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日本と台湾 なぜ、両国は運命共同体なのか
著者:加瀬 英明 
 1936年生まれの外交評論家による、2013年9月出版の台湾論。この著者は、1977年より福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めた他、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役等を歴任しており、私もどこかで名前は聞いた覚えはあるが、著作を読むのは初めてである。典型的な保守派による反中国・親台湾の議論が続き、ややうんざりするところはあるが、確かに正論と思われる部分もあり、特にこの出版時点よりも中国の脅威が高まっている現在は、無視できない論点も多い。もちろん情勢次第で立場が揺れ動く、というのは節操ないが、それはそれで現実政治の中では避けることのできない判断である。

 著者は、台湾が、中国から独立した歴史を持ち、日清戦争以降の日本の統治下でインフラ整備を含めた恩恵を受けた(それがこの地域―取り敢えず、ここでは「国」と言わず「地域」と言わせてもらうーの親日感情の源泉となっている)ものの、戦後、蒋介石率いる国民党が大陸から逃げ込み、彼ら外省人による恐怖政治(特に1946年2月に発生した大量虐殺「2・28事件」)を行ったという、誰でも知っている歴史を強調し、そしてそこから内省人主導で民主化したこの国が、今や日本との「運命共同体」となっていることを累々と説明している。ここではそうした良く知られているこの地域及びその日本を含めた国際関係で、私が新鮮に感じた事項を中心に記載しておく。

 まずこの地域と中国との関係であるが、台湾と大陸との関りが始まったのは17世紀になってから、ということを確認しておこう。具体的には、1644年、明朝が清朝により倒された後、鄭成功が「反清復明」を掲げてここに上陸した1661年が、その始まりと言われている。またそれ以前の1624年、明朝が澎湖諸島を巡ってオランダともめた際に、明朝は「台湾は領土でないので、オランダに台湾に移るよう提案」し、オランダがそこを占拠したという事実もある。そして時代は下り、1871年、宮古島の漁民が漂流し台湾南部に漂着した後に先住民に殺害された(牡丹社事件)際、清朝は、そこが「化外(統治が及ばない)地」であるので、日本が勝手に報復しろ、と回答したという。しかしその直後に日清間の交渉で、両国間で交渉が行われ、「清が琉球の日本帰属を認めるのと引きかえに、台湾が清に帰属することを認め、清が牡丹社事件について、日本に50万両の賠償金を支払う。」そして、その約20年後には、清は日清戦争に敗れ、台湾を日本に割譲する。即ち、大陸が台湾を実質的に統治したのは、歴史的にはこの間の20年だけであったというのが著者の主張である。そして1971年以降に行われた、日米の中国との国交回復により、台湾の現在の不安定な地位がもたらされることになったことは言うまでもない。

 この過程を著者は詳述しているが、端的に言うと、1971年のキッシンジャーによる米中国交回復が公になったところで、日本の動きが先行し、1972年の田中内閣での日中国交回復が行われた。しかし、この国交回復が米中国交回復よりも先行し、且つそこで日本が台湾と断交したことが問題の核心である。著者は、日本が中国に配慮した台湾に対するその扱いを「ジャパン・フォーミュラ」と呼んでいるが、結局7年遅れて、カーター政権で国交回復を行った米国の場合は、台湾と断交はしたものの、同時に連邦議会で台湾関係法(T RA)を制定し、「(米国の)政権に台湾を防衛することを義務づけた」という。言わば、米国は「二つの中国」を公認したのに対し、日本は、台湾との関係はあくまで「民間交流」に留まることになったのである。この辺りは、確かに、特段の必要もないのに、日本が焦って大きく中国に譲歩した台湾政策を取ってしまった、という著者の主張を認めざるを得ないところである。そしてその状態が現在まで続くが、経済発展により中国の民主化が進む、という日米、あるいは西欧諸国の期待は実現せず、経済力を高めた中国は益々権威主義化と覇権主義的な外交政策が強まることになり現在に至っていることは言うまでもない。他方、台湾は、蒋介石独裁政権時代は、前述した「2・28事件」を筆頭にした外省人による内省人の弾圧が続きー1970年のキリスト教徒で反蒋介石派の彭明敏の亡命劇と、その際の日本の在外公館による親中国的な動きは初めて知ったー、また政権内の腐敗も進んだが、蒋経国政権末期から民主化が開始され、内省人である李登輝政権以降は、日本支配時代の台湾発展に寄与した日本人の再評価と併せて、日本に対する親近感と期待が高まることになるのである。

 この著作の出版時点では、台湾は国民党の馬英九政権が、経済界の意向を受けた親中国寄りの政策を進めており、それに対し著者は懸念を表明すると共に、日本が、国際機関への復帰を含めた台湾との協力関係を進めるべきとしてこの本を結んでいる。そして繰り返しになるが、ウクライナへのロシア侵攻や、習近平独裁強化とその覇権主義的な外交政策が益々強まる中、日本にとっても台湾との連携は、ただ米国に任せておけば済むものではなくなっている。もちろん、経済を人質にとる中国への配慮は欠かせないとしても、時代は、明らかに対中国・台湾戦略を見直す時期になっている。現在90歳近くなっている著者が、こうした展開をどう見ているかは興味深いところである。因みに、彼のブログを除いてみると、この7月にも、終戦時の昭和天皇の決断までを追いかけた作品などを出版しているので、相変わらず執筆活動は続けているようであるが、台湾問題についてのコメントは、直ぐには見つけられなかった。

読了:2022年10月12日

(追記)

 著者は、2022年11月、85歳で逝去した。