アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第九章 環境
ドイツの森番たち 
著者:広瀬 隆 他 
ここのところ、ロスチャイルドやロマノフ家の系図や権カ構造といった一般向けの作品を発表していた著者が久々に彼の原点である反原発問題に戻り、ドイツにおけるこの問題の現状をルポしたものである。反原発運動の推進者という著者の立場から、当然この問題についてのレポ−トは党派的性格を持つことになるが、それでもある問題を理解し、解決しようとする時に、対立する双方の主張を理解するのは必要な行為である。

この書物は4部で構成されている。最初は前ドイツ大統領の甥にあたる環境学者等へのインタピュ−を通した、ドイツでの原発問題の現状認識、次に旧東西ドイツ国境近くのゴアレ−ベンにある核廃棄物再処理施設を巡る運動、そしてパイエルン、ビッカ−スドルフでの再処理工場とオランダ国境に近いライン川沿いのカルカ−高速増殖炉での成功した反原発運動の記録を掘り起こす。言うまでもなくドイツは1970年代以降、原発問題で大きく方向転換した歴史を有している。1992年10月の、ドイツ2大電力会社によるコ−ル首相宛ての原発凍結宣言を含め「『核時代』崩壊の震源地」と著者のいうドイツ。以下夫々のルポを見ながらこの過程を私なりに整理していこう。

カッセル大学学長、環境研究所所長のエルンスト・ウルリッヒ・ヴァイツゼッカ−。祖父は外務次官を務め、ナチ協力でニュ−ルンベルグ裁判被告となったエルンスト、父は天才物理学者であり、戦後は反原発の論陣を張ったカ−ル、叔父のリヒャルトは前ドイツ大統領という家系に属する彼との対話から著者のルポが始まる。「環境帝国主義」と時に揶揄されるドイツの環境に対する考え方の一端を示していると思われる彼の主要な議論は次のとおりである。

原子力や石油、天然ガスといった物理的に限界のある化石燃料に頼っている時代は歴史的にもわずかで将来性もない。従って次世代エネルギ−を普及させるためにも、こうした化石燃料の価格を上げ、市場経済を利用しつつエネルギ−転換を行うべき。エネルギ−効率(流通コストの削減も含め)を高めることにより既住の代替エネルギ−資源のコストを下げることは可能。原発についても、その拡大を阻止するにはアメリカで行われているような原子力プラントヘの保険制度や「最小コスト計画」の導入により市場経済の中で採算を悪くしていく方法が最良である。

続いて行政側の人間として内務省原子力安全課長であるW.ホ−レフェルダ−ヘのインタビュ−。@石炭、石油、天然ガス、Aエネルギ−節約と再生可能エネルギ−、B原子力、という3つのパスケットを調和させるエネルギ−・コンセンサスが彼の業務の大枠である。この中で原発については政治的主張の相違が存在することから「着陸する飛行場もなく飛ぴ続ける飛行機」になっている、という第三者的、官僚的感想。他方ヘッセン州エネルギ−大臣(注:その後、連邦外務大臣)のJ.フィッシャ−(緑の党)は「原発から完全におりる、ということが前提条件になれば、何時どのように降りるかの話し合いには乗る」と言う。しかし議論を進める前に、著者達はまずは現場を訪れる。旧東独国境近くのゴアレ−ベンにある高レベル核廃棄物最終処分場である。

数年前(と著者は書いている)西独の核廃棄物が密かにペルギ−の再処理工場に輸送され、またドイツに戻されたという事実が暴露された。同時にそこで取り出されたウランとプルトニウムが、核拡散問題が噂されていたパキスタンに送られ、そこに全欧州規模での核シンジケ−トが絡み、その頂点にある国際原子力機関(IAEA−国連機関)の元議長R.ロメッチ自身も自家用車でのプルトニウム輸送に関与していたという事実も発覚したと言う。こうした原子力燃料が最終的に戻ってくるのが、日本の六ケ所村と同種(但し日本は「一時保管」ということになっている)の施設である、ここゴアレ−ベンなのである。ここでは岩塩層の中に高レベル廃棄物を埋める計画になっているが、地質調査の過程で、岩塩層の中に「上部の地層につながる亀裂」が存在することが発覚、また地下水との接触の可能性もあり、その際に塩分が科学反応を起こし核廃棄物に引火、大爆発する可能性さえ否定できないという。こうした構造亀裂、ガス噴出、地底の流動といった不測の事態にどうやって完璧な対応ができるのか、というのが著者達の自問である。著者によると二−ダ−ザクセンの社民、緑の連立政権はただちにこの処分場の工事をストップさせたという。しかし、1995年になってから、このゴアレ−ベンで警察による厳戒体制の中、再び工事が開始され反対運動と衝突した、との報道がなされていたので、この問題はまだ決着していないのだろう。また高レベル廃棄物はキャニスタ−と呼ばれる特殊コンクリ−ト製の容器で地下の岩塩層に埋められるのであるが、この安全性を巡る著者と、環境省所属で地元で地質調査を行っているR.シュミット氏との質疑は面白い。50年後か500年後かは分からないが、このキャニスタ−が腐蝕、消滅し、中の廃棄物が直援岩塩と接触した時何が起こるのか。著者はこれがとんでもない核爆発を引き起こすと警告しているが、これこそがこの問題の核心である。しかし、ヘッセン州のフィッシャ−が言うように「プルトニウムの最終処分は人間の知恵では技術的に不可能」なのかどうかについては専門家による科学的な回答に頼るしかないのも事実である。そして他方でこの章でも触れられている、1994年12月のフランスからのキャスクの返還開始−シェルブ−ル出発の際の当地での報道は生々しかった−により日本でも現実の問題になっていることには留意しておく必要があろう。

第三章は、大規模な市民運動が再処理工場の建設を食い止めたバイエルン州、レ−ゲンスブルクの北方に位置するピッカ−スドルフ村の物語である。1984年に保守党内の秘密決定が暴露されたことから開始された反対運動とそれに対する警察の取り締まりは1986年には内戦のような激しさになっていたというが、前に登場したカ−ル・ヴァイッゼッカ−らが公聴会で処理場建設への反対意見を表明したこともあり、最終的に1989年にこの計画が断念された。ドイツにおける原発推進派の総帥は、40歳で連邦原子力大臣となり国防相、蔵相等も歴任したバイエルン州首相のフランツ・ヨ−ゼフ・シュトラウスであったと言われるが、有名なシュピ−ゲル事件と同様、ビッカ−スドルフでも彼は敗北したことになる。しかし、成田紛争と同様、農民の土地に執着する土着意識と環境保護運動が結合したこの反対運動のルポには理論的な新鮮味はない。

最終章はカルカ−高速増殖炉(日本では福井県に建設された「もんじゅ」と同種)の建設中止問題についての、フェ−バ常務でありドイツにおける「原子力界の指導者」と目されるH.クレ−マ−博士との面談から始まる。彼によると、反対運動の高まりと共にコストが増加し、当初は政府負担で進んでいたブロジェクトに対し、業界負担が求められる状態になった。」そして最後に地元ノルドライン・ウエストファ−レン州もこのプロジェクトに否定的になったこともあり、フランスがドイツの再処理需要に対応できることを確認した上でこの計画を断念したという。著者は、カルカ−では実験操業の過程で少なくとも3回、冷却剤として装置内を循環するナトリウムが漏洩し冷却水叉は外の雨で反応した火災事故が発生しており、この技術問題がカルカ−断念の語られざる真相である、と述べているが、その真偽は分からない。いすれにしろ、この計画は最終的にはドイツの政治判断に委ねられたことは間違いなく、その意味で政府と経営との間で、なにがしかの取引があったと見るべきで、その一つが、ウランとプルトニウムを混合した新しい燃料であるMOX燃料についてはドイツ国内で生産するという合意であったと想像される。このMOX燃料を製造するシ−メンスの工場が、ここフランクフルトの東20キロのハ−ナウに置かれているという。著者はそのMOX工場の向かいに、ロスチャイルドが支配するRTZ傘下の非鉄金属会社デグッサの社屋があったことから、この世界におけるロスチャイルドの関わりを発見した、と述べているが、これは話しとしては面白いが、ロスチャイルドについての彼の本に溢れている状況証拠からの推測の一つに留まっている。

このハ−ナウのMOX工場については、へッセンの環境大臣フイッシャ−との間で安全基準を巡る論議が続いていると言う。しかしこの緑の党の環境大臣も、この生産を無条件に停止するところまでは考えていないという印象を受ける。

著者はこのドイツ原発ルポの最後を、カルカ−反対運動の先頭に立った環境研究所の研究員M.ザイラ−とのインタビュ−で終えているが、それはこれまでこの書物の中で何度も触れてきた、原発の安全性神話への疑念の総括である。著者の積年の経験から、原発の技術面での議論まで踏みこんでいるため、私自身が著者の論理に対抗できる訳ではないが、少なくともこの反原発の論理が、オ−ル・オア・ナッシングの議論であるとすれば、それは間違いなく党派的な論理になる。もちろん、この書物の中で何度も言われているとおり、日本(あるいはフランス)のように、原発問題が従来から公共の場で議論されずに決定されてきたのは間違いない。一方でドイツのように買電が容易な国と日本とを単純に比較することの問題性や、経済成長や生活スタイルの相違といった点も考慮し、科学的な議論を経た上で、今後の原発問題に対する対応を考えていかねばならないのは確かである。その意味で広瀬の議論とドイツの経験は、立場の相違を前提にしつつも謙虚に耳を傾ける必要があろう。

読了:1994年9月26日