ユ−ロ その衝撃とゆくえ
著者:田中 素香
90年代のドイツ滞在時は、あれほど身近にあったユ−ロの流通が始まって半年。私はまだこの通貨を手にする機会を持たないが、現実はどんどん進んでいる。一時ドルに対し約30%割り込んだユ−ロ為替も、現在は次第に切り上がり、1ドル=1ユ−ロが射程に入るに至っている。米国経済がITバブルの崩壊と会計不信、そして更なるテロ懸念といった要因から調整色を強めている現在、ユ−ロへの資本移動が徐々に起こり始めている。ユーロピアン・フォートレスを意図した通貨統合が、次第にその長期戦略の成果を挙げつつあるように思える。
この本は、こうして国際的信任を獲得しつつあるユ−ロを、4つの特徴から解説した「ユ−ロ入門書」である。4つの特徴とは、「安定と活性化の通貨」、「守る通貨」、「つなぐ通貨」、そして「政治的通貨」という側面である。ここではこの著者による解説を概観した上で、今後の展望に付き私見を加えておきたい。
(安定と活性化の通貨)
本年1月、ユ−ロはそれまでの「ヴァ−チャル通貨」から「現実の通貨」となった。ヨ−ロッパ広域圏で共通通貨が流通するのは「ロ−マ帝国以来」であったが、この切り替えは、ユ−ロ導入に消極姿勢を見せ始めていたベルルスコ−ニのイタリアでの若干の混乱を除けば、各国で驚異的なまでに順調に行われた。かつて、国民レベルではマルクに対する信任から、ユ−ロには懐疑的と言われていたドイツでさえ、人々は切り替えと同時に熱狂的にユ−ロ紙幣を引き出した、という。「ユ−ロの最初の3年間、非現金ユ−ロの下でかなりの物価安定が達成され、インフレ率はドイツ・マルクの50年間の平均より低かったこと」で、ドイツ人もユ−ロに安心して切り替えた、と言われる。
こうしたユ−ロ切り替えの熱狂の陰で、「ヴァ−チャル通貨」の3年の間に欧州の経済・産業構造は大きく変化してきた。それは欧州における広域経済圏の確立とその中における産業の再編成−12カ国ベ−スでの効率的再編/合併や買収による規模の拡大・取扱商品の範囲の拡大・豊富な資金調達力の確保等−であり、それが近時の欧州系企業の活性化に繋がっている。これが80年代には規制と保護主義で活力を失っていたEU企業の現在の姿であり、これを促したのが、単一市場形成から単一通貨創出という80年代半ばからの環境変化であった。為替コスト/リスクの削減による投資余力の拡大も、この活性化の主因の一つである。また近年フランス企業の活力が高まり、逆にオールド・エコノミー経済大国であるドイツが東独統合負担の持続もありやや低迷しているというのも、この統合過程での特徴である。経済のグロ−バル化は不可避の動きではあるが、これは米国による、ドル経済の強制的押付けであるのに対し、この統一通貨による域内自由化は、言わば欧州圏での政治的合意に基づく自主選択によるものであり、またドルによるグロ−バル化への対抗策でもあることから、個々の企業レベルでも改革・再編に対する強いインセンティブをもたらしている。これはバブルの遺産を抱えながら外圧という形で変革を余儀なくされている日本と欧州の大きな相違である。
(守る通貨)
IMF固定相場制という「世界公共財」が、変動相場制への移行により機能停止し、為替が国の経済力を剥き出しに反映するようになると、地域的な為替相場制度や通貨統合といった「地域公共財」が必要になる。米国が「benign neglect」を決め込む中、90年代に入っても尚数次にわたる投機筋の為替攻撃を受けてきた欧州諸国の究極的な対応がこの通貨統合の2つめの特徴である。
もちろん、統合に参加した通貨間でのアービトラージのチャンスはなくなったとは言え、ユ−ロ自体への投機の可能性は存在するが、経済規模が大きくなったことにより、防衛力は数段高くなったと言える。あとは中期的なファンダメンタルズを反映する、対ドル為替の安定が課題となる。1999年1月の導入時、1ユ−ロ=1.1789ドルでスタートしたユ−ロ為替は、その後下落を続け、99年末には1ドルを切り、2000年10月には0.83ドルの底値を付けることになり、ユ−ロ高を期待していた投資家を失望させた。これはひとえにこの時期の米国経済の好調と、それに伴う欧州から米国に向かった投資資金を中心とするキャッシュフロ−の結果である。またより詳細に見ればそれは、グロ−バリズムの下での経済成長率格差、技術格差、金利格差、株価上昇率格差という4つの格差によりもたらされたものである。しかし、日米間あるいは日欧間でも同様の格差が存在したにも関わらず、円の動きはまた独自であった。円/ユ−ロについては当初132円でスタートした後、2000年9月に92円まで突っ込んだが、現在は117−8円レベルに戻している。2000年までの円高は「不況下の円高」と呼ばれるが、ヘッジファンドによるキャリートレードが停止した後の対外投資不活発が、この動きの原因である。そしてこのボトムからの戻りは、主としてユ−ロの対ドル切上げによるところが大きい。かつては円とマルクは対ドルで同じ動きをすることが多かったが、むしろこうした流れを見ると、むしろユ−ロはドルに近く、円が孤立してボラティリティ−を高めているように思える。米国のITバブル破綻が、今後より大きな市場の不安定要因になるのは間違いないが、その際ユ−ロは円に比較してより落ち着いた動きになるのではないだろうか。そしてそれは基本的に通貨の背後にあるユ−ロ経済圏の力を反映したものなのである。「守る通貨」としてのユ−ロの力は、これからより強く示されることになるのではないだろうか(それは今がユ−ロ投資のタイミングである、という理屈であるが)。
ユ−ロ建て起債の増加や国境を越えた企業再編とM&Aといった市場の拡大と産業の効率化・巨大化を目指した動きは、導入前から予想されていたユ−ロの経済効果である。証券取引所の統合はまだ幾多の政治的思惑による合縦連衡により実現していないが、グロ−バリズムの浸透に対抗するヨーロッパ・フォートレスの強化は確実に行われていると考えるべきであろう。
(つなぐ通貨)
ユ−ロは「単一通貨」というよりも「共通通貨」と呼ぶべき、と著者は言う。依然国家主権は、国内資金決済や財政政策を握っているが、それが「ユ−ロ」という「共通通貨」により相互に結び付けられている、というのである。ユ−ロによる資金決済を保証するのが、ユ−ロ中央銀行制度であり、そこではTARGETと呼ばれるRTGSに基づく資金決済システムが構築され、また共通の金融政策が実行される(しかしこの欧州中央銀行の金融政策については、著者は建前について記載しているのみであり、実際に取られた政策についての評価は行っていない。)。しかし、例えば金融機関の監督権限は、「最低限の調和」の原則のもと、各国に委ねられているが、平等の競争条件の歪みが議論になっており、今後問題となる可能性もあるという。
財政政策では、ユ−ロは、マ−ストリヒト条約による「統合の目的を経済成長、物価安定、高水準の雇用と社会的保護、構成国間の結束と連帯などと設定し、それらの目的を健全財政、健全通貨、持続的な国際収支均衡によって達成する」という理念を「つなぐ」役割を担うことになる。EU財政という加盟国からの拠出金による共通財政政策政策も存在するが、規模や機動性において、ある参加国が不況に陥ったときに緊急支援を行う力は乏しい。従って現実的には、欧州委員会が提案し、財務相理事会と欧州議会が承認して決定される「ガイドライン」が、加盟国の「独走」を抑制する手段であるが、その効力を最終的に担保するのは「ユ−ロ」の理念であると言える。言い方を替えれば、この制度は、異なった制度や慣行を持つ加盟国の相違を認め、各国の自主性を尊重しつつ、各国の制度を統一的に動かすことによりユ−ロを安定させるというものなのである。
(政治的通貨)
政治的通貨としてのユ−ロは2つの要因がある。一つは「ドイツ問題」、そしてもう一つは「国家なき通貨」を保障する「EUの政治統合」であり、もちろんこの2つは相互に連関している。最初の要因は、ドイツ統一の代価としてのマルクの放棄、そしてその条件としてのドイツ連銀型ECB(ドイツ・モデル)の設立という、私が90年代に間近で見た動きになっていった。特に通貨安定のためドイツが突きつけた統一通貨参加国の「資格審査」(物価安定、財政赤字、為替レ−ト安定、市場長期金利)が、このドイツ・モデルの中核となる。また後者の要因は、「国家なき通貨」は政治同盟の崩壊と共に通貨も崩壊する、という、歴史的に繰返されてきた教訓を念頭に起き、最近もドイツのフィッシャ−外相による「欧州連邦国家構想」等で議論されてきた。ユ−ロは「通貨統合」から「政治統合」へ、という理念を示すものでもあるのである。
こうしたユ−ロの理念を整理した上で、著者はユ−ロの将来及び問題点を指摘していく。今後のユ−ロの課題は言うまでもなく、現状の12カ国を超えた「ユ−ロ圏」の拡大である。しかし、その前に、そもそもこの12カ国のユ−ロが持続しうるのか、そしてそのための条件は何なのか。
言うまでもなく、この12カ国の既往秩序は、構成国家の政治的・経済的・社会的分裂が深刻化した場合は危機に曝されることになる。米国の論者は、地域ごとの景気変動を回避するために必要な、国境をまたぐ労働力移動、賃金・物価の弾力性、財政資金の地域的移転という3条件をユ−ロは充たしていない、と主張したが、著者は米国と欧州の経済・財政構造の相違で、それは大きな問題とはなりえない、とする。しかし、政治的・社会的不安定が、参加国のナショナリズムに火をつける懸念はまだ払拭されたとは言い切れない。実際、最近のアメリカ発バブル破綻の影響が欧州でも深刻化してくると、イタリアのベルルスコ−ニ政権のように、ユ−ロに対し距離を置こうという動きが出かねないのである。更に今年1月には、安定協定の主導者であったドイツ自身が、財政赤字3%枠をはみ出し、結局勧告対象とはならなかったものの、足元はポルトガルがこの危機に曝されている。この協定を巡る駆け引きは、現在のユ−ロがまだしばらくは克服しなければならない問題であろう。
次に課題としては、拡大問題に加え、金融制度・資本市場の取引慣習及び税制の統合・統一化という難問が持続している。そしてそうした統合の深化が、グロ−バリズムの進む中でのユ−ロの国際通貨としての重要性を規定していくのである。統合が遅れることが危機をもたらすものではないにしても、政治的・社会的困難が発生した際に、こうした制度統合がどれだけ進捗しているかにより、脆弱性が異なってくるのである。私個人としては、むしろユ−ロは最早後退出来ない既成秩序として欧州に根を降ろし始めており、その深化が遅れることはあっても、再度旧来の分裂国家に戻ることはないと確信している。そうであれば、やはりユ−ロは、そのスピ−ド感の相違はあるにしても、これからも通貨としての力を拡大していくことは間違いない、と思われる。来週の、かつての同僚であったドイツ人エコノミストとの邂逅は、そうした欧州の現状に対する見方を確認する良い機会になるのではないだろうか(残念ながらこれはその後、先方都合により延期されることになった)。
読了:2002年5月30日