アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
アジア読書日記
その他アジア
ルポ 絶望の韓国
著者:牧野 愛博 
 1965年生まれの朝日新聞ソウル支局長(当時)による2017年5月出版の韓国レポートである。時期は朴槿恵政権の末期で、この年の1月、彼女が「1987年の韓国民主化後、初めて韓国大統領が罷免された」事件と、それに続く次期大統領選挙を巡る(元国連事務総長である)潘基文(パン・ギムン)や文在寅らの候補者の動向で始まり、それまでの韓国の情勢が、政治、歴史、経済、教育、社会、軍事、外交といったカテゴリー毎に報告されることになる。時期的なトピックは、その後文在寅政権から、今回の尹錫悦大統領と、二代の政権が成立しており、日韓関係も大きく変わってきているので、最早古さを感じざるを得ないが、一般的な分析は今読んでも納得できる部分が多い。そんなことで、ここではそうした現在でも参考になる部分を中心に整理しておくことにする。

 政治に関しては、韓国の政党が、指導者が代わる度に「看板の掛け替え続けてきた」、「もっとも長く続いた政党でも、朴正煕政権時代の与党、民主共和党(1963年〜1980年)の17年に過ぎない。(現在の与党である)セヌリ党の前身、ハンナラ党もわずか15年しか持たなかった」という指摘が印象的である。(これは日本も同じであるが)野党も、選挙の都度名前が変わり、また分裂し新しい政党が生まれてきた。私の頭の中で、韓国の政党名が全く残っていないのも、こうした状況の結果であろう。「朝鮮人は3人集まれば、4つの政党をつくる」というスターリンの言葉が面白い。その他、朴槿恵弾劾の直接の契機となった2016年秋に発生した「チェ・スンシル事件」の詳細などが説明されているが、最早過去のスキャンダルなので、省略する。

 歴史では、この時期急速に悪化していた日韓関係を中心に、2016年12月の釜山市日本領事館前に設置された慰安婦像を巡る経緯などが説明されるが、ここでは「韓日外交はすなわち韓国の国内政治の問題なのです」という元韓国外交官の指摘だけおさえておけば十分だろう。しかし、最近の徴用工問題でも示されているが、中央政府の意向と裁判所による司法判断の相違が、国内世論への配慮だけの問題なのかどうかは疑問とせざるを得ない。

 経済では、2017年当時悪化していた韓国の経済情勢、就中かつては栄華を誇った造船不況や、それも関連した財閥再編、そして前述の「チェ・スンシル事件」に巻き込まれたサムソン財閥の実質トップや、横領・背任で逮捕されたロッテグループの経営者による「獄中経営」、あるいは「多産多死」の中小企業業界の実情等が報告される。前者の財閥への攻撃も、経済格差が拡大する韓国の経済事情が影を落としていることは間違いない。

 受験競争が激化する韓国の教育事情は頻繁に報道されているが、「チェ・スンシル事件」も、これを政治家との関係で歪めたという庶民の怒りの産物であったこともその通りであろう。そうした熾烈な競争がスポーツ業界や芸能界でも繰り広げられ、それに関連したスキャンダルが多いのも韓国社会の特徴である。

 社会では、「地縁、血縁、人脈」が支配する姿が描かれる。これはどの国でも同じであるが、特に韓国では著しいというのは一般的な見方であろう。大学(ソウル大、高麗大、延世大)、地域(湖南―韓国南西部の全羅道地域)、そして「海兵隊(戦友会)」が特に結束が強い「縁故」として、その数々の例が紹介されている。また繰り返し言及される「チェ・スンシル事件」も、大統領との個人的縁故が大きな特権をもたらし、それ故に世論から激しい批判を浴びた例として取り上げられている。また2016年12月に、公務員や記者らへの食事接待などを制限する新法が適用された事例が紹介されているが、こうした「接待」文化とそれの規制といった流れも、韓国だけの話ではない。

 軍事では、この時期にも繰り返し行われていた北朝鮮のミサイル発射等を念頭においた「韓国(固有)型ミサイル防衛システム」による対抗戦術が策定されているが、実態は米国のミサイル防衛システムに依存している様子が描かれる。そして、その体制への不安から「独自の抑止力」を求めるための「核武装論」も、核被害国である日本などよりも強く存在しており、当然ながらアメリカは、台湾や日本などへの「核ドミノ現象」の恐れから、これをたいへん懸念しているという。実際、北朝鮮の様々な工作と、それを防御できなかった例も枚挙にいとまがない。

 面白いのは、そうした中で韓国が一時期、イスラエルの「アイアンドーム」という軍事防衛システムの研究を進めていたとされる例。これは2012年のイスラエル軍とハマスの戦闘で、「ハマスが発射したロケット弾約500発の八割以上を撃墜した」という。しかし、今回のハマスの突然の攻撃で、このイスラエルの防衛システムが十分機能しなかったことが示されることになった。この韓国の計画は結局お蔵入りしたということであるが、結果的には正解であったということであろう。また日本との関係では、この時期から「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」が協議されていたことが報告されているが、これもその後の日韓関係の軋轢で一時停止され、最近復活する等二転三転したことも記憶に新しい。

 そして最後は外交。ここでは2017年3月、米国による「高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)」の韓国配備に際して、この基地のための土地を提供したロッテグループに対して中国が国内店舗の営業停止などの報復を行った事件から始まる。そしてこれに象徴されるように、韓国の外交は、米国と中国の狭間で翻弄されてきたことー特に中国ににじり寄っては裏切られる歴史―が説明される。特に朴槿恵が、日本の朝鮮支配への非難などで習近平との個人的な関係を強め、「韓国外交の勝利」と喜んでいたにも関わらず、その中で韓国が中国に抑制を働きかけることを期待していた北朝鮮の核実験が行われたり、前述のTHAADを巡る報復措置が取られたことで、この親中姿勢が無駄になった例などが示される。そしてこの本の出版時点では、「2017年5月9日の選挙で韓国に新政権が誕生すれば、その状況は更に混迷に向かう(だろう)」というコメントで締め括られることになる。そして実際、その後の文在寅政権から、今回の尹錫悦政権まで、北朝鮮対応を含めた米中関係についての韓国の外交方針は迷走することになったことは言うまでもない。そしてそれは今後も政権が代わる度に繰り返されていくであろうことは容易に想像される。

 ということで、出版後5−6年を経ているこの新書であるが、韓国という国が持っている本質的な課題の数々をそれなりに説得力ある形で示している。また大新聞の記者として築いた人脈や取材を通してそれを示していく筆力も中々である。現在の相対的に安定した日韓関係について、楽観論にも悲観論にも偏らない形で、今後も追いかけていく上での参考にできる著作であった。

読了:2023年12月17日