり、現地の状況は在住者の報告に限定されているが、そうしたジャーナリストの死傷者も増えているという。実際、この戦闘開始前であるが、著者自身も取材中にイスラエル軍から銃口を向けられ、結果的にゴム弾によると思われる傷を負ったというのも、この戦争取材の厳しさを物語る話である。医療関係者を始めとする一般庶民に対するイスラエル軍による拷問の報告も生々しく気分が悪くなるが、もちろんイスラエル軍はそれを否定し、それを巡る国際社会との対立も激しくなっている。
他方、ハマスが拘束しているイスラエルの人質は、2025年7月現在で50名、そのうち約20名が生存しているというのが著者の報告であるが、これがハマスにとっての唯一の交渉カードであることは言うまでもない。今週になり、ネタニエフと会談したトランプが、停戦とイスラエル軍のガザからの撤退の条件としてこの人質の解放とハマスの武装解除を提案し、それを受けなければ米国はネタニエフをさらに支援強化すると発表したが、ハマスがそれを受けるかどうかは、現時点では全くわからない(そしてその後の10月3日、このトランプ提案の「イスラエル人人質全員解放」とそれによる「イスラエルのガザからの撤退と停戦」をハマスが受け入れた、という報道が入ってきた。ただトランプ提案のもう一つの柱である「ハマスの武装解除」についてはハマスからはまだ明確な反応がないように思える)。他方で、ハマスから解放されたイスラエル人人質の証言も悲惨である。そうした人質の中にはナチス・ドイツによるホロコーストを生き延びた家族もいるというのは、この問題の歴史的皮肉を物語っている。
以降、この地域を巡るイスラエル・パレスチナ紛争の歴史が1993年のオスロ合意とその破綻等も含め語られるが、それはよく知られていることから省略する。ただ1969年8月にローマ発の航空機をハイジャックして最終的にダマスカスに向かった女性テロリスト、ライラ・ハリドへの2022年4月のインタビュー記事は面白い。この時点でアンマンに住む78歳の彼女は、現在でもその肖像が壁やマグカップに描かれるなど、パレスチナ人による抵抗の象徴になっているという。その他、止まらないイスラエルによる入植地拡大はよく知られているが、それを正当化する法的枠組みがあるというのにも留意しておこう。
この報告の最後は、「分断されるイスラエル社会」と題されるが、これは米国などと同様、右傾化する政権が、国内の分断をより激しくしているイスラエル国内状況のまとめである。ネタニエフが2019年に国内の警察から汚職疑惑で起訴されていることは知られているが、それに加え彼が三権分流を弱める司法改革(最高裁判決の中にはパレスチナ人の権利を認めたり、徴兵制での宗教関係者の例外扱いを違法とする判決があり、右派勢力がそれらを敵視しているという)を強引に進めようとしているというのは認識していなかった。2022年11月に政権に復帰したネタニエフは、そうした右派勢力との連立で、「イスラエル市場最も右派的な政権」として発足し、こうした政策を推し進めているということであるが、それもトランプの米国内、あるいはその他ハンガリー、ポーランド、トルコ内の動きと表裏一帯で、世界的に広がる右翼ポピュリズムの拡大と現代民主主義の危機のもう一つの例といえる。個人的にも、ネタニエフは強硬なシオニストの父親(102歳で逝去)のもとで育ち、22歳の時に参加したPLOによるハイジャック事件(1972年)で負傷し、兄は同様のハイジャック事件(1976年)で死亡したりと、パレスチナとの戦闘の最前線に立ってきた経験の持ち主である。そうした彼の政権下で発生した今回のハマスによるテロに対し、ガザ壊滅という形で彼が徹底的に報復しようとしているのは、ある意味当然である。もちろん、そうした国内問題での右翼的な政策に対する抵抗もあることが、イスラエル社会の分断を強めているとされ、著者はまたイスラエル人で、今回のハマスの攻撃で両親を殺害されながらも、ユダヤ人とアラブ人の和解を目指す市民運動家の姿なども報告しているが、現在のところ、そうした動きはまだ限られているというのが実態であろう。
ということで、この同時進行中の「熱い戦争」の帰趨はまだまだ見えないが、その一般報道を補足してくれる著作であった。
読了:2025年9月26日