アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
序文
 
こうして90年代ドイツの諸層を見つめてきたが、最後に欧州の中におけるドイツを全体感の中で捉え直し、このドイツ逍遥の締めくくりとしよう。視点は2つ。まず欧州統合という欧州にとって20世紀最後、最大の計画が着々と進捗する中で、その統合自体に潜む不確定・不安定要因と、反面での思わぬ統合効果を冷静に分析した梶田孝道の新書版を通じ、既に紹介した同氏の欧州民族論とも併せ、ドイツの置かれた環境とその将来像を逆照射しようとするもの。梶田の興味深い切り口の中では、ドイツの状況は然程取り上げられてはいないが、我々が今まで進めてきた欧州におけるドイツの将来を考える上では、こうした見方を常に頭の片側に置いておく必要があると考える。

そして他の視点は、欧州統合の外縁部にして、ドイツの影響が歴史的にも、またこれからも強まるであろう旧東欧を中心とした地域を、中欧という概念で捉えた幾つかの作品を通じ、言わばドイツの東側の重要な現代史の断面を確認することである。これらの地域の現代史は、学生時代以来、実は私にとっては所謂西洋史よりも強い関心をもたらしてきた。それはドイツとロシアという2つの大国に挟まれ、近代史の過程で何度も国家が崩壊し、またしぶとく復活する歴史を繰り返してきた、少数民族問題、国境問題を抱えた小国の苦難の歴史であった。そうした苦難の歴史の中から、その地域の人々は、複雑な利害関係の中を生き抜く知恵を蓄積してきた。そして大戦後続いた旧ソ連の支配からも、1989年ついに解放されたのである。

しかし、歴史は繰り返すことを止めようとしない。平和的なチェコとスロバキアの分離はともかくとして、旧ユ−ゴスラピアの解体はボスニア、そして現在はコソボの悲劇をもたらしている。ポ−ランド、ハンガリ−、チェコといった所謂ビシェグラ−ド3国の政治・経済は安定し、「中欧の復活」を印象づけているものの、もう一歩外側に進むと、そこには巨大な火薬庫が変わることなく存在し続けているのである。ドイツが存在している地勢学的位相がこうした危険を常に秘めたものであることを忘れることはできないし、またそれらの国民の運命は、歴史的にそうであったように、ドイツの行動とその影響を無視して語られることはないであろう。