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金正恩 恐怖と不条理の統治構造
著者:朴 斗鎮 


 2018年3月出版の新書で、著者は、1941年大坂生まれ。朝鮮大学校卒業後、そこの教員を経て、出版時点ではコリア国際研究所所長を務めているということである。

 基本的に、激しい金正恩とその体制批判の著作である。まずは1984年生まれとされる金正恩の生い立ちからその成長過程(そこでは一般の学校に通わない家庭内教育であったことから、「社会性」が全くないこと、あるいは1991年頃から2001年頃にかけてスイス・ベルンに偽名で滞在していたので、西欧事情にも一定の知識があること、あるいはこの時期金正恩の母替わりであり家族の子供とも親しく付き合った一家がその後亡命した話などが説明されている)から始まるが、それが、著者が「独断性」、「短期」、「暴力的」、「誇大妄想的」、「思いつきと朝令暮改」、「先代への劣等感」といった、ありとあらゆる罵詈雑言で表現される彼の性格を形成したとされる。また母親の高ヨンヒが、日本生まれ(在日朝鮮人)で戦後の帰還者であったことから、その公的取扱いに苦慮している様子も、どこかで聴いた話ではある。

 その彼は、2010年、金正日末期に、若干26歳で後継者とされ、2011年の金正日逝去で最高指導者となる。金正日は、当然金正恩の未熟さには懸念を抱いていたので、妹である金慶喜とその夫である張成沢を後見人に付けると共に「家老」たちによる体制を作るが、2013年12月、金正恩はその張成沢とその関係者を処刑し、自らの独裁体制を固めることになる。この本の出版時期からであろうが、この張成沢の処刑を契機とした大粛清と恐怖政治の様子が、この本のほとんどの部分を占めることになる。

 こうして金正恩が、張成沢を始めとする、金正日時代の取り巻きを次々に粛清していく様が子細に報告されることになる。この際著者がこれまでかとばかりに指摘しているのは、中世の封建時代の様に、金正恩が直接の関係者のみならず、その家族・縁戚まですべて殺戮していったという点で、読んでいるだけで気色悪いと共に、この現代に本当にそこまでやっているのだろうかと思えるほどである(さすがに金正日の妹である金慶喜は殺さなかったようであるが・・)。また政権や軍部指層(さらには有名俳優等も!)の頻繁な首のすげ替えも詳細に追っているが、これは名前が全く頭に入らないので読み飛ばすことになる。ただ2017年2月のクアラルンプール空港での異母兄金正男の暗殺は、当時滞在していたシンガポールから頻繁に訪れていた場所での事件であったことから強烈な印象が残っている。

 そしてそうした恐怖政治に加え、この政権のレゾンデタとも言える核開発への傾倒。国民経済を犠牲にした核開発優先の軍事経済優先政策とその結果としての国民生活の窮乏化は、幾らでも指摘されてきたこの政権の特徴であるが、他方でそれなりに私経済を許容した結果、「金主」と呼ばれる富裕層も一部で出現しており、また彼らが韓流ドラマなどを密輸することで、住民の意識構造に変化が出てきていることも指摘されている。頻繁な人事異動や粛清に伴う高位幹部の面従腹背や動揺、そして一般民衆の中でも若者層の離反といった動きが、今後の金正恩体制に与える影響には注意しておく必要があろう。

 最後に著者は、北朝鮮の核開発を巡る米国クリントン、ブッシュ、オバマ政権の「懐柔・融和策」を、ヒトラーによるズデーテン占領に対する当時の欧米政権の対応と重ねて批判し(金日成は継続的に「核開発」を否定し、それに欧米が騙されてきたと主張)、他方で2017年のトランプ第一次政権が、それを批判して各種軍事行動を含めた強硬策に転換したことを評価することになる。私はあまり認識していなかったが、このトランプ第一次政権時代には、北朝鮮に対する各種の制裁法案が米国議会で成立しており、また国会でも米国主導による北朝鮮批判が成立していたという。更にトランプ政権は、北朝鮮の後ろ盾となっている中国に対しても圧力をかけたようである。これは著者によれば米朝軍事衝突の危機に至るほどのものであったが、時の韓国文在寅政権内部の「従北派」の抵抗もあり顕在化しなかったという。2018年の韓国平昌冬季五輪への北朝鮮招待という文在寅政権による「親北融和政策」を、金正恩は「米国からの軍事攻撃の防護壁、制裁破りの突破口として」最大限利用したということである。こうして著者は、「米日+韓国保守vs.中朝露+韓国左派という対立構造を作りながら、最終局面を迎えつつある」という総括でこの本を締めくくることになる。

 この本の出版から約8年を経過した現在、時折北朝鮮のミサイル発射等が報道されることはあるが、ウクライナ紛争やガザ紛争等が国際政治の前面に出ていることから、金正恩体制の人事を含めた内政面や国際社会からの制裁は余り報道されていない。唯一足元の大きな話題は、ウクライナ紛争でのロシアと北朝鮮の連帯強化と、北朝鮮によるミサイル等の武器のみならず、1万人規模とされる実際の北朝鮮兵士の派遣と戦闘の最前線への投入であろう。そして8年前出版のこの本を読んだ上では、この本ではこれほどまでの恐怖政治をひいていると共に、国民意識の変化が見られると指摘される中で、この金正恩体制が依然堅固で、兵士をロシアに送り出すだけの力を持っていることに大きな違和感を覚えることになったのである。またこの本で指摘されている第一次トランプ政権での北朝鮮向け軍事圧力強化は、今回のトランプ第二次政権では、ウクライナ和平や関税問題が優先されていることから、ほとんど表に出てくることはない。また北朝鮮対応の一つの軸になる韓国は尹錫悦政権の混乱でそれどころではない。その意味では、金正恩体制は、足元は国際社会からの激しい圧力を回避しながら、一時的には平穏に維持されていると言えるのかもしれない。

 しかしいうまでもなく歴史は常に動き続ける。一件平穏に見える中で、次世代に向けた動きは常に進んでいる。次に北朝鮮が国際社会の課題となる時に、この本で描かれた諸問題がどのように顕在化するかに注意したいと思う。

読了:2025年3月4日