アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
アジア読書日記
その他アジア
韓国を支配する「空気」の研究
著者:牧野 愛博 
 先日読んだ最近のドイツ本(別掲)と同様、朝日新聞記者の駐在経験者による韓国報告である。1965年生まれの著者は、若い頃の1999年の留学を経て、2007年から2012年、2015年から2019年と、2回ソウル(2回目は支局長)に滞在した韓国通である。韓国に関連しては、先日「東アジアの論理」という新書で、大学教授による、韓国の儒教思想・中華意識に根差した日本観、と言ったアプローチを読んだばかりだが、こちらは新聞記者ならではの「足で稼ぐ」スタイル。多くの取材によって得た情報を基に、政治ネタから芸能界ネタ等、幅広い領域での話題をカバーしており、読み易いことから、いっきに読了することができる。韓国の内政や、現在戦後最悪と言われる状況にある日本との関係等を「確証バイアス(自分の信念や主張を強く信じる余り、反論に関する情報について目を向けようとしない状況)」という言葉を鍵に読み解こうとしている。そして著者自身は、そうした拘束性から逃れ、出来る限り中立的な立場から個々の現象を見るよう試みているが、読み進めるうちに、韓国側の問題をより強く指摘することになっているような印象がある。この辺りを、改めて読者としてどう考えるか、は試されることになる。

 前年から続いた徴用工判決問題の解決が長引き、日本政府は2019年7月に韓国向け輸出管理規制措置の強化に踏み切り、これに対し韓国側は8月、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めると共に、全国的な日本製品不買運動が広がることになる。GSOMIAの破棄は、米国の介入により「一時停止」されたが、両国の関係悪化は改善されることなく、現在まで続いている。こうした問題の基底には、両国の思考態度の相違がある、ということで、それを相互に理解する必要がある、という当たり前の姿勢で著者は記述を進めることになる。

 まず指摘されるのは、上記の日本製品不買運動の背後にある、「ヌンチ(空気)をみる」という韓国人の傾向。2018年の韓国から日本への訪問者は約50万人と国民の7人に一人に及び、「日本好き」は多いが、両国関係が政治問題化すると、日韓関係の歴史知識のないような若者も含め、いっきにこうした不買運動に突っ走るところに、この「ヌンチをみる」傾向が出ているという。もちろん、そうした中で、日韓関係をポジティブに捉えようという動きーベストセラーとなった「反日種族主義(2019年刊。日本統治が朝鮮半島の近代化につながったと主張)」、2001年の新大久保での鉄道事故の犠牲者の遺族を巡る日本人支援者との関係、そして観光推進目的での、豊臣秀吉による朝鮮出兵時に基地となった城の「韓国独自の復元」や日韓併合前後に作られた浦港市郊外の「日本人家屋路」の保存等―もある。しかし、それも「ヌンチをみる」雰囲気の中で注意深く運営されている。

 こうした対日感情の背後にある、格差が広がる韓国社会の現状が説明される。もちろんそれは先進国、途上国のほとんどで強まっている現在の最大の問題の一つであるが、特に韓国の場合は、激しい受験競争と大手企業への就職競争という構造問題として以前から指摘されていた課題である。希望先の大企業に就職できない青年が、中小企業への就職を忌避し失業率が増加する、という話もよく指摘される。そしてそうした一般庶民の不満が、朴槿恵政権での友人の娘の梨花女子大入学や文在寅政権での曾国の娘の高麗大入学の不正で、政治問題化することになる。またそれ故に、人々は「政権が代わる度に、そのツテとコネに群がり」、政権側もあからさまにそれを重視した政権の人事を行ってきた。もちろん、それも、日本を含め、どの国でも見られる現象ではあるが、特に保守政党と革新政党の間で熾烈な戦いを繰り広げてきた(しかし、双方の間で政策的には実は大差がない、というのが著者の見方ではあるが・・)韓国ではより顕著に見られるということになる。また官僚レベルでも、例えば外交部内では、長い間、「同盟派VS自主派」の闘いが続いており、トップの交代で個々の官僚の浮き沈みも激しいという。これも多かれ少なかれどこでも見られる現象であるが、特に韓国の場合は露骨であるということになる。それに韓国の場合は、東側の慶尚道と西側の全羅道の地域対立が重なってくる。これに関連した、付け届け(贈答)や接待の慣行と、それに対する規制強化、というのも、どこかの国と似た現象である。

 こうした韓国社会を描いた映画で、様々な議論を生んだ作品として、2014年制作で、旅客船セウォル号の沈没事故を扱った「ダイビング・ベル」と、2017年公開で、1980年5月の光州事件を取上げた「タクシー運転手」が紹介されている。後者については、早速レンタル店で借りて観ることができたので、詳細はその映画評に記載することにする。

 韓国での女性の地位についての考察(文政権で「鳴り物入りで任命」された女性外相、康京和が、お飾りになっており、実際の外交政策は大統領府が握っているというが、他方で男性大物政治家も、彼女にはそれなりの気を使っている、という)や、人気男性ポップ・グループの若手歌手による売春斡旋疑惑、あるいは政財界有力者のセクハラ疑惑といった話が紹介され、続いて歴代大統領何人かの逸話が語られている。大統領に関しては、著者は、金泳三、金大中、廬武鉉ら左派の政治家には共感的な紹介が目立つが、文在寅に対しては「『積弊清算』を叫び、古びた悪習の打破を叫んではいるものの、実際は自らが旧式の思考に縛られ、苦しんでいる」と批判的な見方をしている。

 そして最終章では、「分断国家の宿命」と題され総括が行われるが、ここでも北朝鮮政策についての文在寅政権の動きについての厳しい見方(北朝鮮にとって韓国は「都合の良い女」)が目につくことになる。前述のGSOMIAを始めとした防衛協力での日韓の摩擦も、「冷戦構造が依然として残る分断国家としての悲しい現実」の表れであるとする。そして脱北者の情報等を基にした北朝鮮の実情も紹介されるが、そのあたりは良く語られているところである。まとめとして、著者は、現在戦後最悪の状況にある日韓関係が、相互に異なる考え方や立場に配慮し改善することを期待して筆をおくが、これが簡単ではないことは、これまでの歴史が示している通りである。

 冒頭に記したように、著者自身は、日韓関係について、出来る限り中立的な立場から個々の現象を見るよう試みているが、読み進めるうちに、韓国側の問題をより強く指摘することになっている。来年3月に迫る大統領選挙に向けて、与野党の候補者選びは白熱してきているが、そこで誰が選ばれようと、この著者を含め多くの韓国通が期待するような、「相互理解に基づく関係改善」は余り期待できない、というのが実態ではないだろうか。そうであれば、現実政治の部分においては、とにかく徹底的に「即物的」な対応を行うと共に、文化活動を含めた底辺での交流を地道に進めていくしか対応はない。そうした意味で、「底辺での交流」についての僅かながらの希望を感じさせる、新聞記者ならではの、読み易い韓国論であった。

読了:2021年9月18日