アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った
著者:竹森 俊平   
 2015年最後の読書は、1956年生まれの慶応大学経済学部教授によるユーロ懐疑論である。刊行が2012年10月と、ギリシャ債務問題で予断を許さぬ状態が続き、ユーロに対する懸念が広がっていた時期であることから、ユーロ懐疑論が受け入れ易い中で発表された作品と言える。しかし、その後、難民問題の高まりと共に、ギリシャやその他債務過大諸国(各種の言い方があるが、この本では「GIIPS」と表現されている)の落ち着きと共に、足元は「ユーロ解体」という懸念はややメディアの関心から遠ざかっている感がある。しかし、もちろんユーロ内の債務問題は解決したわけではなく、著者がここで整理しているように、構造的には依然持続している。以前に読んだE.トッドや少し前に読んだ三好範英の書評でも書いたとおり、私は個人的には「欧州の夢」に賭ける立場である。しかし、以前に読んだユーロ懐疑論と比較しても、この作品が経済学的な観点からユーロの弱点とその政治・経済的な帰結について論理的な議論をしていることは確かである。「ユーロの夢」に向けての欧州の闘いの成否を見る上でも、ここでの議論を整理する価値があると思われる。

 著者の議論の根幹は、生産力の差がある地域を統合した場合、必然的に生産力の高い地域から低い地域への「トランフファー同盟」が形成されるか、あるいは、その地域を見放すか、の二者択一となること、そしてその議論に関連して、財政均衡(健全財政)と雇用改善(景気回復)の二律背反に関わる頭の体操を行っていること、の二点である。

 まず後者について、1929年のアメリカ大恐慌時の、フーバーとルーズベルトという二人の大統領の政策を比較しながら、従来の通説のように、フーバーは単純に大恐慌の最中に増税による財政均衡策をとり景気を悪化させた訳ではなく、決定的な問題は、金本位制にこだわったことと、世界恐慌の中で「アメリカが国際的な最後の貸し手である」という認識が欠如していたことであった、とする。これに対し、ルーズベルトは、金本位制を放棄し、「国際的な最後の貸し手」としてドルの輪転機を回したことで、恐慌からの脱出に成功したのであるが、この背景には、「金本位制を放棄してもドルの信認が失われない」という自信があった。その意味で、この二人の大統領の政策の差は、理論的な正しさという問題ではなく、その時々の国際経済に対する認識の差であり、その評価も、その効果という点から結果的(=政治的)に下されたものである、という。今まさに、ドラギ総裁が率いる欧州中銀が試されているのは、現在の危機において、GIIPS諸国に対しフーバー的な緊縮政策を採りながら、他方で「ユーロの輪転機を回し続ける」ことで、結果的に評価されるかどうか、ということである。しかし、1929年の大恐慌時と同様、その結果が出るには相当の時間が必要とされる。こうして米国で発生し欧州に広がり、欧州に存在する構造問題から深刻化したという点で類似している現在の危機についての今後の展開につき、著者は論点を移していく。その根本的な問題は、「ユーロ圏が最適通貨圏を形成していない」という問題である。

 ただ、この「ユーロ問題」以前に、「一般的には成熟経済には金融業は不要」であり、そこで余剰となった金は周辺部(フロンティア)に超過利潤を求める、という普遍的な行動が説明される。今回の金融危機のきっかけとなった、米国における「サブプライム・ローン」は、米国内における金融フロンティアで、その債権の証券化とも相俟って、危機を深刻化させた。そして欧州においては、まさにそのフロンティアがGIIPS諸国であり、先進国で調達した資金を、高インフレのこれらの国に投資する「裁定取引」を拡大することになった。しかもユーロの導入により、先進諸国の金融機関は、ユーロ導入以前のような通貨切り下げによる為替リスクを考慮する必要なく、これらの国に投資を拡大していくことが出来た。こうして拡大したGIIPSへのエクスポージャーが、米国の金融危機のあおりから民間金融機関の信用危機となり、また(ギリシャの場合は、また別の要因もあるが)それを救済せざるを得なかった国家そのものの政務問題として拡大していった。更には、ユーロ導入前であれば、債務問題に襲われた国家は、為替を切り下げることで、多少とも国内経済の競争力を高めることが出来たが、ユーロ導入によりその道が閉ざされることになる。その状況で債務問題に襲われた国家が出来るのは、強い国家の支援を受けつつ緊縮財政により財政を再建するか、ユーロから離脱し、再び為替調整を可能にするしかない。欧州では前者の支援が行えるのは今やドイツしかいないが、そのドイツが、かつて東独再建で行ったような巨額の支援(利益トランスファー)をGIIPS諸国に提供することは政治的に困難である。行うとしても、あくまで中長期的な債務問題解決の道に戻るための短期的な措置としてのみである。そして後者の「ユーロ離脱」という選択肢は、今まで多くの論者が指摘してきたが、「ユーロの理念」の放棄という政治的な決断と移行に際しての、コストを含めた大きなリスクに直面することになる。

 こうして発生した国家債務危機がもっとも深刻であったのがギリシャであるが、ここで不思議な現象が起こる。通常、国外からの投資で回っていた経済が破綻し、国外からの資本が逃避した場合、その国のプライマリーバランスが均衡していない限り、「債務不履行」を選択しても、その後の経済は再び行き詰ることになる。しかし、ギリシャの場合は、実質的な「債務不履行」を実施した後も、ドイツを中心とするユーロ先進国からの財政健全化要求にしばらくの間抵抗することが出来た。

 この理由は、ユーロの現金が、加盟国の幾つかの国の中央銀行で印刷されており、ギリシャ中銀もこの「ユーロの輪転機」を持っていることで、外国資本が逃避した後の国内のマネーサプライを維持できたことによる。この流動性供給の名目は、「銀行システムの安定」ということで、ここで供給された現金が、各国の民間金融機関を通じて市場に供給されている。更に、その中央銀行による民間金融機関への資金供給のために必要な担保基準は、特にギリシャやGIIPS諸国の場合は、大幅に緩和され、事実上無制限になっている。この結果、危機以前は資本収支でほぼ均衡していたにも関わらず、欧州中銀の決済口座(TARGET)上のGIIPS諸国の負債が蓄積していく。他方で、例えば従来の貸し手であるドイツの資本はこれらの国から逃避していることから、TARGET上のドイツ中銀の資産は積み上がっていくことになる。表向き、GIIPSへの欧州ベースでの直接支援には消極的なドイツも、こうした欧州中銀の決済口座の不均衡という、「裏での支援」を黙認している訳である。また2011年には、欧州中銀は、LTRO (Long Term Refinancing Operation)と呼ばれる緩い担保条件による民間金融機関向けの貸し出しを100兆円規模で行ったという。しかしこうした不均衡は、遅かれ早かれ次の問題を生じさせる。実際、LTROについては、中央銀行の残務を悪化させる、という批判が高まり、継続的な実施は難しくなったという。しかし、まだ継続されているTARGETについても、この決済勘定におけるドイツの負債が、ドイツの国力を超える事態に至った(あるいはその恐れが高まる)場合に、ドイツがこうした「裏での支援」を維持できるかどうか、は定かではない。その場合、ドイツは、債務国に対する決定的な緊縮策を要求するか、さもなくばユーロ分裂か、という選択を迫られることになる。

 ユーロについては、@為替レートの安定、A自由な国際資本移動、B各国が独立した金融政策をとれる、という3つの目標があるが、これは著者によれば全てを実現することのできない目標であり、実際Bは実現できていない。また@ユーロ圏をトランスファー(所得移転)同盟に添加させたくないリーダー国(ドイツ)の願望、A共通通貨(ユーロ)を存続させたいという願望、B北に比べて競争力の弱い南の産業が崩壊する結果、南から北への大量移民が発生し、北に移民のスラムが形成されるといった事態を避けたい欧州全体の願望、が存在するが、これも全てを実現させることは困難である。これについては、ABを実現するには@を放棄しなければならない。こうして、ユーロの存続のためには、遅かれ早かれこうした選択を決断しなければならない。その選択に際して決定的な発言権を持つのは言うまでもなくドイツである。

 著者は、この危機からの脱出のためには、@今やユーロ圏における唯一のリーダーとなったドイツが自覚的にその役割を果たすこと、及びA現在ドイツが主張しているような「新財政協定」のような極端な財政緊縮政策は、欧州全体の不況を深刻化し、政治的の不安定を高める。従ってむしろ資本逃避の心配がなくなるような環境作り(例えばユーロ圏全体にまたがる金融システムのセーフティネットの構築)により、GIIPSであっても、ある程度、景気と雇用に配慮した政策が実施できるようにすることが必要、と主張する。しかし、著者の考えでは、この条件をドイツが受け入れることは、「欧州同盟がトランスファー同盟に転化するのを防ぐ」ことが、ドイツの政策上のトッププライオリティに置かれていることから困難である。こうして、ユーロの危機は、大恐慌時にフーバーが招いたのと同じような悪循環を引き起こしていくだろう、と見る。しかしその著者にとっても、ドイツが、「トランスファー同盟か、ユーロ崩壊か」という二者択一を求められた場合に、どのような決断を行うかは全く読めないという。ただソロスが指摘している通り、上記の欧州中銀のオペレーションにより、民間金融機関の債権・債務関係が「国籍」に従って整理されつつあることから、ユーロ分裂のコストが以前に想定されていたよりも軽減されている、という見解もある。またこの結果、ドイツのような債権国は、最低限、自国の金融システムを維持しながら、債務国との関係を国家間の債権・債務関係だけに限定して対応することができるという。そしてこうした過程を経て、ユーロ圏は、金融面では実施ドイツが支配することとなり、周辺国はその後背地に成り下がることになる。それ以降は、ドイツが政治的にどのように振舞うかが、ユーロ運命を決める唯一の要因となる、というのが著者の結論である。

 この本が刊行されてから既に3年、その後ギリシャを巡る駆け引きは幾度も繰り返されてきたが、現状危機は一服し、ユーロは生き延びている。そしてむしろヨーロ圏の最大の関心は今や際限なく流入するシリアやアフリカからの難民問題に移っている。また最近の新聞報道では、「欧州『銀行同盟』第二弾」として、「ユーロ圏19か国の銀行の破綻処理が(1月)1日から一元化される」ということで、550億ユーロ(7兆2300億円)の共通基金を利用した統一的な破綻処理システムが稼働することが報道されている。これは、2014年11月にスタートした「銀行監督のECBへの一元化」に続く域内銀行管理の「第二弾」で、最後に「預金保険の一元化」により完成されるとされている。平行してギリシャではユーロ圏の金融支援を受け、四大銀行の資本増強が完了し、「反緊縮財政」を掲げたチプラス政権のもとで流出した預金と不良債権により危機に瀕していた民間金融機関の再建も一段落したという。

 もちろんこうした「危機の一服」は、「危機の解決」を意味している訳ではない。そして再び市場がユーロの構造問題をテーマにすることがあると、同じ問題が繰り返されることは間違いない。上記の「銀行同盟」も、まさにこうした更なる危機対応で構想されている。構造的な問題を抱えながらも、域内の債権・債務関係が極端な形になりつつあるという著者の指摘を念頭に置きながら、この「ユーロの夢」に向かう試みが今後どのように展開するか、何度も書いているとおり、私自身は、この夢を支援する立場から追い続けていこうと思う。

 尚、同じ著者には、この作品後、2015年8月に出版した同じテーマを扱った単行本があり、これもこれから目を通すところである。この本の続編として、また新たな年に、この作品の中身も見ていきたい。

読了:2015年12月26日