台湾 四百年の歴史と展望
著者:伊藤 潔
1993年8月出版の台湾史である。時まさに1990年5月、台湾人の李登輝が第8代総統に就任し、台湾の民主化が始まろうとしていた時期である。そして今回私が手にしたのは、2018年8月の第24版。この間、台湾が大きく変わったことは言うまでもない。しかし、少なくとも、1993年出版時点でのこの台湾史を客観的に描いたこの著作は、今まで私が接した台湾本の中でも最も出色な作品であり、どうして今まで手にしなかったのかと悔いている。著者は、1937年、日本統治下の台湾に生まれ、国民党政権下で16年に渡り教育を受けた後日本に留学し、東大で博士過程を終えた後は、日本で研究を続け、この著作の出版時点では二松学舎大学国際政治経済学部の教授である。
台湾の歴史は言うまでもなく、植民地支配下がほとんどである。まずは1624年、バタビアから派遣されたオランダ東インド会社による38年の支配。短いスペイン支配に続き、1662年には、大陸での清朝に追われた鄭成功(確かに「国性爺合戦」の主人公として日本でも古くから知られていたな)がオランダを駆逐するが、1683年、清朝が鄭一族を滅ぼし、その後約200年に渡り支配者となる。そして1895年、日清戦争によりこの地は日本の植民地となり、1945年の終戦に至り、その後の現代史はよく知られている通りである。その間、夫々の支配者によるこの地の支配の様子や、大陸からの移民の増加とそれに対する先住民の対応などが語られていくことになる。ここでは、そうした歴史の中で、特に注目される事項を取り上げることにする。
まず中世までの歴史のポイントとしては、中国古代の王朝にとっては、台湾は海賊や倭寇が出没するだけの未知の島であり、ほとんど歴史には登場することはなかったことが挙げられる。歴代の中国の王朝も、こうした海賊たちを監視するために、澎湖列島に前線基地を置いたのみで、それ以上に進むことはなかったようである。しかし、16世紀にオランダにより「発見」されたことで、この地が列強の極東進出にあたっての中継基地としての地理的重要性に加え、鹿皮、鹿肉、砂糖などが豊富な地であることが知られ、そうした産業の振興と収奪が進むことになる。ただ清朝支配の200年余り、王朝は開発には消極的で、主として治安維持を行う程度であったという。しかし当然ながらその間も大陸からの移民は増加し、それなりの開発も行われたが、他方で「5年に一大乱、3年に一小乱」と言われるように、頻繁に支配者に対する、あるいは先住民・移民間の騒乱も発生したのである。
これが大きく変わるのは、1895年の日清戦争による台湾の日本への割譲である。これがその他列強(特に当初日本への割譲に反対していたフランス)の個別の事情により実現した経緯、及び一時期「台湾民主国」としての独立宣言も出されたが、それは「土匪」による激しい抵抗はあったものの最終的に日本に潰され、以降50年の日本の支配が始まることになる。そしてこの時期、第4代総督の児玉源太郎(因みに、総督は第一代が樺山資起、第二代が桂太郎、第三代が乃木希典というように、それなりの名の知れた軍人が就任している)の下で民政長官として実権を振るった後藤新平の「生物学的植民地経営」の理念に基づく徹底した土地、慣習、人口等の調査により、「財政の独立」等を含めた統治の基礎が形成されたという。そして何よりも新通貨発行、灌漑施設などの農業インフラ、港湾、鉄道、道路、通信網整備、公衆衛生事業、学校整備などが進められた。もちろんそれは「慈善事業」ではなく、頻繁に発生した騒乱に対する徹底した弾圧等「アメとムチ」併用による植民地収奪が目的の行為あったが、それが日本軍撤退後の戦後の台湾の基礎となったことは間違いない。著者は、そうした日本支配の実態を客観的視点で説明しているのがたいへん印象的である。また台湾側からの抵抗運動が、1915年の「西来庵事件」を境に、「非合法」の武力抵抗から、合法的な政治運動に移行していき、板垣退助等も一時これに関わったということである。また1921年から始まった「台湾議会設置請願運動」は、結局日本政府からは警戒され、受け入れられることはなかったとは言え、1934年に中断するまで15回に及ぶ帝国議会への請願を続け、これには当時貴族院議員であった江原素六(私の母校である中高の創立者である)も支援したということである。しかし、1933年の満州事変から1937年の日中戦争を経て第二次大戦が始まると、戦時統制の強化により、そうした台湾人独自の運動は抑圧され、台湾は日本の南進基地となると共に、産業も戦争協力一色となっていくことになる。そして台湾人も日本軍に実質徴兵され多くの犠牲者を生んだが、こうした台湾人の軍属犠牲者は、戦後日本国籍を失ったことから、日本の軍属のような補償を受けることがなかったことも指摘されている。
そして終戦と台湾の中華民国への返還。しかし台湾では大きな戦闘もなかったことに加え、最初に進駐した国民党軍の「低い士気と貧しい身なり、劣悪な装備を目のあたりにした」ことから、台湾人の間では日本が敗戦したという感覚はあまり感じられず、またその後の日本の資産接収等に際しての国民党政権の官僚の汚職、そしてその後の強権政治により、台湾人の中では「祖国復帰」への期待が瞬く間に消滅し、国民党政権への不満が蓄積される。それが爆発したのが1947年の「二・二八事件」であったが、これが無差別殺戮も含め弾圧された後は、国民党による恐怖政治が台湾を覆うことになる。この事件は、語ることさえ長らくタブーとされ、それがようやく公式に国会で認知され黙祷が行われるまでには1990年まで待たねばならなかったのである。こうした歴史が、台湾の近代史の汚点になると共に、日本支配時代への郷愁を含め、戦後の台湾人の日本に対する親近感を養成したということであろう。
戦後の中国共産党政権との関係については、まずは1950年に米国トルーマン政権は「台湾海峡不介入」を打ち出したが、それが朝鮮戦争の勃発により「台湾海峡の中立化」に変わり、米国による軍事援助も拡大する。まさに米国に見放されそうであった国民党政権にとって朝鮮戦争が「救いの神」となり、また経済的にも、戦後の激しいインフレと産業再建の遅れで危機に瀕していたが、朝鮮戦争の特需が、その後の急速な経済成長を促したというのは、日本と同様である。それに加え、1960年代に入ると「外国資本、安い労働力、輸出志向のもとで工業化と輸出が促され、輸入代替工業から加工輸出工業への転換」により、高度成長を促したのである。また1971年のニクソン政権による訪中と国連脱退、翌年の米国や日本等との国交断交という大転換を迎えたが、米国では「台湾関係法」が制定され、引き続き実質的な関係が維持され、また日本との関係も同様であるというのは、外交史の上でも極めて異例であり、それが現在まで続いていることは言うまでもない。他方、1980年代に入ると米国議会の圧力もあり、民主化の動きが台頭し、1986年には、「戒厳令下」にも関わらず民進党が野党として認められ、続けて翌年には38年間続いていた戒厳令が解除。そして1988年の蒋経国死去と李登輝の総統就任を経て民主化が加速されることになる。李登輝による巧みな長老の排除と慎重かつ着実な民主化の動きへの著者の説明も説得力がある。こうしてこの著作は、1993年時点での台湾の課題―「中国との関係の処理、国際社会での孤立の打開、国民党の「一党独大」と「党営企業」の解消、民主化に抵抗する国民党保守派への対応、産業動力の確保と公害問題の調和など」を指摘して終わることになるのである。
この著作の刊行から30年超。もちろん台湾は大きく変わっている。政治的には、1996年の初の直接選挙での李登輝の再選、2000年の民進党、陳水扁当選による初の政権交代、2008年の国民党、馬英九による政権奪還、2014年の民進党、蔡英文による政権交代と最新の2024年の民進党、頼清徳による民進党政権維持と、二大政党による政権交代が常態化し、民主主義は十分定着した。経済的にはAI関連産業を中心に成長を続け、その先端を走るTSMCは、シャープ買収や熊本、あるいは米国への大工場建設などの対外投資も大きく進めている。そして国際関係では言うまでもなく中国、習近平政権による台湾進攻の脅しの中、トランプ政権がどのように対応するかが大きな課題となっている。その意味では、著者が30年前に懸念した台湾の課題は、それなりに前向きに前進しつつ、また新たな展開を示していると言える。そうした中でもちろん日本でも「台湾有事」に際してどう対応するかについても議論は続いている。しかし、この著作で改めて感じたように、日本と台湾の歴史的関係と双方の国民感情を鑑みれば、日本はこの国のために相応の支援を行うべきことは間違いない。台湾の苦難の歴史と併せて、そうした感覚も再確認させてくれたたいへんな力作であった。
読了:2025年11月7日