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モンゴルを知るための65章
著者:金岡 秀郎 
 モンゴル旅行に備えた読書第二弾で、お馴染みの各国シリーズのモンゴル編である。著者は1958年生まれのモンゴル学者―特にインド・チベット文化のモンゴル的変容の研究が専門であるというーで、この著作は2000年4月初版、2014年1月に改訂されたものである。

 草原に根差した遊牧文化というお定まりの概要から始まり、それに起因する「思考・言語・宗教」、そして古代からの詳細な歴史と、幅広くこの国の特徴を記述しており、一部、特に言語に関する詳細な分析はほとんど読み飛ばすことになったが、それ以外はたいへん面白い。ただここでは今回の旅行に関連して留意しておく事項を中心に簡単に復習しておくことにする。

 まずは、「1990年の民主化運動と人民革命党(共産党)の一党独裁の放棄(午年の革命)以降、日本とモンゴルの関係は急速に緊密になった。今、アジアの中でもっとも親日的な国はモンゴルといっても過言ではない」という導入部のコメントが印象的である。民主化以前は「ノモンハン事件」等日本の「帝国主義的侵略」批判等が繰り返され、日本側にも捕虜の不法抑留問題などがあったが、自由主義モンゴルとなって以降は、「反中国・嫌シナ(著者は、「シナ」を中国文化圏という意味で使っている。以降私もそれに従う)感情」もあり、親日感が高まることになり、日本もODA等の経済援助を惜しまず続けているようである。他方で、革命後も、ソ連(ロシア)との関係は、「内モンゴル化」を避けられた理由として、それなりの評価を得ているという。やはり中国との歴史的な地政学的な軋轢が、この国の根底にあることは言うまでもない。

 そして定番の「遊牧文化」。「ウマやラクダに衣食住一切を積み、季節移動する」この遊牧生活は「シナとは政治的にも文化的にも全く別の領域」であった。その結果、この民族の地理的分布は拡散し、それが内モンゴルを始めとした周辺国との「国民国家的な問題」をもたらすことになる。気候的には「乾燥・寒冷」であるが、特に年間の気温差は約90度に及ぶというので、今回の9月初めの旅行での服装は注意が必要だろう。

 長城を巡るシナとの政治的・文化的軋轢の歴史が詳述されるがそれは省略する。次にこの国の牧畜業が環境要件に適応していたことが説明されるが、一方で政府は農業振興にもそれなりに力を入れているという。「農業は人類最初の環境破壊」という議論と併せて、今後の動きが注目されるところである。屠殺される家畜の選別や、その死骸に対する感覚などの文化的な相違等が紹介されている(西欧人にとっては日本の魚屋は「魚の死骸置き場」)が、基本的にはこうした乳製品を含めた家畜管理に牧草地の維持も加えた「循環・共生」経済が維持されているというのが、この国の大きな特徴であろう。もちろんそれは今後のこの国の経済発展との関係でどう維持・展開されるかは注意が必要だろう。

 続いて「ウラル・アルタイ語」系列のモンゴル語についての詳細な説明が続くが、正直ここはほとんど読み飛ばした。ただその後のモンゴル人の衛生観やお茶文化、あるいは不愛想な社交姿勢、ゲルでのしきたり等社会習慣の相違は分かり易い記述である。そしてモンゴルへの仏教文化の浸透の歴史。社会主義政権は、すべての寺院の宗教活動を禁止したが、民主化後は各地で仏教行事が復活し、最高指導者である活仏も故国に帰還することになったという。仏教関係の建築物も再建されているということで、今回の旅行でもこれらを訪れる機会があることを期待している。重要なのは、この活仏がチベット亡命政府のダライ・ラマの認定を受けているということで、この地の仏教がチベット仏教の影響下にあるという点である。もちろんこれは中国支配下での内モンゴルの問題でもある。

 以降は古代から現代までのモンゴル史の概観となる。匈奴による初めての国家建設に始まり、紀元前4世紀後半に、モンゴルが牧畜諸民族を統合するのが古代。その後変遷を繰り返し、8世紀にはウイグル族の支配下に入る(この時期仏教文化も入ることになった)が、10世紀には再びモンゴル族がこの地域の支配権を握る。そして12世紀の中頃モンゴル高原北東部に生まれたテムジンことチンギス・ハーンが13世紀に至り世界帝国を築いたことは言うまでもない。

 第5代のハーンであるホビライ時代に帝国は最盛期を迎えるが、彼の死後は次第に衰退し、14世紀後半には中国での明の建国で漢民族がこの地域の支配権を取り戻す。しかしその後もモンゴル高原においては代々のハーンが力を維持し、それは17世紀後半、清朝に臣属するまで続いたという。

 1911年の辛亥革命で清朝が倒れた際に、モンゴルは再びハーンを復活させ「独立」を試みるが、中華民国やロシア、更にはこの地に勢力を強めてきていた日本の介入で、「自治権」を得るに留まった。そして第二次大戦後は、南モンゴルは中国領となり、文化大革命時の大量虐殺を経験、北は1990年の人民革命に至るまで、ソ連傘下の共産党独裁政権の支配に入ることになったのである。これがモンゴル史の概要である。

 ということで、先般読んだ関連書物と併せて、この地の文化、宗教、歴史について基本的な理解を与えてくれた著作であった。これらを念頭に置いたこの地の個人的な印象は、帰国後、旅行記の形で残しておこうと思う。

読了:2024年8月23日