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モンゴル帝国 草原のダイナミズムと女たち
著者:楊 海英 
 今月初めのモンゴル旅行の準備の際に書店で見つけ、久々の新刊書(2024年7月刊)として購入し、旅行中時々眺めていた新書であるが、結局旅行中はほとんど進まず、帰国後数週間してからようやく読了することになった。著者はモンゴル出身で、京大等で学んだ後、2000年に日本に帰化、現在は静岡大学教授である。外国人とは思えないほどの日本語力で、またこれ以前にもモンゴル、中国関連の多くの著作を発表している。この作品は、社会主義時代には埋もれていたモンゴル固有の資料(最古のモンゴル語年代記「モンゴル秘史」等)を用いて、モンゴル帝国の盛衰を、特にそこで重要な役割を果たした女性に焦点を当てながら再構成しようとした作品である。

 まず、チンギス・ハーンを始めとして、この地に大帝国を築いた指導者たちは、土地の有力貴族(有力な勢力としてコンギラート部、著者の出身地であるオイラート部、エケレース部といった名前が挙げられている)との間で、娘たちを婚姻関係で差し出すことでその支配力を固めてきた、というのはある意味、どの社会でも同じである。しかし、この地域の特徴は、それに加えレヴィ・レート婚があったと著者は見る。これは男の死後、その寡婦(生母以外)を、その兄弟や息子などが結婚という形で引き取る制度(慣行)で、人類学者が、「苛烈な乾燥地の自然環境のなかで、寡婦となった女性の地位と財産を守るための合理的な慣習」と見做しているものであるという。これを通じて、枢要な地位にあった男の伴侶が、男の死後もそれなりに社会的影響力を保持することに繋がり、そうした女性たちがモンゴルの歴史の中で活躍したと見るのである。そして遊牧民の世界では男は戦士であり、常に外で戦い、そして多くが戦死する。男の不在時に共同体を守り、運営するのは女性であり、そして枢要な男が死んだ後もそうした女性が活躍することになる。そうした立場から多くの女性たちが登場する物語が語られることになるのである。

 チンギス・ハーンの第一夫人であったボルテ后や第二夫人ホラン・ガトン后から始まり、多くの女性が登場するが、彼女たちが例外なく、とんでもない美貌や母性愛に加えて、男たちの留守に共同体をまとめる政治力や胆力を有していたとされるのは、やや誇張が過ぎると思うが、まあご愛敬と見ておこう。そして彼女たちは、そこで生まれた(あるいは子供がいなかった夫人は孤児さえも引き取ったという)子供たちを、上記の様に、土地の有力者と婚姻関係で結びつける策を弄することになる。著者は、この著作の全般に渡り、こうした姻戚関係を詳細に整理して紹介している。これ自体は、流石に細かく見る気にはなれないが、少なくともそれを整理した著者の気力は敬服に値する。

 チンギス・ハーンの西方遠征により、こうした社会がモンゴルから中央アジアから中東に広がり、またそこでのイスラム社会との接触を通じ、従来からの土着宗教に加え、イスラムの影響も強く受けるようになる。そしてチンギス・ハーンの死後、彼を継いだ彼の三男のオゴタイ・ハーンが建設した帝都ハラ・ホリム(カラコルム)は、「多人種・多文化が交錯するハンブリッド都市」として栄えたという。そうした13世紀の帝国都市を、男たちが遠征で不在となる中、実際に運営したのは上述の通り留守を託された女性たちであったのである。

 しかし、巨大な帝国も、それを築いたカリスマ指導者が没すると、今度はその後継ハーンを巡る中央での、あるいは帝国の地方都市での権力闘争により不安定となる。そこでも多くの女性たちが活躍し、あるいはある者は悲劇的な最期を遂げたとして、そうした主要な人々が詳細に紹介されているが、そうした個別物語は恐らく直ぐ忘れてしまうと思うので省略する。その中で面白いのは、帝国が朝鮮半島を帰順させた13世紀半ば以降、この地にあった高麗から、政略結婚などを通じ多くの宮女が大都(現在の北京)の宮廷に滞在することになったということで、それはNHKが放送した韓流ドラマの一つ(「奇皇后」)となり、日本でも人気を博したということである。私は余り関心がなく、今まではほとんど観ていない韓流ドラマであるが、舞台は朝鮮半島だけではなく、中国やモンゴルにも広がっているというのは興味深い。そこでは、高麗のみならず、多くの地域からやって来た宮女たちが、日本の「大奥」と同じように、男たち以上に激しい権力闘争を演じていたようである。しかし1368年、明軍が大都に入り、元は滅亡、モンゴル族は北方に逃げ込むことになり、こうした世界が終わる。モンゴルの帝都ハラ・ホリム(カラコルム)も1388年に明軍の手に落ち廃墟となっていったとのことである。またユーラシア西部では、同じ頃オスマンやテムール(テムールは、チンギス・ハーン家の女性を妃に迎え、サマルカンドを拠点に君臨することになる)が台頭、またウズベクやカザフでも独自の民族形成が行われ、モンゴル帝国は分裂、「ユーラシア大再編」が行われることになる。そしてこの壮大な草原の物語は、15世紀末から16世紀初めにかけて、このモンゴル帝国の再興を企てたマンドハイ妃という女傑を紹介して終わることになる。時既にユーラシア西部に住むヨーロッパ人が、この地への進出を始めていた。「世界史」の軸が動きつつあったのである。

 細部はほとんど残らないと思うが、中々気合の入った「モンゴル史」である。社会主義時代に葬られていた自国の歴史を、数々の伝説も参考にしながら、しかも日本語で再構成した著者の営為には感服させられた。著者は、度々京大時代の恩師である杉山正明の名前と研究を引用しているが、こうした研究が日本から生まれたというのも喜ばしい。著者には、この前に出版した著作も多く(しかもそれは現在の中国共産党政権に批判的なものが多い)、これから目につくものは読んでいきたいと考えている。まずは、同じ著者による「内モンゴル問題」を扱った新書を読み始めているところである。

読了:2024年9月28日