韓国社会の現在
著者:春木 育美
「超少子化、貧困・孤立化、デジタル化」という副題のとおり、韓国の社会面での状況・問題につき、日本との比較も交えながら論じた新書である。韓国は、言うまでもなく、日本とは近隣に位置しているが故に、歴史問題を含め、数々の国際関係上の課題を有しているが、ここでは、国内の政治・経済や、「国際関係」を含めた外交分野には立ち入らず、あくまで同国の社会問題につき考察し、政権の対応も、あくまでそうした問題に限定して論究されている。その意味では、個人的にはやや物足りないものであるが、それでもこの「近くて遠い」隣人につき理解を深めるには有益である。
「1996年に経済強力開発機構(OECD)に加盟した韓国は、出生率や若者の就業率がOECD加盟国で最低水準である一方、私教育費(学校外教育費)や大学進学率、男女の賃金格差、高齢者の貧困率と自殺率は、最高水準を記録し続けている」という冒頭の指摘が、この国が直面している社会問題を直截に物語っている。その後の本論は、その原因や付随する社会現象を詳論したものである。例えば、韓国の総人口は、2017年の5100万人から、50年後の2067年には4000万人を割ると推計され、且つ高齢化により、現役世代の高齢者一人当たりの扶養負担は、2017年の5.3人から2067年には略一人となるという。もちろん日本も同様の問題を抱えているが、韓国の少子高齢化のスピードはそれをはるかに上回るとの予想で、その要因は、「妊娠可能な女性人口の減少と、未婚者の増加および晩婚化」である。未婚者の要因は、男性の場合は「安定した職業」への就職、即ち一部大企業と中小企業の分化に伴う若年失業者の増加であり、女性の場合は、依然残っている「男尊」的風土での、結婚への忌避感であるという。2010年代以降、女性の大学進学率が、同年代の男性を上回り、他方で出産、育児で一旦仕事を退職すると復帰が困難であることも、それを加速させている。言わば、女性の社会進出が、出産・育児に際してのセーフティネット整備に立ち遅れたということであろう。
もちろん歴代政権側も、日本の例などを参考にしながら各種対策を講じてきた。最近では、無償保育、結婚移民女性支援、教育費補助、条件付き重国籍容認等々といった政策である。ただ、夫々問題を抱えており、出生率の向上には結びついていない。未婚や非婚の増加の原因である極度の就職難と不安定雇用等の経済不安への対応が根本的な問題であるというのが著者の結論であるが、それは日本の場合も程度は異なるにしても当てはまる指摘である。
高い高齢者の貧困率と自殺率は、年金制度整備の遅れと低い社会保障関係の財政支出不足が主因であるという。また、「これまで儒教的価値観により支えられてきた家族機能(家族・親戚間での相互保障)は、短期間で弱体化してしまった」という指摘も興味深い。また年金制度が充実した公務員(と、ここでは触れられていないが、おそらく財閥系企業勤務者)とその他民間企業勤務者との格差問題も深刻に受け止められているという。他方で、若者の支持を受けた人気シルバー・ユーチューバーの話は、高齢者の新たな「生き甲斐」となっているということであるが、これは日本ではあまり見られない現象である。
デジタル社会の進展は、明らかに韓国が日本を凌駕している。国策によるクレジットカード利用促進などにより「キャッシュレス比率向上」を進めた他、住民登録番号制度等も、もともとは日本の植民地時代の住民管理制度を起源とするにも関わらず、国民の間では、「国家による個人情報管理」という負の側面よりも、戸籍関係事務や国民健康保険システム等での「利便性」が評価されているという。それを含めた「電子政府」の動きも日本の遥か先を行っているようで、もちろん情報漏洩事件も発生しているとは言え、日本が学ぶべき施策は多い。他方、学校教育での「デジタル教育化」もトップダウンで急速に進んでいるようであるが、ここでも富裕層とその他層との間でのデジタル・デバイドや、データ整備での教職員の負担増などの問題が生じている。これも、今後日本が遅れてこの動きにチャッチアップしていく際の参考になると思われる。
その学校教育も、急速な格差拡大を受けた競争の激化(若年失業率の上昇)で、いろいろな問題が生じているという。親から子供への教育圧力、英語教育重視(英語教育都市の造成等)と海外留学生の誘致拡大政策の一環としての海外校誘致の不冴え(但しK−Popスターの宣伝により、例えば中国からの留学生は増加しているという)、大学入試での英語テスト改定(大失敗)等々。若年失業率の上昇については、政府が「移民に等しい海外就職奨励策」を講じているというのは、日本にはない発想であるが、まさに国内での「安定した雇用機会がない」ことによる苦肉の策という感じもする。ただそれは、私が接してきた、日本のポスドク科学研究者の海外勤務とも共通する問題である。
続いて女性問題。ベストセラー小説、「82年生まれ、キム・ジョン」に象徴される既婚、育児中の女性の憂鬱が紹介されている。女性の社会進出、政治参画、賃金・収入格差の是正、管理職への登用のあらゆる分野で、歴代政権は、選挙での女性票への期待もあり各種の制度整備を行い、それなりの成果を出してきた。ただ一部の「アファーマティブ・アクション(例えば公務員の同性クオータの導入)」等は、女性の進出で、むしろ男性の採用への恩恵になっているというのは面白い。ただ依然女性蔑視や性犯罪等は多く、それが新たなフェミニズム運動を促す契機になっているという。現大統領の文在寅も、「フェミニズム大統領」と呼ばれているようであるが、その女性政策は「少子化対応」に過ぎない、という批判があったり、学校での生徒の権利と自由拡大を促す半面で、「女子高生の身体を拘束する制服」について直接大統領が「制服改善」を指示することについての是非を巡る議論も惹起しているというのも、新聞などでは報道されないこの国の一面を物語っている。
こうした韓国社会の現状の総括として、最後に映画「パラサイト」が紹介されている。これについては、別掲の映画評に記載したとおり、言わば韓国の格差問題を誇張して描いたというのが私の印象であった。ただ「半地下生活」等は、著者の経験でも結構一般的で、且つ格差を象徴するものになっているというのは、この著作で認識させられた。韓国社会は、国の規模や、直接公選制で当選した大統領がトップダウンの指導力を発揮しやすいことで、変革を進めやすい側面はあるが、他方で当然ながら変革には痛みが伴う。そうした変革が中長期的に成功するか、あるいはそうした評価を受けるかどうかを判断するには、時間がかかると思われるが、他方で、基本的には同様の問題を抱えている日本も、その手法や時間感覚は十分に参考にすべきものであることは確かである。こうした共通の社会問題につき、両国で情報を交換しながら対応することで、現在戦後最悪と言われる日韓関係打開の景気が生まれるかもしれないと感じさせられたのであった。
読了:2020年11月7日