韓国 超ネット社会の闇
著者:金 敬哲
2022年7月出版の新書。著者は韓国ソウル生まれで、上智大学新聞学科の修士を取得後、東京新聞のソウル支局記者等を経て、現在はフリーで活動している。韓国のネット社会の現状について、非常に分かり易い報告となっており、予想以上に面白く読むことができた。
ネット社会の浸透は、韓国のみならず日本を含めた世界中で進んでおり、それがもたらす功罪は、今やどこの国でも議論になっている。ただ確かに韓国でのこの動きは特に進んでおり、そこで起こっている事態は、遅かれ早かれ日本を含む他の地域でも同様の社会的な問題を引き起こし、更なる議論を呼ぶであろうと想像される。日本では、ここまでの事態には至っていないと思われるが、それでも私自身のような、ネット社会にある種の違和感を持っている人間は、常に頭には入れておく必要があろう。
著者はまずは、2022年3月の大統領選挙で、保守系のユン・ソンニョル(尹錫悦)が革新系のイ・ジェミョン(李在明)に勝利した際に、激しいネット戦が展開されたことから報告を始めている。もちろんそれ以前から韓国大統領選挙ではネットでの激しい攻防が繰り広げられてきたが、この時は折からのコロナ禍もあり、街頭での選挙運動が制約されたこともあり、一層激しいものとなったとされる。双方が自身のSNSのページを設定すると共に、夫々に趣向を凝らした情報を発信したが、それがある時には双方共に思わぬ批判を招いたといった例や、それ以前にもあったネットを介しての政治混乱の多くの例が紹介されている。しかし、この選挙では、選挙対策本部長に、ネットに習熟した29歳を指名し、20―30代の若者を惹きつけたことが奏功し、ユン・ソンニョルが勝利することになった。もちろんそれだけではないが、著者の面白い議論は、現代韓国でもっとも割を食っているのが若い男たちで、彼らの「アンチ・フェミニズム」が韓国のネット空間を支配しているというもので、これに訴えたことが大統領選挙でもネットを通じての若者支持獲得の大きな要因になったという。また所謂「レガシー・メディア」と呼ばれる大手新聞や放送の価値低下や、ネットでのフェイク情報拡散を含めた泥沼の非難合戦となる傾向等も、今後の日本でもより激しくなるであろうことが予想される。
こうした韓国の「IT化」の歴史が紹介されているが、それを政治的に進めたのは、朴正煕と金泳三であったというのが著者の主張である。前者は60年代からKIST等の科学研究機関の育成に努め、その中でも特に半導体や光ファイバーなどの技術に投資し、また後者は「超高速ネット」研究・整備などに注力したとされる。そして90年代末の韓国経済危機時に大統領となった金大中も、こうしたIT投資だけは続け、それ以降の大統領も同様の戦略をとったようである。それがその後、半導体分野でのサムソン電子等の台頭をもたらしたが、それが相続家の経営者の政治スキャンダル等で失速し、その後のコロナ禍でのオンライン・ショッピングへの移行などを経て、現在はむしろネイバーやカカアといったネットサービス企業に経済の中心が移っているというのも、明日の日本の姿を想起させる。そのオンライン・ショッピングも、アマゾンは韓国にはまだ上陸しておらず、「クーパン」という会社が韓国市場を席巻しているという。これは韓国が政治的にアマゾンを締め出した可能性もあるが、著者はそれについては触れていない。
K−ポップや韓国映画・ドラマなどの世界戦略でネットが駆使された様子も詳細に説明されているが、それは、私のような「ネット音痴」でも十分楽しめているし、ここで取り上げられているPSYやBTSは、私は全く興味がないので、あえてネットに拘る必要はないだろう。ただ韓国のこうしたコンテンツの世界販売戦略上は確かに有効だったのだろう。そしてこうした韓国のネット文化の中心で広がる「オンライン・コミュニティ」の数々。これらは、冒頭の政治活動に影響力を持つだけでなく、若者を中心とする庶民の不平・不満のはけ口になるという現象も、日本以上に顕著になっているようである。それが一方で、政治家や芸能人への誹謗中傷の温床となり、自殺者も多く出す事態を招いており、また老人たちや貧困層の「デジタル・デバイド」、あるいは既往中小商店の没落をもたらしている、というのも、日本の近未来を想像させる。他方、「鬼滅の刃」といった日本物コンテンツが、当局の日本文化規制にも関わらず、ネットベースで庶民の大きな支持をもたらしているという。この辺りはさすがに韓国も、中国のような露骨なネット規制は引くことができないので、今後の文化交流深厚の契機になる可能性も秘めていると言える。
韓国人の国民性が、こうしたネットへの親近感を属性としてもっていたのかどうか、というのは議論のあるところであろう。ただ一般的に言えば、国内市場が日本の半分で狭いことから、韓国は経済的にも日本以上に輸出に依存せざるを得ず、その際ネットというのは大きな戦略手段であったこと、そしてある意味韓国はそれを今まではうまく活用してきたことは間違いないだろう。ただここで取り上げられている多くの「闇」の部分にどう対応していけるかが、このネット社会の健全な成長の鍵である。日本のそれを含めて、今後の韓国ネット社会の展開には注意を払う必要があろう。そうした課題を分かり易く説明している著作であると共に、こうした「親日的」な韓国人情報発信者を増やしていくことが、今後の日韓関係の深厚に際しても重要であろう。
読了:2024年7月25日