モンゴル人の中国革命
著者:楊 海英
(これを掲載した後、実はこの作品は2019年に既に読んで、「中国」に掲載していたことが判明した。今回この2019年の感想も、「その他アジア」に移して掲載する。)
2024年出版の「モンゴル帝国 草原のダイナミズムと女たち」、2021年出版の「内モンゴル紛争 危機の民族地政学」と著者の作品を遡り、今回は2018年出版の新書である。第二次大戦後の中国での共産革命に、内モンゴルのモンゴル人たちがどのように対応し、どのような運命を辿っていったのかを、多くの生存している関係者の証言も交えながら詳細に跡付けている、全2作以上に著者渾身の作品である。それは、著者自身の家族の対応(父親は、共産党軍である八路軍の兵士であり、「民族派」の処刑にも関与している)についての自戒も踏まえた鎮魂の祈りともなっている。
いきなり内モンゴル平原での、人民解放軍によるモンゴル参謀長の凄惨な処刑場面から始まる。その処刑を行う若者もモンゴル人である。それはこの戦闘で、モンゴル人が共産軍と民族派に分かれていた悲劇を象徴する場面である。何故こんな事態となったのか。著者はそれを第二次大戦前の、日本軍による満蒙支配に遡って綴っていくことになる。そこで中心的な役割を果たしたということで描かれるのは、徳王という民族指導者と奇玉山という軍指導者である。
日本軍が作った傀儡国家満州国は、内モンゴルの3分の2を支配下に置くことになったが、そこのモンゴル人は、特に日本への留学経験のある若い知識人たちが、日本軍を利用して自らの独立、あるいは北のモンゴル本国との統合を勝ち取ろうと動いていた。日本軍の近代的な軍事教育により、元々騎馬民族として勇猛果敢であった軍隊の戦闘力を強めながら、若き指導者徳王を推し立てて、中国に対抗しようと考えたのである。しかし1945年8月、日本がモンゴル平原から撤退した後は、自らの力で独立を勝ち取らなくてはならなくなる。その際に、前著でも触れられたように、ヤルタでの、自国不在の秘密協定により、内モンゴルは中国に帰属させることが決まる。それにより、この地域―特に主たる舞台は、この地域最南端のオルドス高原であるーは、その後中国で発生した国共内戦に巻き込まれていくことになるのである。
オルドス高原が主要な舞台となるのは、この地が、1935年、毛沢東率いる中国共産党が、所謂「長征(著者は、それを「長逃」と呼び、単なる逃亡であったとしている)」を経て、この地と接する陝西省北部の延安に入っていたことによる。モンゴル人は、日本軍敗北後の国民党と共産党の内戦から距離を置き、自治・独立を目指していたが、ヤルタの決定を受け、中国との接触が必要となる。これ以前、距離の近い延安の共産党は、「商売人や医者、それに家畜の放牧者を装い」この地に大量に潜入し、そして公式には毛沢東の弟の毛沢民や、現在の主席習近平の父親である習仲勲らが、モンゴル人と「義兄弟の契り」を結びながら、この地域の自治を保障(1935年の「三五宣言」)すると接近してくることになる。他方で、延安を起点とする共産党軍は、日本軍との直接の戦いを避けながら、麻薬(罌粟)の栽培・販売などで経済基盤を固めていたが、まさにこのオルドスに罌粟畑を広げ、モンゴルの草原を破壊しながらモンゴル人に阿片を売りつけていたのである。そうした中、実質的な指導者である奇玉山は、こうした共産党の動きを苦々しく思っていたが、モンゴル人の中には共産党の甘言を信じる者たちも多く、日本敗北後はモンゴル人の中でも分裂が進むことになる。著者は、こうした日本軍支配時期から撤退後の時期に渡るオルドスを舞台とするモンゴル人の動きを、若き軍指導者であった奇玉山を核に詳細に綴っているが、結論的には、戦後、中国共産党が内戦で国民党を圧倒する過程で、内モンゴルについても、かつての「独立」といった甘言を反故にして、大量の中国人移民による人口面での圧倒も含め、モンゴル民族抑圧政策に転じることになるのである。その過程では、例えば、この前に読んだ著作で記載されている様に、チベット支配のためにモンゴル人兵士を使うが、チベット制覇後は、今度は一転内モンゴルを力により支配していったということになる。その結果、まさに内モンゴルでは、国民党寄りと共産党よりの勢力間でのモンゴル人同士の「内ゲバ」が繰り返された後、最後は共産党の中国人による支配が確立するということになったのである。国民党の軍事指導者として独立を目指した奇玉山も、最後は共産党に拘束され、その後一時釈放されるが、最後は処刑されることになるのである。
まさに内モンゴルを巡る中国共産党の権謀術数を詳細に辿り、内モンゴル自治・独立が消し去られていく歴史を詳細に綴った著者渾身の作品である。そしてこれを読んだ後は、中国共産党政権によるチベットや新疆ウイグル支配のみならず、昨今の香港、あるいはこれからの台湾の運命も示唆することになる。一旦国際社会から自国地域と認められたら、そこに対し飴と鞭を使いながら、最後は「力による現状変更」を行っていくことが、中国あるいはその共産党政権の手練手管であることを改めて深く印象付けられる著作である。改めて、この地域の歴史を丹念に追いながら日本語でまとめる著者の力量に感服する。ただこの地域を巡る著者の作品はまだまだ多いが、どこまで追いかけるか悩ましいところでもある。
読了:2024年11月14日