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日韓 悲劇の深層
著者:西尾幹二 / 呉善花 
 2015年10月出版の、典型的な日本の保守論客と、韓国人「反韓」論者との対談集である。この著者については、余り関心はなかったが、韓国と日韓関係を中心とした議論をしているということで、図書館で借りて速読することになった。

 内容的には概ね予想の通りであったが、議論はある意味明快で分かり易い。対談相手の韓国人女性は、1956年、韓国済州島生まれで、1983年に留学で来日した後、一時米国で学んだ他は、ほとんど日本で過ごし、出版の時点では拓殖大学の教授となっている。彼女は、日本に滞在する韓国人ホステスや女子留学生をルポした「スカートの風」という本で話題となるが、一方でこの本は対象とした韓国女性から大きな批判を浴びると共に、韓国の政権筋からも目を付けられる存在となり、またその後の韓国政権批判で、韓国への入国も厳しく制限されることになり、結局日本国籍を取得したという経緯がある。そうした韓国人と韓国の政権に対する批判的な論調が、対談相手である西尾の意向に合っているということで、この新書の企画に至ったようである。

 この著作の中核的なメッセージは、現在の韓国においては「親北―反日―民主」というイデオロギーが主流となってきているが、それは1987年の民主化以降より顕著になった政権による反日教育の結果であるという点。こうした傾向は、金大中、廬武鉉の民主派政権時代により鮮明に表れたが、この本の出版時点の朴槿恵の保守政権でも変わっていないという(文在寅については、この時点では、2018年の大統領選に勝利する可能性が高いとされているが、彼の政権でもこの路線が進められたことは言うまでもない)。

 韓国政権の政策で、私が従来から疑問に思っていたのは、上記の「親北―反日―民主」というイデオロギーの内の「反日」についてである。「親北」や「民主」については、韓国の保守派・民主派の中で、それなりの相違があるが、「反日」については、両者の間でほとんど差がないように思える。その要因が何であるのか、というのが韓国政治を見る上での、長い間の私の疑問であった。「親北」については、戦後の李承晩や朴正熙政権の下で朝鮮戦争から始まる北朝鮮との緊張状態を経験した保守政権は、その後の民主派政権に比較し慎重であろう、というのは容易に予想される。また「民主」については、最近続けて関連映画を観た、軍事政権時代の民衆弾圧を考えれば、その評価に僅かではあるが差があることになる。しかし、「反日」については、少なくともこの数10年は、保守派と民主派の間でほとんど差がない、あるいはむしろ民主派の方が「反日」の傾向が強いと言える。民主派(あるいは「革新派」)というのは、外交面でのある種の柔軟さを持っているのではないか、と思えるのであるが、韓国の場合は全くそうではない。この辺りの要因について、両者はある意味、非常に明快な議論を行っている。彼らの議論を、簡単にまとめると以下のとおりである。

 まず、韓国人の性格としての、強い自己主張が挙げられる。次に「伝統的に血縁小集団が社会構成単位であり、その小集団が自分の血縁一族の利益をだけを追求し、互いに闘争し合うところに生じるエネルギーが、社会を動かす活力となっていた」という文化があるという。それは自らの正義に白黒を明確につけたがる傾向となり、妥協の余地を狭めることになる。そして日本との関係で言えば、中世に半島を支配した李朝時代の儒教に基づく「華夷思想」で、日本は「夷」である、という発想。その「夷」が、秀吉の朝鮮出兵を行ったり、ついには1910年から36年間に及ぶ半島支配を行ったという歴史への「恨み」は、党派を超えて韓国の対日感情の深層から消え去ることがないということになる。 

 それでも朴正熙政権が日韓国交正常化を果たすなど、それなりに日本との外交関係を安定させる努力をしてきたが、民主化以降は、軍事政権の民衆弾圧に加え、そうした対日外交も批判の矢先となり、そのため朴正熙の娘である朴槿恵を含め、「反日」が政治指導者としての必要条件になっている。「親日」と見做されると政治指導者にはなれない雰囲気が益々増大しているというのである。そしてそれは現在の文在寅政権でも引き継がれ、恐らくは来年新たに選出される新たな大統領の元でも変わらないのだろう。「親北―反日―民主」という課題で言うと、現在は、唯一「親北」は保守と革新で多少の姿勢の相違はあるが、「反日」と「民主」は、最早どちらの政権になっても変わらない信条になったということである。そうであれば、竹島問題や戦争慰安婦問題、あるいは現在大きな問題になっている賠償責任を理由とした日本企業の在韓資産差し押さえといった多くの課題も、韓国の完全勝利になるまでは、彼らが納得することはない。そしてそうであれば、日本がこうした問題について僅かな譲歩をするのも無駄であり、むしろ日本の原則的立場を言い続けるしかないという著者らの指摘は説得力を持つ。こうして日韓関係を改善させるという課題は、なかなか進展の契機を見出せない状態が続く、ということになる。

 それにしても、「民主化」した韓国で、この対談者の女性の様に、「親日」的発言を繰り返していることだけの理由で入国拒否の対応をとるこの国の「民主主義」については、さすがの私でもどうかと思う。西尾が論じているような、ドイツが侵略戦争について何らの謝罪もしていない、といった主張には同意はできないが、韓国の対日のみならず対中国、対北朝鮮等への外交対応を含め、韓国政権の理不尽な姿勢とその理由について、著者たちの主張の多くに納得させられた、というのが正直なところであった。

読了:2021年10月31日