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新・台湾の主張
著者:李 登輝 
 直前読了の「蒋経国と李登輝」と並行して読んでいた、李登輝本人による日本人向け新書で、2015年3月の出版ということなので、昨年逝去する5年前、彼が92歳の時の作品である。同種の著作としては、これに先立つ「台湾の主張」(1999年6月刊)があるが、こちらは未読である。

 著者は、1932年に、日本の植民地下の台湾に生まれ、そこに設立された旧制高校から京都大学農学部に進み、戦時下の1943年に日本陸軍に入隊。終戦後台湾に帰国し、台湾大学農学部で学ぶ。その後米国コーネル大学留学を経て台湾大学教授となるが、1971年、蒋経国に見いだされ国民党に入党、政治家として歩み始め、台北市長等を務めた後、1988年、蒋経国の死去に伴い総統となり、2000年3月まで務めることになる。まさに台湾生まれの本省人エリートそのもので、且つ台湾の民主化の象徴となった人物であるが、その彼が自身の歩みと考え方を綴った著作である。もちろんこの時の彼の年齢を考えると、恐らく彼の口述を、側近が文字化した、ということだろうが、老いて尚明晰な彼の考え方には、もちろん頷けない部分もあるが、驚かされる。

 冒頭、彼が影響を受けた「日本精神」賛美、なかんずく後藤新平ら代々の台湾総督や、彼が招聘した新渡戸稲造等による台湾の近代化への貢献を評価している点は、同じ植民地支配の中でただ否定的な評価だけが戦後に引き継がれている韓国と比較されるのは、よく言われるとおりである。また伊澤修二という、私自身の父親と関係のあった人物の台湾への貢献にも触れられている。こうした台湾人による日本への親近感については、当然悪い気はしない。しかし、当然ながら、その後の日本の中国接近と、台湾との国交断絶は、彼にとっても愛憎交錯する日本への感情となっている。そうした彼自身の成長過程も含めた日本統治時代の台湾の様子が説明されるが、その中では、海軍特別志願兵として出征し、フィリピンで戦死した兄李登欽の思い出が感慨深い。ただ、こうした台湾人の戦死者も靖国に祀られているということで、著者は、そこで戦死後62年経った2007年に兄と再会したと述べ、日本人の靖国に対する敬意を払うべき、と論じているが、この点については、やはり日本の戦争責任を考えると、私は安易に同意することはできない。もちろん著者は、日米開戦は「無謀な選択であった」として当時の日本の政治家たちの無能を批判しているにしても、である。

 終戦を日本で迎えた著者は、1946年1月、ようやく台湾に帰国することになるが、そこは外省人が支配する世界となっており、「犬が去って、豚が来た」と陰口を叩かれていたという。そして2.26事件(この時は、著者も「弾圧される側にいた」として、生き残ったのは「運が良かった」としている)などを契機とした恐怖政治が長らく続くことになるのは、この前に読了した著作が詳細に説明しているところである。そして農学研究者として「生き延びた」彼は、コーネル大学への留学、博士号取得を経て、帰国後、1971年に、蒋経国に目をかけられ、面接の上、国民党に入党し、政治家として歩み始めることになる。学者であった自身の突然の政治家への転身後は、まさに「蒋経国学校」での授業の日々であったと回想しているが、民主化についても、蒋経国は不可避と考え、そのための戦略を練っていたとされている。

 蒋経国の急死と、1988年の彼の総統就任以降、特に外省人軍人との壮絶な権力闘争が繰り広げられたことが説明されているが、これ以降はやや自画自賛気味にはなる。ただ例えば、1990年に発生した、「万年代表」に批判的な学生運動の高まりである「野百合運動」に対して、自ら代表の学生たちとの対話を提案し、彼らを納得させたといったあたりは、彼の政治家としての力量、あるいは人間としての魅力を示していることは間違いない。前の著作がそこで終わった1996年の総裁直接選挙を巡る経緯や、その際の中国からの威嚇行為についても触れられているが、中国との関係は、その後も微妙な状態が続く。彼は、両国関係を「特殊な国と国との関係」として、「いまさら台湾独立を宣言する必要はありません」という主張を繰り返すことになるが、このあたりは現在改めて様々な思惑と共に議論されている問題であることは言うまでもない。また1999年9月の台湾大審査での日本からの支援と、それに答える形での2011年3月の東日本大震災での支援(但し、中国感触を憂慮した日本の受入れ躊躇を批判している)等も、興味深い逸話である。

 2000年、彼の総統退任を受けた選挙で、台湾は国民党から民進党への政権交代を平和裡に成し遂げることになるが、著者は、その後「台湾の民主政治は長い停滞の時期に入ってしまう」として批判的に「新台湾人の時代」を論じている。特に彼は、2008年の総選挙で勝利した馬英九率いる国民党が、中国に接近し、「台湾の人民が決定する」約束を無視して中国との統一に向かっていることを懸念している。そして「台湾の民主的で市民の自由や人権を尊重する政治体制」を維持・発展させるべく務めるのが台湾の政治家の義務であると強く主張するのである。

 著者は、この馬永九と国民党の勝利は、「対中ビジネスを手掛ける大企業の支持」と「その前の民進党、陳水扁政権時代の腐敗の印象が持続」していることにあるとしているが、その後、中国が狙う「台湾を呑み込む」ための貿易協定に反対する学生運動を強権で抑え込む姿勢に反対する演説を行うなど、自らの出身母体で、この時点では離れている国民党を批判する立場に転じている。そしてこの本の出版時点ではまだ政権交代は起こっていないが、2016年の選挙では民進党の蔡英文が勝利し、台湾政権の中国寄りの姿勢が変化し現在に至っているのは知られたところである。

 こうした中国との対外関係を難しくしているのが、台湾国内の本省人、外省人、あるいは本省人の中でも、ホーロー族(福建省移民の末裔)、客家、原住民等の関係が、「共通の国家意識」の形成を阻む「族群問題」であるとして、それを「新台湾人」としての意識に変える必要があるとする。それは「民主台湾」により「封建中国」と対峙する戦略である。そして彼が現在までの活動で喧伝している政治課題のパンフレットを紹介しているが、それは地方への授権やネット利用の民主参加、メディアや資本家だけでなく、市民が意見表明をできる機会の確保等、現代の日本に生きる我々も参考とすべき意見が多く含まれている。

 最後に著者は、国防論を中心に、日本の取るべき政策について提言している。もちろんそこではアジアで拡大する中国の覇権という問題への対応が大きな課題となり、安倍政権の集団的自衛権対応の評価や、9条を含めた憲法改正といった議論が目立つことになる。後者は、私としては反対の態度を取らざるを得ないが、それでも最後に著者が、「東アジアの一層の安定と平和のためには、日本と台湾が手を携え、共に歩んでいくことが私の切なる願いである」と述べる時には、大きな共感を覚えることになるのである。

 東南アジア諸国のみならず、日本や韓国、台湾は、拡大する中国の地域影響力を前に、単独での存続は益々厳しくなっていることは、香港の例を挙げるまでもなく、そうした中で、民主主義という観念を共有する国家間の連携は必須である。他方で、資本の選好である巨大な中国市場を確保したいという意向との間で、夫々の政権は試行錯誤を繰り返すことになる。足元は、米国は、資本の論理よりも、政治バランスの論理を優先させ、それを「民主主義」という理念で正当化させようとする戦略が主流となっているが、日本は、まだ双方を求める焦点の定まらない対応を行っている。これに対し台湾は、元々「一つの中国」という国際合意の下で、「民主主義」を否定した場合は、自ずと中国の軍門に下ることが運命付けられており、そのためにも、国の民主化の維持・発展とそれを基盤とした米国や日本を含めた近隣諸国との連携は、日本以上に求められていた。そうした環境下で、台湾が李登輝という指導者を有したことはこの国にとっても、また日本にとってもたいへん有難かったと感じる。そしてかつての独裁者であり、恐怖政治の指導者であった蒋経国が、その最後に、李登輝を後継者として育成、指名したのも慧眼であった。しかし、その李登輝も既に鬼籍にはいり、現在は蔡英文総統が、李登輝の意志を次ぎながら、特に米国の姿勢変化も利用し、中国に対する守りを固めている状況にあると言える。もちろん歴史は毎回異なる様相を呈することから、今後、台湾を巡る情勢が緊迫し、それが日本の安全保障にも大きな影響を及ぼすことは十分あり得るが、そうした際に、この李登輝の基本姿勢に立ち戻りながらそれに立ち向かっていくことになるのだろう。そうした感覚を頂かせてくれる偉大な政治指導者の著作であった。

読了:2021年12月17日