ブータンに魅せられて
著者:今枝 由郎
1947年生まれのチベット学者(歴史文献学とのこと)によるブータンを紹介する2008年出版の新書。著者は、フランス国籍で、1974年からフランス国立科学研究センター(CNRS。因みに、この組織とは、シンガポール滞在時に自然科学系の研究で頻繁に、そのシンガポール事務所等と接触していた。この研究機関は、人文系も強力である。)に勤務しつつ、1981年から1990年にかけてブータン国立図書館顧問としてブータンに駐在し、国立図書館の建設に尽力したが、その際の経験が反映された著作となっている。
シンガポールに滞在した12年間で、ASEAN諸国やインドは、仕事や休暇で度々訪れたが、ヒマラヤ山系にあるネパールとブータンは結局訪れることが出来なかった。計画としては、滞在の最後の半年、仕事の圧力がなくなったところで、溜まった有給休暇を利用し訪れることを考えていたが、結局コロナによる国境閉鎖で、叶わなかったのが、たいへん残念であった。もちろん、今後コロナが収まり通常の状態になればまだ機会はあるのだろうが、それがいつになるのかは、現状全く見えない状態である。
この国についての著作は、2014年に、中尾佐助という植物学者が書いた「秘境ブータン」という文庫本を読んでいる(別掲参照)。これは1958年に、5か月にわたり高山植物研究でこの国に滞在した著者(日本人としては、彼が初めてのこの国への訪問者であった)が、翌年1959年に出版した著作(最後に1981年に追加された小文があり、そこではインドからブータンに通じる新しい自動車道の話が挿入されている)で、それこそ「最後の秘境」と言われたこの国に、当時唯一のルートであるインドからの険しい山岳道を経て入国する冒頭から、既に大変な冒険談として読むことになった。しかし、同時に、そこで描かれているのは、恐らく現在のこの国の姿とは大きく異なる姿であった。この新書では、それに比べると、比較的新しいこの国の姿を知ることができるが、それでも約14年前の作品である。
主たる内容は、山岳地帯で、他国から物理的に隔離された環境の中で、固有の自然と仏教文化に基づく慣習を維持しながら、それでも忍び寄る「近代」との共存を図るこの国の姿である。特に、著者の滞在時の国王であり、2006年に51歳で退位した第4代国王ジクメ・シンゲ・ワンチュクの治世と彼の功績を中心に綴られている。この国王は1955年生まれであるので、私とほぼ同年代で、1972年に、第3代国王の急逝により、わずか16歳で戴冠したが、その時代は、彼が提唱した「国民総幸福」理念などで、世界的にも注目されることになる。彼を引継いだ現国王、ジクメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク(当時26歳)は、その王妃と共に、2011年11月、震災後初の国賓として来日した際に話題となったことは、私の記憶に残っているが、その後あまりこの国に関するニュースはないまま、現在に至っている。
1975年、著者がブータンとの関係を初めて持った大僧正一行のパリ訪問と、それに際し、同行したブータン国立図書館長のお世話係として世話をしたことから話が始まる。この図書館長は、パリに来てもホテルの部屋に籠り読書三昧の時間を送り、食事の手配等で気を遣うことになるが、それでも彼の博識や、仏教学習に対する真摯さと崇高さに著者は感銘することになる。
チベット仏教研究のため、彼の帰国後、著者は、彼を頼りこの国の訪問を計画するが、この時代の「鎖国」のため、大変苦労することになる。当時の入国は、一日100ドルを払う「来賓」待遇の旅行を除くと、一般の入国はインドからの陸路のみで、それも、@ブータンからの入国許可、A一日だけ有効な、国境指定地域を通過するためのインド側の許可、そしてBそれに合わせたインドから国境地帯行きの列車の手配と、そこへのブータン側からの車の迎え、を全て揃えなければならない、というものであった。それを、インド滞在のヴィザ期限の3か月以内に行わなければならず、著者の最初の試みは失敗したが、1978年に、それがついに叶い、著者はブータンへの入国を果たすことになる。この辺りは、1958年の、中尾の訪問時に比べれば改善していたのだろうが、それでもたいへんな冒険談である。もちろんネット上のこの国への旅行紹介を見ると、それは現在では更に効率化されているようである。
その訪問が契機となり、著者はその国立図書館長の依頼で、図書館の近代化という任務を受け、約10年に渡りこの国に滞在することになる。以降は、その時代に体験した報告に移ることになる。まずは、その図書館の「近代化」という著者の任務での多くの困難とその克服などが語られる。多くの寺院や僧院に収容されている経典は、そこにある仏像や仏画と同様「生きた信仰」の対象であり、そもそも図書館の蔵書として収集することが難しい上、僅かに収納されている仏典等の目録も全く整備されていない。後者については、独特のチベット文字(ゾンカ語)がコンピューターでサポートされていないことから、それを可能とする言語ソフトの整備から行わなければならなかったという。学者として研究対象とするそうした素材と、それを信仰対象とするブータン人の姿勢の格差を埋めていくことが、著者の10年に渡る図書館整備の課題となったことが語られる。またそれとは別に、仏画をデザインした切手が、実際に使用された際に消印を押されることが仏画への冒涜と考えられ、国内での使用が禁止されたことや、仏像や仏画を使用した絵葉書は長い間認められなかったというのも、この国の信仰心を示しているとされる。
著者は、この国の「近代化」について、著者滞在時の指導者であった第4代国王の人柄を紹介しつつ、説明している。高山地帯で、周辺国から隔離された小国であることから、「国際関係」にはほとんど配慮することなく独自の国作りを進めることができるのが、この国の特徴であった。著者が報告しているこの国の特徴ある政策の幾つかを備忘録的にピックアップすると以下のとおりである。
(登山禁止令)
1980年代初めに、この国の7000メートル級の山々の登山が解禁され、外貨収入の増加も期待された。しかし、外国登山隊に必要なシェルパ不足から、農民が農作業を放置して従事せざるを得ないことになり、農民からの苦情もありそれが禁止され、実質的に登山隊の受入れは困難になったという。伝統的に、こうした山々は神聖な神々の座であったという民衆信仰も配慮された。その結果、この国の7000メートル級の山々は、この本の出版時点では「未踏処女峰」となっているという。その後どうなっているかは、まだ調べられていない。
(観光政策での僧院・寺院への立ち入りや仏像・仏画の写真撮影)
同じ時期、外貨収入のため観光業の推進が議論されたが、外国人観光客は、「僧侶が居住せず、法要などがほとんど行われない寺院」の境内に入ることのみが許され、その場合も「堂内に入ることは許されず」、また指針撮影も建物の外観とお祭りのみ、ということになった。
(森林を中心とした自然環境保護)
「森林の割合が60%を下回らないこと、環境を劣化させ、野生の動植物の生態を脅かす工業・商業活動の禁止」を定める法が制定されている。道路網の整備も細かい配慮が払われ、例えば国王が時折徒歩で礼拝に訪れるお堂への自動車道を整備しようという計画も、国王自身が止めたという。また隔絶された地域への道路の整備も、国王自身が環境に配慮して決定を主導し、整備されないという決定が行われた場合には、「その地域が教育、医療、通信等を始めとする生活のいかなる分野でも他地域に比較して不利になることのないよう」な配慮がされているという。またこの国は水資源が豊富なことから、水量発電には力を入れているが、日本のような「多目的ダム式」ではなく、「建設費が少なく、寿命が長く、環境破壊も少ない」「流れ込み式」で建設されているという。
(上からの民主化)
1907年の独立後、この国は「国王親政による絶対王政」であったが、まず第二次大戦後、第三代国王の下で、国会の設立(1953年)や奴隷制の廃止(1956年)といった改革が進められる。そして1968年には、同じ国王が、それまで認められていた「国会の決議に対する国王の拒否権」を放棄すると共に、翌1969年には自ら「国王不信任案」を提示し、国会での長い審議を経て承認されたという。そして続く第四代国王は、1998年、自らが議長を兼ねる閣僚会議を解散し、議会制民主主義に移行すると共に、そこで選ばれた6人の大臣により構成される新たな閣僚会議が責任を負う形への変更を提案することになる。これについては、国民の間からは多くの反対意見が聞かれたが、国王の決意は固く、それに基づく新憲法が議論されている2004年、突如退位を表明するまでになった。この新書ではまだ憶測に留まっているが、この憲法は、現在の第五代国王の下、2008年に初めての成文憲法として制定され、名実ともに「立憲君主国」となったことがネットでは記されている。
(国際関係上の問題)
1980年代に、ネパール国境のある南ブータンにおけるネパール人移民と彼らへの対応の結果発生した「難民」問題が国連で議論になり、その後もネパールとの協議は続いている。またインド国境地域では、アッサム分離派ゲリラがブータン内の密林に拠点を設け、それを放置することへのインドからの圧力を受けて、ブータン軍が一旦は武力的に制圧したという話も記載されている。ただこのゲリラは依然インド国内で活動を続けており、再びブータン内に入り込む危険は残っているようである。その他、インドとの「不平等条約」の改正経緯なども報告されている。
(国民総幸福)
1976年のこの宣言は、ブータンを世界に知らしめるきっかけになったが、これは決して体系化された理論ではなく、「日常生活を送る上での、平易な、それでいて深い叡智の裏づけのある心得である」というのが著者の見解である。これはいろいろな議論ができるテーマであろうが、ネットでの解説によると、これを参考に2012年から発表されている国連による世界各国の「幸福度」ランキングでは、ブータンは当初はスカンジナビア諸国などと並ぶ世界8位と上位にいたが、その後はランクを下げて2010年代後半にはランク外になっているというのが現実である。その評価が下がった理由について、ネットでは、「評価者が参考にするそれぞれの国の情報が増えたため」としているが、具体的に、この国のどのような情報がそうした評価の低下に繋がったかは説明していない。
ということで、この国のあり方は、現代の先進諸国にとってもそれなりに参考になるものであるが、他方でやはりそれはこの国の特殊性から来ている姿であることは言うまでもない。しかしそれでも、この新書は、コロナ禍で国から動けない不満が高まる中、これが収まった後のこの国を訪問することへの願望を再起させるものとなった。もちろん、それは、著者が思い入れを込めて綴っているような理想郷ということではなく、ヒマラヤ山系の小国に対するある種のエキゾチズムに惹かれての期待に過ぎないのかもしれない。それを十分理解しつつも、いつかこの願望が実現されることを願ってやまない。
読了:2022年3月3日