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モンゴル帝国の興亡
著者:岡田 英弘 
 先日読んだ「中央アジア歴史群像」もそうであったが、こうしたアジアの辺境地域の研究を地道に進めている研究者がいるというのが最大の印象である。1931年生まれの著者による、2001年10月出版のモンゴル史であるが、著者には、その他中国、満州等の歴史・社会のみならず現代のアジア情勢についても多くの著作があるようである。

 モンゴルと言えば、もちろんチンギス・ハーンによる世界制覇が歴史のハイライトであるが、ここではそれに留まらないモンゴル民族の歴史とチンギス・ハーン以降の各地への影響も、各地に残る伝承なども豊富に引用しながら描くことになる。

 まずチンギス・ハーン以前の歴史であるが、モンゴルが初めて歴史に登場するのは6世紀の唐の時代であり、その頃モンゴル高原を支配していたトルコ人の帝国が、唐の太宗皇帝により滅ぼされた時からであるという。その後、このトルコ帝国が7世紀に唐に背き第二次トルコ帝国を建てた後、ウイグル人に滅ぼされたり、そのウイグル帝国はキルギス人に撃たれて四散したり、次はタタル人が侵入する等、遊牧民による支配の変遷が繰り広げられたという。まさにこの地域の主要民族が、この時代からこの地域を動きながら覇権を争っていたことが分かる。その中でも特にトルコ系がそれなりの勢力を持っていたというのは面白い。

 モンゴル部族が歴史に登場するのは11世紀になってからで、モンゴル高原を支配した遼帝国やペルシャの歴史書に、そこでの土着部族の生態が記載されているという。そして12世紀後半、テムジン・チンギス・ハーンが生まれてから(彼の生まれ年は諸説あるが、1155年か1162年というのが、現在の通説である。以降「テムジン」とする。)、この地域の歴史が具体的に描かれることになる。

 その後、モンゴル帝国が大帝国になった後に多くのテムジンに関する伝記が書かれることになり、以降はそうした資料に基づく記載になる。1194年のタタル人酋長ヘの攻撃からテムジンの進撃が始まり、1206年までにはモンゴル高原全体の支配を確立し、チンギス・ハーンという称号が与えられる。「チンギス」というのは、古代トルコ語の「勇敢」を意味する言葉のモンゴル訛りであるという。

 こうしてテムジンの西方への進出が始まる。2018年にはカザフスタン東部へ、1220年にはウズベキスタンのブハラやサマルカンドを落とした後、現在のアフガニスタンからイラクの一部を支配していたホラズム帝国を滅ぼすことになる。そしてテムジンは、1225年に一旦モンゴル高原に戻るが、別動隊がイラン、コーカサスを経て南ロシアまで遠征する。その成功の要因は、もちろん厳格な指揮命令系統等、軍事面での要因と、支配地域について、抵抗する相手は残虐に皆殺しにするが、恭順を示す先は寛大に処遇したことがあったという。テムジンは1227年に死ぬが、彼は広大な遊牧帝国を残し、テムジンを次いだオゴダイ・ハーン等のもとで、更に1236年にはヨーロッパ遠征に突き進む。また4代のハーンとなったフビライは、1271年に中国を統一し元朝を打ち立てる。その直後の1274年と1281年の2回の元寇を企てたことは言うまでもない。日本は征服されなかったが、フビライのもとでチベットやベトナム北部も元の支配地域に入るが、この頃から西方では帝国の分裂なども起き始めることになる。

 以降、元朝の支配様式や、その崩壊過程、あるいは西方の支配地域の動きから、現代のモンゴル独立に至る歴史などが、ハーンの家系分析や地域伝承なども引用されながら詳細に語られているが、そのあたりは省略する。ただ、この大遊牧帝国が、その後の世界史に大きな影響を与えたことは確かである。著者は、「モンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を統一したことによって、それまでに存在したあらゆる政権が一度ご破算となり、あらためてモンゴル帝国から新しい国々が分かれ」、「それらがもとになって現代のアジアや東ヨーロッパ諸国が生まれた」としているが、インドを支配したチムール帝国やムガール帝国、そしてビザンチンを滅ぼしウィーンを包囲したオスマン・トルコも、こうしたモンゴル系の支配勢力の中から生まれてきたというのも、今回改めて認識することになった。更には、ロシア地域を支配したモスクワ公国大公の内、イヴァン4世は、母方がハーンの血をひいていたとか、1613年にロマノフ朝が成立した際、支配層の中には多くのモンゴル系の貴族がいた、というのも面白い。また中国では1368年元朝がモンゴル高原に退却し、漢民族による明朝が成立するが、その政治制度は唐・時代と異なるモンゴル式であり、また儒教も元朝が初めて公式に認めたものであったという。著者は、以降の中国は「モンゴル化」したとしているが、これは現代の中国人は認めたくない指摘であろう。いずれにしろ、「(モンゴル帝国の)影響は21世紀初めの今日、意識するとせざるとにかかわらず、世界のあらゆる部分に歴然と残っている。実にモンゴルは、世界を創ったのである」と著者は本書を結ぶことになる。

 確かに、モンゴルが、一旦ユーラシア大陸全体を支配し、そこから改めて地域ごとの政権が生まれた、というのは重要な指摘である。モンゴル帝国の歴史的な意義がそこにあったことは間違いない。ただその影響が個々の地域に残されているかと言えば、やや疑問も残る。夫々の地域は、確かにいったんモンゴルの支配下に入ったものの、その後夫々の社会的・文化的伝統のもとに独自の支配形式を確立していったと考える方が自然で、それらを無理やり全てモンゴル様式に結びつける必要はない。また家系的なモンゴルとの繋がりも、例えば近代の欧州支配層の家系が、政略結婚を経由して夫々何らかの家系的繋がりを持っている(例えば現在の英国ウインザー王朝が、ドイツ・ハノーヴァー朝を起源としていること等)のと同じである。その意味で壮大なモンゴル帝国も、その他の大帝国と同様、歴史過程での一時の夢であったと考えた方が良いのだろう。しかし、それでも壮大な夢であったあったことは間違いない。この地域の現在を再認識する上で、多くの刺激を与えてくれる著作であった。

読了:2023年2月25日