韓国併合への道 完全版
著者:呉 善花
1956年韓国生まれの女性研究者による、19世紀末以降、韓国併合までの歴史過程を詳述した2012年出版の新書である。基本的には、以前に読んだ「日本統治下の朝鮮」や「韓国併合」といった著作に見られた「日本統治下の朝鮮は、単に収奪だけがあった訳ではなく、朝鮮の近代化や産業基盤の育成に貢献した」という議論を前面に出している。しかし、前2作にここでは、日本による韓国併合の過程は、当時の李朝による政権運営の失敗が主因であるという議論が加わることになる。これが韓国人自身によるものであることもあり、おそらく著者は韓国側からは大きな批判に晒されたと想像される。その結果であろう、1984年に来日し、1994年から執筆活動を始めた著者は、その後日本に帰化している。
内容的には、前2作と同様、1910年の日本による韓国併合迄の過程を追いかけた作品であるが、新しい視点ということで言うと上記のとおり、この併合が、韓国の近代化を巡る過程として描いていることで、特に韓国の支配者である李朝が、頑固に旧来の清国への朝貢体制に固執し、近代化を拒んだのに対し、日本は韓国の開国と近代化を意図してその対朝鮮政策を進めたとしている点である。それが特に示されているのは、第四章以下で詳細に語られる金玉均ら青年官僚らにより試みられた改革運動が挫折し、最後はクーデターの失敗により関係者が失脚していく過程である。
金玉均は、若い時代から秀才であり、将来を嘱望されていたが、日本を何度か訪問し、その近代化と富国強兵策を目撃する中から、日本の陸軍戸山学校への留学生なども含めた同志を募り独立党を結成するなどして、朝鮮もそうした方向を取ることを目指すことになる。日本視察時に福沢諭吉等の薫陶を受けた彼らは、国王高宗に代わって実権を握っていた閔妃一派とその取り巻きによる腐敗を糾弾すると共に、日本の支持も得ながら、清国の属国の地位から独立した朝鮮とその近代化を目指すが、当然ながら、それは守旧派からの反発を招くことになる。そして1884年12月、国王高宗や日本の支持を確信した金玉均らはクーデターに打って出ることになる(甲申クーデター)が、最終的に袁世凱率いる清国軍により打ち負かされる。日本も結局軍を動かすことはなく、独立党への支持は時の公使の独断と公表される。金玉均ら一部の指導者は日本船で日本に亡命するが、多くの同志が虐殺あるいは処刑され、このクーデターは失敗するのである(金玉均も、その後1894年、上海に滞在している際に李朝が差し向けた刺客により暗殺されることになる)。そしてこの事件の事後処理は、日本側伊藤博文、清国側李鴻章の交渉を経て、真相究明が行われることなく、日清間での「玉虫色」の天津条約をもって終了することになるのである。これにより開明派による朝鮮の近代化は大きく後退することになる。
その後、朝鮮を巡る日清の覇権争い、そしてロシアもこの地域への影響力拡大を目指す南下政策により、朝鮮を巡る3か国の緊張が高まり、1894年の農民による武装隆起を契機に日清戦争が勃発。戦争は日本の勝利に終わるが、三国干渉等により日本の覇権も制約を受ける。ただ著者は、戦争終結時の日清間の下関条約により、「中国と朝鮮の宗属関係が破棄」され、朝鮮を「独立自主の国」とし、旧来の「貢献典礼」を廃止すると宣言されたことは、「朝鮮半島の歴史にとって一大画期をなすできごとであった」と評価している。また朝鮮では新たな挙国一致内閣により、金玉均等が目指したのと同様の政治・経済・社会体制の改革案が試みられた(第二次甲午改革)が、これも国王、閔妃、大院君各派からの反発を受け、実を結ぶことなく終わる。歴史に「もし」はないが、著者は、この時期、三国干渉等で日本の覇権も制約されていたことから、もしこの改革が行われていたら、朝鮮は、「日本もロシアも容易に進出することのできない近代国家に変身できていた」としている。もちろんそんな単純なものではなかったとしても、著者が、その後の日本による併合は、朝鮮自身が近代国家に向けての改革ができなかったことが主因であると考えていることを示唆している。
その後は、まず日本が軍主導で、1895年に閔妃を殺害し、大院君を傀儡として擁立しようとする事件を起こすが、翌1896年には親ロシア派がクーデターでその政権を倒すという形で、朝鮮での日ロ対立が激化。そして1904年の日露戦争を経て、朝鮮は「中立宣言」を行っていたものの、戦後は日本の「保護国」となっていくのである。1907年には、日本の主導で韓国軍隊の解散命令が出され、それを契機に全国各地で「徹底した抗日ゲリラ戦」が繰り広げられるが、それらは数では圧倒的に少数の日本軍により、ことごとく鎮圧される。「訓練された近代装備の軍と、不十分な装備で農民を含む民間戦闘集団の違い」以上に、朝鮮側では知識人も加えた「挙国一致で力を合わせた民族独立運動を組織できなかった」ことが、最大の要因というのが著者の基本的な認識である。
同時に、当時の朝鮮には、「積極的に日本との同盟関係を強化し、さらには日韓合邦を推進していこうとする大衆運動(李容九による「一進会」運動)」も存在したという。第二次大戦後の韓国では、こうした運動は、「まったく大衆的な支持を持たない『欺瞞的な売国行為』」という評価になっているが、著者は、それは自力で近代国家を建設する力のない国が、現下の国内・国際情勢を踏まえて近代化に向かい、ひいては独立を達成するために、日本による「併合」ではなく、「合邦」という形で、保護国の忌引きを打ち破ろうという現実的な発想であったとしている。その時点では「李朝―韓国に独立の可能性は全くなかった。そこで登場したのが一進会で、彼らは国家への絶望から出発し、民族の尊厳の確保を目指して日韓合邦運動に挺身した。その結果は日本による韓国の併合であった」ということになる。こうした著者の議論は、現在でも間違いなく韓国内では異端扱いされていると思われるが、歴史認識としては冷静に評価しても良いと思われる。因みに金玉均は、最近では「日本の侵略を助けた親日派なのではなく、日本の裏切りによって政治改革を挫折させられた、朝鮮で初めて近代的な改革を推進した人物」として一定の評価が行われているという。
韓国併合に至る最後の過程は、今まで読んだ著作で多く語られているので、ここでは繰り返さない。また著者は、「日本統治は悪だったのか」と題した章で、その時期の日本による朝鮮の近代化、産業化等が、英国やオランダ等が原材料調達地として植民地を収奪したのとは異なり、それなりのインフラ整備と共に朝鮮のその後の発展の基盤を築いたとしているが、これも多くのところで語られてきた議論である。そして最後に、現代韓国の反日政策と従軍慰安婦問題等、日韓の懸案についての見解で本書を締めくくることになる。ここでは1997年の韓国通貨危機以降、「(日本に責任を押し付けるのではない)韓国人自身による過去の清算」の議論も増えてきたとされるが、やはり国内政治が隘路に陥ると反日に頼ろうとする政権が後を絶たないことになる。また「親日反民族的行為」を規制する法律や、それにより摘発された例と、それを擁護する著者のような議論を主張した人物を社会的に葬った例が紹介されている。従軍慰安婦問題も、こうした現代韓国の構造的な問題が引き起こした現象であることが理解される。
ということで、繰り返しになるが、恐らく著者の韓国での評価は依然厳しいものであることは容易に想像される。もちろん、一方的にそうした韓国の政権の体質を現在の極めて冷え込んだ日韓関係の責任とする必要はないが、非常に論理的且つ冷静に韓国現代史の問題を説明する著者の議論は、韓国人自身によるものだけに非常に説得力がある。刺激的な韓国現代史であった。
読了:2023年2月9日