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ヒマラヤ世界ー五千年の文明と壊れゆく自然
著者:向 一陽 
 シンガポールでの生活を始めてから、「ヒマラヤ世界」というのはそれなりに身近に感じられるようになった。まずは地理的に日本よりも相当近くなったということもあり、周囲にネパールやブータンに旅に出る人間も多く、私自身も機会があれば、未知のこの地域を訪れてみたいという気持ちを強くしている。またその中国側にあるチベットを巡るダライ・ラマと中国当局との対立は、日常的にこちらの新聞にも報道されているし、グローバル資本主義の危機の中で、ブータンの「国民総幸福度(Gross National Happiness)」等も徐々に注目されている。ここはアジアの仏教国の中でも、それなりの原初的な形態を維持している地域であり、かつてインドが欧米の芸術家や若者に及ぼした影響力を引き継ぐような可能性も秘めているのではないかと思える部分もある。しかし、そうした漠然たる思いとは裏腹に、今までこの地域にかかわる本に接したことはなかった。その意味で、この本は昨年読んだJ.アーチャーによるヒマラヤ山岳小説を除けば、私が初めて読むこの地域の作品であると言える。

 しかし、私の関心は、この社会の政治的・経済的、宗教的、社会的在り様であったのだが、実際のこの作品は、もちろん時々そうした側面にも言及するとは言え、大半はこの地域の自然とそこでの人々の生活を巡る紀行の世界であり、考察の多くはむしろエコロジスト的な視点から、自然とそれと共生する人々の生活を守ろう、といったものがほとんどであった。著者は、1935年生まれの元共同通信の記者であるが、日本山岳会の会員で、かつてアマゾン探訪団にも加わったように、こうした山岳・河川紀行を得意としているルポ・ライターである。その意味で、この地域の政治的、経済的、宗教的、社会的な考察が少なく、またあるテーマをきっかけに話しが、日本を含めた他の地域の同様の話しに、いとも簡単に飛んでしまうという不満はあるが、まずはそうした「自然紀行」として、この地域を知るためのきっかけを探っていこうと思う。

 このルポで著者が旅をするのは、ヒマラヤの麓ネパールから、その麓にインド洋まで広がるヒンドゥスタン大平原に位置するインド東北部からバングラデッシュに至る地域である。ヒマラヤを源流とするインダス川(長さ2900キロ)、ガンジス川(長さ2500キロ)、ブラマプトラ川(2900キロ)という、欧州でいえばドナウ側に匹敵する大河川の流域であり、世界の人口の1割以上の8億人が住み、15億人が間接的にこれらの川の水の恵みを受けているという。この地域全体を著者は「一蓮托生のヒマラヤ世界」と呼んでいる。

 まずは標高1300メートルで年平均気温が15度と快適なカトマンズの町から。日本では東北関東大震災の復旧がまだ続いている現在であるが、著者は、この町については、地震に襲われた場合のこの町の脆弱性に思いを馳せながら、1934年にこの町を襲った地震と、その周辺部での更に大きな地震の話しだけで終わって、ヒマラヤ登山の窓口ルクラへ飛ぶ。ルクラでは「エベレスト街道」のトラッキングである。この地域の農業事情や民話が語られる。「シェルパ」という言葉は、この仕事を専門にする「シェルパ族」から来たということ、またシンガポールでも英国軍の一員としてセントサに駐在していたグルカ兵がネパールの山岳民族であることを知る。後は、登山やトラッキング客の増加により、燃料として森林が伐採され、それがヒマラヤ源流の河川の下流に位置する地域での洪水被害の増加をもたらしていることと、それに対する環境保護の動きの話くらいが特記事項である。エベレストへの登山基地のナムチェからの高地トラッキングも、風景こそより雄大になるが、観察は似たようなものである。尾根が開けた広場に造られたチベット仏教の総本山タンボチェ僧院や標高3840メートルのポルチェ村の人々の生活、そして氷河衰退と氷河湖決壊のリスク、更にトラッキング客の増加と共に進む環境破壊の話しなど。唯一、政治的な話として、中国のチェベット侵略とダライ・ラマの闘争が言及されているが、これはダライ・ラマの「チベットわが祖国」からの引用である。

 著者が一章を割いて説明しているのは、ヒマラヤの豊かな水を利用した水力発電の効用である。シェルパ族の社会を大きく変容させたクーンブ発電所を含め、ネパールには1000を超える小水力発電所があるという。これらの小規模発電所は、川を堰き止める必要のない「流れ込み」式で、日本でも小規模発電としては昔から利用されてきた、環境に優しいシステムである。

 しかし自然と共生しているこうした小規模発電とは別に、環境を大きく変える大規模発電施設が大河川の至る所に造られている。インドのニューデリー北方のガンジス川本流の源流域にあるテーリ・ダム等、チュプコ運動というダム建設反対の運動を受けながらも建設された5つの大規模ダムがインドからパキスタンにかけて存在するが、ここでは上流から押し寄せる膨大な堆砂との戦いが続いているという。面白いのは、ブータンでさえ、その地形を利用し、インドの出資により堰き止め型のダムを建設し、生産した電力をインドに輸出し財政の45%を賄っているということ。著者は、この章の最後で、日本でもそうした小規模電力開発を都内など都市部でも推進している東京電力の子会社の話などにも言及しているが、足元の原発事故も考えると、こうした電力施設の開発問題は、今後さらに新しい議論を呼んでいくのだろう。ネパールの最後で、著者は「人間、ささやかに生きられないか」と自問しているが、短期間の滞在と生活の基盤としての滞在とはおのずと感じ方が変わってくる。文明の恩恵に慣れている我々は、せいぜい短時間の逃避として「ささやかな生活」に触れ、そこから本来の生活を改善させる「ささやかな知恵」を得ることができればそれで十分ではないか、と私には思えるのである。

 ネパールの山岳部からヒンドゥスタンの平野部へ降りてくるが、インドの国境近くのネパール側に、釈迦生誕地のルンピニがある。芳しい香りに包まれるこの木の林で釈迦が生まれた沙羅双樹や、彼がその下で悟りを開いたインド菩提樹、そして数々の神話に登場する無憂樹など、この地特有の樹木が紹介される。釈迦は29歳の時に、王子の身分を捨てこの城の門を出て出家したと伝えられるが、その後この町は何度も(洪水の?)土砂に埋まり、19世紀末に発見されるまで、ここが「ルンピニの園」だとは分からなかったという。今は日本も加わり発掘作業が続いているという。またこのルンピニがあるタライという地域は、山国ネパールの麓にベルト状に続いている低地平野で、ネパールの米や小麦の80%を生産する穀倉地帯である。しかし、この地域の開発のため山林の伐採等が進み、下流の洪水の一つの原因にもなっているという。また近年、この伐採により棲みかをなくしたヒョウなどの野生動物が、村の家畜を襲うことも多くなっているというのは、日本でも見られる現象である。インドの英国植民地時代には、この地域で「トラ狩り」が行われており、英国王室用の「王室猟場」等もあったというが、現在こうした狩猟が禁じられていることは言うまでもなく、世界遺産の指定もある国立公園になっているとのことである。

 ここから国境を越え、インドに入るが、最初に訪れる町はヴェラナシ(ベナレス)である。これ以降は「ヒマラヤ世界」と言うよりも、既に多くのインド本で接したインド世界に入るので、やや駆け足で見ていこう。

 ベナレスの沐浴風景は、既に多くのインド本で接した。コルカタの町では、魔神軍団と死闘を繰り広げたシヴァの妻カーリーを祀るカーリーガード寺院やマザー・テレサのホスピス施設「死を待つ人の家」など。19世紀以降、この地域を大プランテーションに変えるべく自然改造計画を行った英国の試みと、独立後も奨められた同様の開発。品種改良された種子の成果もありパンジャブ地方を中心に「緑の革命」が成し遂げられるが、同時に化学肥料の副作用や農民の貧富格差の拡大などの弊害、更には水資源の取り合いに起因する水不足等も目立っているという。同時にガンジス流域のこのパンジャブとインダス流域のハリヤナは、「洪水常襲平原」であるとして、その被害やそれと共存している人々の生活をルポしているが、それは省略し、最後の国バングラデッシュに入る。

 このバングラデッシュは、個人的に興味があると同時に、他方で余り足を踏み入れたくないという気持ちが共存する国家である。この国土全体が「巨大な川の河口部のデルタ地帯」であるというこの国は、「世界最貧国のひとつ」であると共に、「浮き稲」といった特殊な稲作方法も発達している。国民のほとんどが水上生活者であるかのような、川と湖中心の人々の生活が語られ、最後にこの地域のみならず、上流のネパールでも広がっているという砒素中毒被害の拡大に触れ、このヒマラヤからインド洋まで下る旅を締めくくっている。最後の総括は、やはり環境保護と自然との共生の奨めである。

 確かに著者の旅は、ジャーナリストとしての根性の入ったものであり、著者の年齢も考えると、なかなか面白い地域を取材してきたと感じられる部分も多い。しかし、冒頭に述べたように、この地域の人々のミクロの生活は、おそらく今後機会があれば我々も触れることのできる世界であることから、むしろ冒頭に述べたように、この地域の政治、経済、宗教面をより注意深く取材してくれると、この本がより興味深いものになっていたと思われる。実際、この地域の宗教は、ブータンのそれを含めて徐々に世界的な関心を集められる可能性があるだけに、ダライ・ラマの著書が簡単に紹介されるだけで終わってしまっているのは残念である。正直、後半はほとんど読み流すような感じになり、集中力を欠いてしまったのは、そうしたこの本の「山岳ジャーナリストによる自然紀行」的な性格故ではなかったかと思えるのである。

読了:2011年4月30日