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台湾有事
著者:清水 克彦 
 1962年生まれで、ラジオ局文化放送での記者を務めた政治・教育評論家による台湾問題及び日本の有事対応などについての評論で、2021年10月の出版である。時期的には、米国がトランプ政権からバイデン政権に変わり、日本では岸田政権に移行した時期の出版である。途中のコラムで、著者自身がやや自虐的に書いている通り、記者数が限られているラジオ局では、記者は「スペシャリスト」ではない、「オールラウンダー」とならざるを得ない。そんなこともあり、ここでの台湾問題から米中関係、日本の軍事力整備等を網羅する議論は、確かに幅広い課題を事実についてはきちんと整理して的確に押さえているが、他方で余り新鮮な情報はない。その意味で、こうした問題についての「オールラウンダー」としての著者の評価と展望をどう見るか、というのがこの本を読み方となる。

 著者は、中国による台湾進攻は、習近平の第三次政権が終了する2027年10月までに十分あり得ると見る。それは現在私と同じ年齢の習近平が常に主張する、「中華民族の偉大なる復興」の核心にある台湾統一を行うには、あと数年が体力的な限界であると共に、第四次政権の保証がないこともあり、この数年で実行することになるだろうという予測である。今後の中国の節目を見ると、2027年に中国軍(人民解放軍)建軍100周年、2049年に中華人民共和国100周年を控えているが、2049年には習近平は96歳になることを考えると、2027年までが、実際に行動を起こす時期になるというのである。習近平が政敵を排除した「個人独裁」を強めていること(これが一章を割いて説明されている)、アジア太平洋地域に限れば、中国軍の戦力が米国などを上回る水準に至っていること、そしてそれらを受けて、米国軍関係者からも早い時期の中国による台湾進攻を予想する声が上がっていること等が挙げられる。

 ただ、当然ながら侵攻があるとしても、それは単純な武力行使ではない、経済的圧力、各種サイバー戦を含めた「ハイブリッド」な形を取るのは明らかで、それに向けて着々と準備を整えているとする。そして、良く言われるような実際の侵攻時のシミュレーションなども紹介している。やはりロシアによるクリミア併合や、この本の出版時はまだ始まっていなかったその後のロシアによるウクライナ侵攻の展開、そしてそれに対する欧米の対応を慎重に検討していることも間違いない。

 他方で、2020年1月、民進党の蔡英文の圧勝や、この本の出版以降であるが、その後今年の総統選挙でも蔡英文の後継である頼清徳が勝利したのは習近平にとっては誤算であり、侵攻が簡単ではなくなったという見方もある。著者は、蔡英文が「不屈の意思」をもって中国の侵攻を阻止しようとしている様子を、一章を割いて説明している。彼女は、中国によるパイナップル禁輸などの経済制裁を受けながらも、香港での「一国二制度」の骨抜きなどの追い風を受け、「台湾アイデンティティ」の強化と半導体産業などの経済基盤整備を進めてきた。もちろん中国を刺激する「独立」といった言葉は発しないし、彼女よりもより「独立志向」が強いと言われる頼清徳も、少なくとも総統就任後、現在までは注意して行動している。

 また著者によると、米国も「中国について甘かった」オバマ政権後、トランプになり、中国への経済戦争を仕掛けるなどの強硬路線に転換。そしてバイデンも、その点では予想に反してトランプの対中強硬路線を引継いでいることー但し「気候変動問題」への対応などで中国の協力も必要なので、その面では中国を「競争相手」とするなど、「敵視」する姿勢は弱めているとするーを説明している。この辺り、「トランプは衝動的な政策が顕著であったが、対中国政策では誤っていなかった」、そして「バイデンが、オバマ政権よりはまし」という著者の見方はその通りなのであろう。もちろん引続き米国は、新疆ウイグルや香港での人権問題に加え、経済的な軋轢を抱えながら中国に対峙していかざるを得ないし、ウクライナ支援やその後新たに勃発したイスラエル・ハマスの戦争等、常に状況は流動的であることから、中国への対応は簡単ではない。そして極め付きは、今年11月の米国大統領選挙での「もしトラ」懸念であるが、そのシミュレーションを考えるのは、この本の範囲を越えた新しい展開である。

 ただ著者が繰り返し主張しているように、米中の対立が長期化し、経済や人権分野のみならず、偶発的な軍事衝突のリスクも常に抱える状況が続くであろうことは常識的な見解であろう。習近平が台湾統一を諦めることはないだろうし、米国の政権が変わろうと、議会を中心とした対中強硬姿勢も変化することはなない。ただトランプの場合は、欧州との関係悪化が最大の懸念であり、他方バイデンの場合は、気候変動等での対中協力にどこまで配慮するか、そしてウクライナや中東での戦争がどのような影響を及ぼすかには引続き注意を払っていかなければならないだろう。そして著者の最後の議論は、そうした台湾有事が実際に発生し、また尖閣や在日米軍基地への具体的な脅威が顕在化した際にどこまで現状の日本の法的枠組みで対応でき、そして実際の戦力や国民の反応がどうであるかということになる。安倍政権下で進んだ安全保障関係の法的整備や、自衛隊の南西諸島へのシフト等、それなりの対応は進められているが、憲法9条改定問題を含め、著者は、もっと具体的な対応を可能とするような体制と、有事の強力な指導力を期待してこの本を終えることになるが、前者については、私は個人的には護憲派の立場を取りたいと思う。それはやはり、様々な議論があった集団的自衛権の行使―例えば台湾で米軍が攻撃に晒された際は、日本も参戦を余儀なくされるーといった状況は、既に現行憲法内でも可能になっており、それ以上の先制攻撃や防衛範囲を越えた軍事活動を極力抑える制度的枠組みとして憲法9条は依然有効であると考えるからである。その意味で、著者の台湾有事への危機感は、もちろん頭の片隅には置いておくべきではあるが、私は現時点ではまだ共有することはできない。中国も現在は、国内の経済減速と米国による経済戦争への対応で、台湾進攻を進める余力はないし、習近平もそこまで馬鹿ではない、と考えるからである。

 そんなことで、特段新しい見方や事実が披露されている書籍ではなく、また著者の見方には全面的に賛同できるものではないが、他方でこの問題を巡る議論を改めて考える上ではよく整理された「オールラウンダー」記者の報告であった。

読了:2024年2月15日