物語 チベットの歴史
著者:石濱 裕美子
ということで、もう一つの中国での少数民族問題の課題であるチベットの通史で、早稲田大学教授による2023年4月出版の新書に眼を通してみた。チベットについては、2013年に渡辺一枝の「消されゆくチベット」、そして2022年に山際素男の「チベット問題」という2冊を読んでいる(別掲)が、それに続くチベット関連の著作である。
この新書についてのコメントを記載する前に、まず、以前に読んだ上記の2冊の評を再読して見た。双方共、1949年の中国による侵攻、あるいは1959年のダライ・ラマ14世の亡命以来、中国によるこの地域への強権的な支配が国際社会の非難の的になってきた点について詳しく触れている。例えば、チベットでは寺への参拝や宗教儀式などが益々厳しく制限・監視される中、頻繁に抗議デモや焼身自殺が相次いでいるが、これは1959年にダライ・ラマ拉致という噂から大暴動になった3月10日近辺で毎年行われているという。最近では2008年のこの日に大きな暴動が発生したが、これは北京オリンピック開催に向けた、中国政府による少数民族弾圧へのアピールであった。また2009年や2011年には、この日の近辺で僧侶による抗議の焼身自殺があり、その数は一般人も合わせると最近の約3年間で100人に達しているという説もある。他方政府の弾圧も、特に言論統制を中心に強化され、あるNGOによれば2008年以降だけでも65人が拘束され、拷問を受け、刑を宣告されているという。こうした中、2011年3月、ダライ・ラマは政治的立場から引退し、チベット亡命政府は現在主席大臣に選ばれたロプサン・センゲが代表しているというのが、2013年時点での政治状況である。ただその時期、既に香港やミャンマー、そして現在はウクライナ問題等で、チベットに対する関心はほとんど表面化することはない。その間も中国政府は着々とこの地域の「中国化」を進めているというのが実態なのだろう。因みに、日本政府も、中国への配慮なのであろうか、著者によると、「政府首脳のだれ一人としてダライ・ラマに会おうとしないばかりか、法王の代表、代表部事務局の職員たちに永住ビザ、長期滞在ビザはおろか、短期ビザさえも与えず、いつまでたっても”観光客”扱いしかしようとしていない」という。香港問題も同様であろうが、日本政府は「中国の内政問題」には、ひたすら関与することを避けるという傍観者的態度を決め込んであるようであるといったコメントが記載されている。
今回の新書も、後半は、こうした現在の中国共産党によるこうしたチベットへの弾圧について報告されているが、その点については上記2冊の復習といった域を出ていない。その意味で、今回の作品の最大に特徴は、この地域の「1400年」に渡る、特に古代から中世に至る通史を、この地域における仏教思想の詳細な変遷とそこで登場した多くの人物を含めて記述しているという点になる。しかし、その部分は、ある種の伝承と事実が混在化し、非常に理解が難しい。例えば、7世紀に登場した古代チベット帝国「開国の王」にして「仏の慈悲の化身である観音菩薩と称えられる」ソンツェン・ガムボ王は実在したということなのだろうが、ほとんど伝承を読んでいるかのような印象を与える。そしてこの王朝は唐やウイグルとの抗争を繰り広げながら9世紀頃に分裂するまで存続したという。しかし歴代の王の名前は、マンソンマンツェン(第2代)だのティックデツェン(第9代)だの、ほとんど覚えることのできないものばかりである。
12世紀、この地に仏教が浸透して以降は、仏教典を通じて、特に観音菩薩信仰を通じて語られることになる。多くの仏典や寺院及びそこに残された仏像などが紹介され、著者はそこから読み取れる仏教思想を詳細に解説しているが、それは一般読者の私にはややうんざりするもので、ほとんど頭に残らない。また同じ仏教でもこの時期以降多くの「派閥」が生まれたようであり、著者はその相違を解説しているが、それもほとんどどうでもよい。ただ重要なことは、元々インドで生まれた仏教が、そこではほとんど影響力を失ったのに対し、チベット及びモンゴル(そしてもちろん社会的な意味合いは異なるが日本)では大きな存在感を維持し続けたということ。特にチンギス・ハンのモンゴル帝国では、彼を含め代々の支配者は宗教者を保護し、ディベートを通じて仏教思想が広がっていったというのは面白い。その頃から定着していった「(輪廻)転生」思想についても説明されているが、この辺りは現代では三島由紀夫等にも大きな影響を及ぼしたものである。そしてそうした多くの宗派の中から影響力を拡大したのがゲルク派で、それを代表する「転生僧」ダライ・ラマが、その5世の時代の17世紀チベットの最高権威者となる。以降のチベットの歴史は、このダライ・ラマの歴史となるのである。
このゲルク派の宗祖はツォンカバであるが、チベットの三大文殊の一人とされる彼が14―15世紀にかけて完成させた「包括的な哲学の力」がその成功の要因であったとされる。彼及び彼の弟子たちによる修行や教えの急拡大が説明されるが、その辺りは読み飛ばす。そしてツォンカバの愛弟子ゲンドゥン・ドゥプが第一代ダライ・ラマとなり、現在の14世まで続くということで、「観音の発する無数の化身の中の、チベット人を救済する姿」としての代々のダライ・ラマの生涯が語られる。そして前述の通り、17世紀の5世の時代に、世俗的な支配者を上回る権威を得て「政教一致」体制を完成させることになると共に、その影響力をモンゴルや満州にも拡大することになる。しかし清朝や周辺の軍閥的な勢力との闘い等もあり、18世紀になると清朝はチベットにおける実質的な支配力を行うようになる。ただ清朝も、基本的にはダライ・ラマの宗教的権威には敬意を払い一定の自治を認めたことからある種の「平和共存」体制が続いていたようである。19世紀に入ると、9世、10世、11世とダライ・ラマの夭折が続いたようで、これは「暗殺」説もあるようであるが、チベット民衆の理解はそうではないという。
また19世紀以降、厳しい鎖国政策をひいていたチベットが西欧社会の探検家の注目を浴びるようになると共に、ユーラシアでの覇権を争うようになっていたイギリスとロシアの間でこの地域を巡る勢力争いが始まり、探検家を装った「バンディット」と呼ばれる人々による、ある種のスパイ合戦なども繰り広げられることになる。そうしたスパイを扱った「キム」という小説は、その後映画にもなったということで、これは機会があれば是非観ておきたい。
ラサは1904年に英国に侵略され、ダライ・ラマ13世は8年に渡る逃亡生活を余儀なくされる。途中、英国軍の撤退でいったんラサに戻ったが、今度は清朝による占領で再び逃亡し、1912年清朝滅亡の中でようやくラサに帰還することになる。その間の動きが詳細に語られるが、この時期からチベットが列強の権力争いに翻弄されていったことが理解できる。そして1913年には13世は「独立宣言(中華民国に対する断交宣言?)」を発表する。列強からの国家承認や国境策定等は難航するが、取りあえず1950年の人民解放軍の侵略までは「事実上の独立」を享受。そして国内的には、13世位による伝統的な仏教文化の復興が行われ、彼の権威は高まったということである。そして13世の逝去に伴い14世の時代が始まる。
14世は1934年生まれで、5歳の1940年に14世としてラサに迎えられたが、1950年の人民解放軍の侵攻で、既に15歳にしてラサから逃亡し流浪の生活を送ることになり、最終的には1959年にインドに亡命することになる。しかし、1950年の人民解放軍侵攻の直前、彼は摂政から政治権力を引継ぎ、15歳にして「親政」を始めることになったというのは、とんでもない話である。そして以降のチベットの歴史は、中国共産党支配と海外でそれに抵抗する14世の闘いとなるのである。
この現代史については、前述の通り、以前に読んだ著作で詳しく触れられているので、繰り返さない。基本的には、内モンゴルや新疆ウイグルと同様、中国本土での共産党支配の影響を受け、それに民族・宗教問題が重なり、本土以上に厳しい事態が発生したということになる。1951年のチベット併合時に締結された17ケ条協議で保証されていた言語、文字や学校教育での強制改革は行わない、といった取決めも次第に骨抜きとなり、特に文化大革命では、仏教寺院の徹底破壊を中心に伝統文化が根こそぎにされたことは誰もが知るところである。一方インドに亡命した14世が、そこでのチベット社会をまとめると共に、国際活動に勤しんだことも知られている通りである。1997年にチベットを舞台にした映画が二本公開されたが、その一本の「セブンイアーズ・イン・チベット」は観ている(「映画評」に別掲)が、もう一本で14世の自伝を基にした彼の伝記映画「クンドゥン」はまだ観ていない。これは是非観たいものである。そしてこの新書の記述は、米国第一次トランプ政権下でのチベット支援法案を紹介して終わることになる。この法案の中では、チベットの仏教指導者の決定はチベット仏教コミュニティーでのみ決定されることもうたわれており、これは14世の後継者決定に中国が関与することを排除したものであり、興味深い。また2021年にはポンペオ国務長官(当時)が、内モンゴルと共にチベットでの「ジェノサイド」批判を行ったというのも重要である。恐らく内モンゴル本でも登場していた、今回第二次トランプ政権で国務大臣に就任したルビオも絡んでいる法案と思われるので、彼の今後の中国政策もそれに従ったものになると思われ、まずは見ものである。
ということで、チベットの現代史は、以前及び最近読んだ内モンゴルや新疆ウイグル関連本の復習であった。他方、古代・中世のこの地での仏教史に関わる部分は、相当部分飛ばし読みしたということであるが、やはり専門家の記述だけあり、これだけ複雑怪奇な世界をそれなりにまとめ上げるという研究力と筆力には敬服したのであった。仏教世界について書かれたもので、これだけの著作に出会ったのは初めてである。その世界は、冠婚葬祭仏教徒としての私にとっては、相当離れたものであるが、そうした世界は依然ある地域では生きているということは心に刻み込んでおこう。
読了:2025年1月30日