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楼蘭王国
著者:赤松 明彦 
 1953年生まれのインド哲学の専門家による、「幻の王国」楼蘭を巡る考古学的な著作で、出版は2005年11月。この手の作品は、出版が古くても、あまりそれを感じることはないが、それ以上に、インド哲学の専門家が、こうした考古学的な考証を、今から16年も前に行っていたこと、そしてこうした作業を地道に進めている職業研究者がいるということについて驚かされる。ただそうした専門的な議論は、細かく追わず、「アジアの辺境冒険談」として楽しむことにした。

 言うまでもなく、「楼蘭の美女」というのはこの遺跡から見つかったミイラに付けられた名称であるが、その楼蘭は、「史記」等の古文書には記載があったが、20世紀初めに至るまで、考古学的には「幻の王国」であったという。その伝説を探る西欧の考古学者たちの冒険から、この物語が始まる。

 敦煌の西、タクラマカン砂漠の北東部に、ロブ・ノールという、これも「幻の湖」がある。タクラマカン砂漠の北辺にそって流れるタリム川は、雪解け時には水流があるが、それが過ぎると干上がってしまう。その結果、それが流れ込むロブ・ノールも、タリム川の水量により、湖としての位置が異なるという。そしてそのロブ・ノールの畔にあったといわれるのが、楼蘭である。

まず1900年に、この地に楼蘭があると発見したのがスウェーデンの探検家ヘディンであった。彼に先立つ19世紀末、何人かの探検家・学者の間で、ロブ・ノールの位置を巡る論争があり、ヘディンはそれに刺激され、そしてその論争に解決を与えたということになる。それはタリム川が水流により川筋を変え、その結果としてそれが流れ込むロブ・ノールも位置を変える、という発見であった。そしてそのヘディンの発見を更に発展させたのがハンガリー生まれの英国の考古学者スタインであった。1914年、シルクロード上で、敦煌から楼蘭に通じるとされた幹線道路をたどった彼は、楼蘭の遺跡(墓穴)でミイラを発見することになる。これが後年、「楼蘭の美女」として有名になるミイラであるが、これを機会に、その他の場所を含め2000体以上のミイラが発見され、その副贓品の考証から、かつてこの地に「王国」があったことが証明されることになったのである。以降、それらの分析による人類学的な言語学的な考証なども紹介されている。またインド哲学者として著者は、楼蘭に関わるガンダーラ語文書の分析から、この王国が、当時の「西域南道のオアシス連合」を構成していたことなども指摘している。

 ということで、専門的な議論を無視して、この「幻の王国」を巡る冒険談を読了することになる。シルクロードが、古代からの東西交流の幹線道路であったこと、そしてこの地域を巡り数々の勢力が拮抗したことを改めて確認することになった。こうした地域を今後個人的に訪れる機会はあるのだろうか?アジアの未踏の地は、まだまだ限りないことを痛感させてくれた新書であった。

読了:2021年10月3日